第4話 忘れることはできない
手に着いた土を払い、フィーナは掘り出した根菜を籠に置いた。
中には、すでに根が出ているものや、虫に食われているものもあった。だが根も、虫に食われた箇所も綺麗に切り取れば、食べるのに支障はない。少々味が落ちるくらいだ。
フィーナの家の裏の畑には、僅かな葉物と、根菜が植えられている。葉物は先日すべて収穫してしまったので、あとはもうこの根菜しか残っていない。
次に町へと買い物に行くまでは、この根菜を大事に食べていかなくてはならないのだ。
今日の夕食は、この根菜を蒸かすことにしよう。
そんなことを考えながら、フィーナが家の扉を開けようとした矢先、声をかけられた。
「フィーナ」
爽やかな笑顔に、輝く金色の髪。淡い緑色の瞳のカロル・トロスは、村に常駐する騎士だ。
「……カロルさん」
九年前、あの事件があってから、村には騎士が一人常駐するようになった。カロルは、その五代目だ。
フィーナの証言から得た、アリトを襲ったという大型の魔物。その存在は、町から騎士が一人、村に常駐するようになるほどに大事だったらしい。
「大量に野菜を貰ったんだ。俺だけじゃ食べきれないから、食べるの手伝ってくれよ」
フィーナたち家族が作っているのは、主に根菜と、少しの葉物野菜だけ。あとは、町にまで出向いて、買うことにしている。他の家々は、互いの家で作っている野菜などを交換し合っているが、そこにフィーナたち家族が招き入れられることはない。
カロルはそれを知っていて、フィーナたちのために、自分が貰った野菜を分けようと言ってくれたのだ。
「……ありがとう、カロルさん」
フィーナが礼を言うと、カロルが少し照れたような笑みを見せた。それから急に真顔になって、フィーナに向けて、驚くような言葉を放った。
「なあ、フィーナ。この村を出ないか?」
町へ、買い物に行かないか。
そう言ったのではないかと勘違いしてしまう程に、何気ない口調でカロルは言った。フィーナは驚いて、じっとカロルの顔を見つめた。
聴き間違いだったのではないか。
カロルはやはり、町へ買い物に行こうと言ったのではないか。
そう思ったのだが、カロルの真剣な表情を見て、聴き間違いではなかったのだとフィーナは確信した。
フィーナは微かな微笑みをカロルに向けたあと、静かに首を振った。
「……出られないわ。町へ行っても、私にできる仕事なんてないもの」
ずっと、村で暮らしてきたのだ。
フィーナにできることと言えば、ちょっとした縫製と、料理、掃除などの家事くらいだ。村長が推薦状を書いてくれることはないだろうから、貴族の邸で使用人として働くこともできない。そもそもが、礼儀作法を知らないフィーナでは、きっと初見で門前払いされてしまうだろう。
それに、フィーナが町へ出てしまったら、家の働き手がいなくなってしまう。年老いた両親だけを、この冷たい村に残していかなければならなくなる。
「俺の元へくればいい」
その言葉の意味が分からない程、フィーナはもう子どもではない。もう十六歳だ。カロルは十歳も年上だったが、良い人間で、働き者で、なによりも、フィーナや家族に、優しくしてくれた。
そのカロルが、真剣な表情でフィーナを見つめている。
瞳に、熱い何かが宿っている。
だが、それは恋に似ているけれど、その熱の本当の正体を、フィーナは知っていた。同情だ。フィーナとその家族に対する、同情。そして、騎士であるカロルには、弱く可哀想なフィーナを放っておけないという、正義があるのだろう。
「カロルさん……でも、私……」
「近々俺の代わりに、別の騎士が村へやってくる。任期が終わるんだ。その時に、この村を出よう。君の家族も一緒に。それが、君たち家族や、そして村のためだ」
村のため。
それを言われてしまえば、フィーナは途端に、何も言えなくなってしまう。
この村の人達には、ずっと、迷惑をかけてきたのだ。フィーナたち家族がここにいることで、ずっと村人たちに緊張を強いてきた。申し訳ないと思いつつも、家族全員でこの村を出て、どうにかやっていける自信はなかった。だから、ずっとこの村に留まっていた。
「フィーナ。君たちだって、幸せになっていいんだ」
幸せになっていい。
本当にそうなのだろうかと、フィーナは思う。
家族は別だ。父も母も、フィーナに巻き込まれただけなのだから。
でも、フィーナは――。
フィーナはそっと、首に巻いたスカーフの上から、傷痕に手を添えた。
魔物に付けられた傷痕だ。今はもう、牙の痕が赤い痣のようになっているだけだが、その傷を見せて生きることで、傷付く者たちがいた。だから、普段はスカーフを巻いて、その傷痕を隠しているのだ。
フィーナのその動作を見たカロルが、ぽつりと言った。
「君だって、傷付いたじゃないか……」
確かに、魔物によって、フィーナには傷が付けられた。
けれど、フィーナは生きている。
アリトの命を奪ったのに。
アリトの家族から、アリトを奪ったのに。
フィーナは生きているのだ。
こうして生かされているだけでも、感謝するべきだというのに。幸せなど、望んで良いのだろうかと。
「フィーナ。俺と一緒になろう。君を必ず、幸せにする」
《――フィーナの将来は、俺のお嫁さんだ》
ああ、と。
カロルからの言葉を聞いた瞬間、頭に過った記憶に、フィーナは唇を噛んだ。己の薄情さと愚かしさに、声を上げて笑いたい気分だった。
たとえ、その想いの根幹にあるのが同情だろうとも、カロルは真剣に、フィーナに求婚をしてくれている。なのに、カロルの言葉を聞いた時、フィーナがまっさきに思い出したのは、アリトの言葉だったのだ。
お嫁さんになりたかった。
自分は、アリトのお嫁さんになりたかった。
そのことが、今やっとわかったのだ。
ずっとアリトのことを忘れられなかったのは、罪悪感があったからだけではない。
フィーナはずっと、アリトに恋をし続けていた。いつだって優しかった幼馴染。命を懸けて、自分を護ってくれた勇敢な人。
フィーナは昔からアリトのことが大好きだったけれど、あの頃は、まだそれが恋だとは分かっていなかった。
今になって、永遠にアリトを喪った今になって、それに気付くなんてと――。
「……ごめんなさい、カロルさん。私、駄目なの。私、まだ――」
求婚を断ろうとしたフィーナを、カロルの大きな身体が包み込んだ。痛みを覚えるほどに、強く抱きしめられた。
「いいんだ、フィーナ……。忘れられなくて当たり前だ。でも、彼はもういないんだ。君がこうして泣いていても、彼には何もできないんだよ」
フィーナはアリトに、何かをして欲しいわけじゃない。
フィーナの思い出の中で、微笑んでくれているだけでいい。生きていてくれたら、それだけで良かった。
「フィーナ。俺と家族になってくれ。君の助けになりたいんだ――」
アリトの事が好きだ。まだ、彼を忘れることはできない。
けれど、カロルの温もりは、フィーナの心を騒がせた。
フィーナは、自分がそれほど強い人間ではないことを自覚している。すでに気持ちは、カロルに傾き始めていた。
支えが、欲しかった。
「……カロルさん」
弱弱しくも抱き返せば、カロルは更に、フィーナを強く抱きしめてくれた。




