第一章 聖女召喚ダメ絶対⑧
「陛下。こちらが今回の報告書並びに経費の内訳です。ご確認の上決裁をお願いします」
コジモ王子による禁呪行使事件から十日後、デルフィーナは山盛りの書類を国王の執務机の上に積み上げると、にっこりと笑みを浮かべた。
国王シャルルは恰幅のいい身体を震わせて目の前に死神が立っているかのような怯えようだった。
……いや、本日の死神は私の隣にいるんだけどね。
デルフィーナは隣に立つ威圧的な空気を纏った長身の男に一瞬目をやった。
「い、いや……その……。今日でなくてはならぬのか?」
それを聞くと、隣にいた白金の髪の男がデルフィーナ以上にいい笑顔を浮かべて前に出た。書類の上に音がする勢いで大きな手を載せる。国王の口から、ひぃっ、と情けない声が上がる。
まあ、無理もないわ。この人の笑顔を見たら石になるとか、寿命が十年削られるとか言われてるから。味方だったらとても心強いけど。
デルフィーナはそう思いながらこの場は任せようと一歩下がった。
「陛下におかれましては、本日午後から愛人の方々との交流というご予定がおありだとか。ご壮健でじつに素晴らしいことでございます。まあ、聡明な陛下ならば、この程度の書類に手間取るわけがございません。ご予定の前にちゃちゃっと片付けるなど楽勝でしょう。お優しい陛下が愛人の方々をお待たせするようなことはなさらないでしょうから、すぐにご決裁をしてくださいますね?」
どこで息継ぎをしているのかという勢いで滑らかに、相手の顔がどんどん青ざめていくのもかまわず彼はまくしたてた。
「シルヴィオ……その……」
往生際悪く言い訳をしようとしている王に、彼はすうっと声が低くしてダメ押しをする。
「可愛い愛人の方々がお待ちですよ? 兄上」
言い換えるなら、「さっさとやれ、終わらなかったら愛人のところへは行かせない」という意味だ。その言葉とともに一気に彼が纏う温度が下がっていく。
ペオーニア大公シルヴィオ、彼は王弟にして魔法庁長官という地位にある。デルフィーナが提出した書類が後回しにされていることを聞いてついてきてくれたのだ。
国王シャルルはあのコジモ王子の父親だ。良くも悪くも突出しているのは腹回りくらいで、先代からの臣下に支えられて何とか務まっているという印象だ。悪意なく面倒事を押しつけてくる才能がある。親が親なら王子も王子だ。
けれど、シャルルはシルヴィオに逆らってはならないことくらいは本能で理解しているらしい。王子時代から散々比べられて「家柄だけのシャルル」などと言われていたのだとか。
「あ……あの……シルヴィオ……この一番上にある書類、コジモの婚約解消の承諾書なんだが……これは今回の件に関係ないのでは……ないのかな?」
半泣きで書類の一番上の束を手にしたシャルルが問いかけてきた。
シルヴィオは背後に猛吹雪を背負ったような恐ろしい笑みを浮かべる。
「関係ならございます。以前コジモ王子が神殿で騒ぎを起こしたときにお約束したはずです。次にコジモ王子が何かやらかしたら婚約解消させると」
あー……あったわね。巫女選定の会場に乱入して聖女になれる娘はいないかと引っかき回したことが。押し倒されそうになった娘もいて、かなりな騒ぎだったわ。
デルフィーナはそれを思い出して遠い目になった。
シルヴィオはさらに国王を追い詰めにかかった。
「いい加減に魔法庁の有望株をコジモ王子の馬鹿騒ぎに巻き込むのはやめていただきたい。殿下は禁呪に手を出したのは、デルフィーナと婚約解消して聖女と結婚するためだったとほざ……言い張っているのですよ? なら今のうちに解消して何の問題があるんです? デルフィーナの炎魔法でこんがり焼かれていても仕方ないところを、婚約解消で妥協しているんです」
いやさすがにわたしだって淑女ですから、王子をこんがり焼くなんてはしたないことは……。まあ、妄想の中でなら何十回焼いたかわかんないけど……。
本当にやらないのは、情けをかけてるんじゃなくてあの馬鹿王子のために魔力を使うのがもったいないだけだし。
デルフィーナはそう思いながらも黙ってシルヴィオの隣で頷いていた。
シャルルは冷え切ったシルヴィオの目線に狼狽えながらも、おろおろと言い訳めいたことを口にする。
「だが……婚約解消は困るのだ。……デルフィーナに見捨てられたらコジモを何とかしてくれる令嬢なんておらぬではないか。なあ、デルフィーナ……そなただけが頼りなのだ。もうちょっと我慢できぬか?」
冗談じゃない。そもそも、あれを何とかするのは国王夫妻や教育係の仕事だ。婚約者の立場で王族を何とかできるわけない。
何度も面倒事に巻き込まれて後始末させられただけだわ。注意したって砂地に水を撒くように効果がないのに。まだ続けろっていうの?
