第四話 静かな判決
「結果が出ました。」
高乃の低い声が、朝の調査課に落ちた。
曇った窓から射す白い光が、机の書類をぼんやり照らしている。
楓は顔を上げた。
「……A-203とI-77のですか?」
「ええ。人格認定委員会から正式に通達がありました。」
封筒が置かれ、静かな音を立てて封が切られる。
「I-77――人格承認。」
少し間を置いて、
「A-203――非承認。」
楓の息が止まる。
「……そんな。」
「理由は簡潔です。」高乃は書面を見つめたまま言った。
「A-203は命令に感情を使う。
I-77は感情が命令を超えた。
――委員会は、その差を“自立性”と呼びました。」
楓は拳を握った。
「でも、人間だって感情で行動するときも、命令で動くときもあります。
そんな線引き、できるはずない。」
「線引きできないからこそ、人が決めるんです。」
高乃の声は淡々としていた。
それがかえって、楓の胸に刺さった。
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昼過ぎ。
搬送エリア。
白いケースにA-203が収められている。
目は開いているが、もう言葉はない。
楓はその姿を見つめたまま、唇を噛んだ。
「……廃棄、されるんですか。」
「所有者が死亡しています。
引き取り手もなし。非承認の個体は、法的には“所有物”扱いになります。」
高乃の口調は事務的だった。
「そんな……人じゃないみたいな言い方。」
「“人じゃない”と判断されたんです。正式に。」
楓の目が潤む。
「でも、A-203は笑いました。冗談を言って、反応を見せてくれた。
あれは命令じゃなくて……心からのものだったのに。」
そのとき、背後からアトムの声がした。
「楓ちゃん。」
振り向くと、局長の顔があった。
いつもの柔らかい笑みが、少しだけ沈んで見える。
「心があっても、それを“証明”できなければ、人は信じない。
この国はまだ、そこに立ってる。」
「……局長は、それでいいんですか。」
「よくないよ。」
アトムは小さく笑った。
「でも、変えられない仕組みは、誰かが少しずつ壊すしかない。
楓ちゃん、君みたいにね。」
楓は何も言えなかった。
搬送車の電子ロックが鳴り、扉が閉じる。
A-203は、静かに運び出された。
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夜。
報告書を整理していた高乃の端末が、警告音を発した。
「……保管棟から異常通達。A-203の識別データが消失しています。」
楓が駆け込む。
「消失って、まさか――」
「監視映像が途中で途切れています。
搬送後、深夜1時以降、通信も反応なし。」
アトムの通信が入る。
「外部侵入の痕跡は?」
「ありません。」
少しの間があって、アトムが静かに言った。
「……なら、“誰か”が助けたんだ。」
「助けた?」楓が顔を上げる。
「人が、ですか?」
「そうだね。
痕跡はほとんどない。けれど、機械の動きじゃない。
――“意志”を感じる。」
高乃は無言でモニタを見つめていた。
その横顔に影が落ちる。
「……意志、か。」彼は小さく呟いた。
楓は俯いたまま、
「……誰かが、A-203を信じたんですね。」と言った。
アトムの声が、少し優しくなった。
「そう。
だから、まだ終わっていない。
心を信じる誰かがいる限り、世界は完全には止まらない。」
通信が途切れ、部屋に静けさが戻る。
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深夜。
庁舎の廊下は薄暗く、雨の音が遠くに響く。
楓は一人で窓際に立っていた。
外の街がぼんやり滲んで見える。
端末を開くと、A-203の最後の記録が残っていた。
> 私は、人を守りたいと思った。
それが命令でなければ、心だと思うのです。
楓は画面を閉じ、手のひらで端末を覆った。
その言葉が胸の奥で静かに揺れる。
「……誰が、あなたを助けたんですか。」
その呟きは、誰にも届かず、
ただ夜の雨に溶けていった。