「では、本当に殿下を何とかしてもよろしいのですか?」
やっぱそろそろあの王子をこんがり焼くべき? 焼くべきよね? という気持ちになったデルフィーナが、手のひらの上に魔法で小さな火の玉を浮かべる。
その意味に気づいたシャルルが顔を引き攣らせた。
「わ……わかった。だからこんがり焼くのは勘弁してくれ」
シャルルは震える手で婚約解消の承認書類にサインする。
それからシルヴィオとデルフィーナが二人がかりで書類を一つずつ説明して決裁のサインを迫った。その内容でいかに今回のやらかしが重大事か国王の頭の中に叩き込まれただろう。だんだん顔から生気が失せていく。
先代聖女は魔族討伐と引き換えに召喚術を禁じることを当時の神殿と国王に約束させた。女神の遣わした聖女との約束を違えたからには女神にも背く行為だ。
そして、あの召喚に使われた部屋は厳重に封印され、鍵は神殿の司祭長と魔法庁長官しか持っていない。つまり神殿の上層部も加担していたとしか思えない。
コジモ王子の母、現国王シャルルの妃が神殿派だということも考えれば王妃の介入もあった可能性が高い。
しかも、未熟な者たちによって強行された召喚術のせいで、無関係な男性を巻き込んでしまっている。
たった一人の平民の被害で済んだと片付けようとしているかもしれないが、先代聖女との約束を破ったことも含めれば、重大案件だ。
けれど、最終的に裁判によって処分が決まるが、せいぜい王子を謹慎程度にするだけだろう。何しろ王子は他にいないのだから。
それに実行犯の神官たちも神殿側が庇うから厳罰にはならない。神殿内の人事は外部が関与できない。さらに、彼らは王子の命令だから逆らえなかった、と主張しているのだ。
だからコジモを損害額と経費、そしてヒカリへの賠償金の方面で締め上げることにした。それも公費ではなく王子の個人的な資産から支払わせる。
だって神殿側は王子の命令だったって言ってるんだから、主犯は当然コジモ王子よね。当分あちこちの夜会で派手に遊び回ることはできないだろうけど、自業自得だわ。
その額を見たシャルルが脂汗をかいていたけれど、シルヴィオもデルフィーナも手を緩めることはしなかった。
ヒカリが温厚な人物だったからといって巻き込まれたことに腹を立てていないとは限らない。そこに甘えてはいけないわ。
というかヒカリはもっと怒っていい。わたしが許す。
彼に火焔系の魔法を教えて、いつでもあの馬鹿王子をこんがり焼けるようにしてあげようかしら。光属性が火魔法に混ざると炎の温度が高くなるからお勧めなのよね。
デルフィーナがそんなことを考えている間に最後の書類に国王のサインが入った。シルヴィオが満足げに頷いた。
「さすが陛下。大変ご立派な仕事ぶりでした。感服いたしました」
すっかり疲れ果てて魂が抜けかけた様子で執務机に突っ伏しているシャルルにそう告げる。そのまま決裁済みの書類を手にデルフィーナたちは部屋を出た。
まあ、あの陛下のお疲れぶりでは愛人宅に向かう気力は残っていないわね。今まで書類を後回しにしていた報いだわ。
でも、ついに婚約解消に陛下の承認がもらえた。これほど嬉しいことはないわ。王宮の回廊を叫びながら走り回りたいくらいよ。
浮かれていたデルフィーナにシルヴィオが目を向ける。
「祝杯を上げるか? うちに来るといい。お客人も連れて」
「いいのですか?」
「構わない。今や彼は身内同然だからな。忙しくてあまり個人的な会話ができていないから良い機会だ」
シルヴィオは自分の敵には全く容赦がないことから「氷の長官」と呼ばれているけれど、懐に入れた人間にはとても優しい。
ヒカリを魔法庁に採用したときに身元保証人にもなってくれているので、たしかに身内だろう。
「仕事ぶりも真面目で素晴らしいと聞いている。神殿が後で返せと言ってきても絶対渡すな。うちがもらうぞ」
「了解です」
デルフィーナは大きく頷いた。自然に笑みが浮かんだ。
なぜか、ヒカリが誰かに認められたり優しくされているのを見聞きすると嬉しくなるのよね。身内自慢みたいな気持ちなのかもしれないわ。
婚約解消祝いをするなら、彼にも参加して欲しい。楽しいことを分かち合いたい。
彼が今までどんな人生を送ってきたのかは知らないけれど、できることならこちらで幸せに暮らせるようになってほしい。
そう思いながら、シルヴィオの背中を追ってデルフィーナは歩き出した。
第一章完結です。次回からはヒカリSideの第二章になります。