第九章 星躔祭と変態神様①
「あれ? ヒカリは今日も不在?」
長官室に現れたステファノが空いている席を見て首を傾げる。
「今日は神殿の再建計画で王宮に呼び出しらしいわ」
デルフィーナが答える。
女神フィオーレの怒りを受けて倒壊した中央神殿の跡地をどうするかで現在調整中らしい。元々あの土地は王家のもので、信心深かった百年ほど前の国王がタダ同然で貸していた。
散々神殿から喧嘩を売られていた現国王シルヴィオは土地ごと取り上げてもいいのだが、と言っていた。
ただ、人々の女神への信仰を示す場はあったほうがいいというヒカリの提案で礼拝などの最低限の施設を再建して、残りは教育機関や医療施設、そして公園にする案が出ている。公園は普段は市民の憩いの場、万一の時に王都周辺の住民たちが避難してきた際に受け入れる場所として確保する計画だ。
建設費用は星躔祭で寄付金を募る……ということになったが、さっそく神官たちから文句がつけられた。要するに高位神官が暮らす場所が質素過ぎる、建設費にしても寄付だけでは足りないから国が金を出せというものだ。
「……やれやれ。まだ贅沢したいのか。ところで、最高司祭の人事はどうなったの?」
「今のところヒカリが兼任してるわ。でも、ヒカリの言うこと聞かないらしいわね。全部すっぱりクビにしていいかな、っていい笑顔で言ってたわ」
「それはそれは。ヒカリも怒っていいところだよ。異世界人って温厚なのかなあ」
ステファノがそう言ってから、忘れてた、と手にしていた書類をデルフィーナに差し出した。冬に行われる魔法学院の研究発表会に関する資料だった。
「でも、リナは結構感情がはっきりしてたから、ヒカリが特別なだけだと思うわ」
「あー、先代聖女の? 会ってみたいな。ミケーレの話だとなかなか面白い人みたいだし。魔法具作りのセンスが天才的なんだよ。家のことがなかったら学院の休暇にでもと思うんだけど」
ステファノは残念そうにこぼした。彼は王位を継いだ父の代わりにペオーニア大公を継ぐことになった。元々後継者として育てられてはきたものの、家を継ぐのが早まってしまったのだ。
まだ学生の彼には荷が重いわよね。まだまだ自由にやりたいことはあるんだろうし。
デルフィーナはそう思いながら、ステファノに提案した。
「ヒカリに頼んでみたら? 彼、リナと話ができる魔法具を持っているのよ。スマホって言ったかしら。アレで連絡取りあってるから」
「え? ああ、ヒカリがよく見ている小さい板みたいなあれ? そんな凄いものだったんだね。星躔祭が終わったら時間作れるから頼んでみようかな。ところで、ヒカリの出店は準備万端?」
ステファノがこそっと問いかけてきた。
「あら? 敵情視察? わたしはここ最近は直接関わってないからわからないわ」
ヒカリが多忙になって、デルフィーノが代理を務めることが増えたせいだ。副長官は名ばかりの研究者なので書類仕事が進まない。
「えー? 婚約者なんだから色々聞いてないの?」
「彼、戻ってきたらすぐに寝ちゃうくらい疲れてるみたいだもの」
そう。デルフィーナはそれが心配だった。
王太后と先代王妃が脱獄したという懸案事項はあるけれど、星躔祭の準備は着々と進んでいた。ヒカリとデルフィーナの周辺には護衛がさらに増えたけれど、ヒカリはさほど気にしていないようだった。
というより、気にしていられないくらいやることが増えてしまったのだ。
彼は現在星躔祭での出店責任者、魔法庁長官、聖女、神殿の最高責任者という普通なら兼任しない肩書きを持っている。さらには魔族との交易担当という仕事も増えた。
『いや、それでも食事や寝る時間がきっちり確保できてるから、全然ブラックじゃないよ』
と笑っていた。
ブラックという言葉の意味がわからなくて、一度ミケーレにも聞いてみたことがある。
『母がよく言ってたんですよ。異世界ではシャチクという奴隷制度があって、ボロボロになるまで働かされるんだそうで。逆らうとサセン、マドギワという刑罰を受けるとか。それをこき使っている商社をブラックと呼ぶんです。異世界って恐ろしいところですね』
幼児にしか見えないミケーレがニコニコしながら言っていた。
そんな恐ろしい世界にいてよくまあリナもヒカリも性格がねじ曲がったりひねくれたりしなかったものだわ。
だけど、そのシャチクよりマシだからといって、あまり無理はして欲しくない。
「まるで奥方みたいに心配してるんだ。ふうん?」
ステファノが口角を上げた。
「悪い? あんなにいくつも仕事を抱えていたら心配になるでしょ? だからわたしは魔法庁の仕事だけでも片付けようと思って……」
ヒカリは真面目で引き受けた仕事には手を抜かない性格のようで、星躔祭の準備にしても王宮での会議にしても本当に熱心に下調べしてやっている。あんなことをしていたらいずれ身体を壊すのではないかと心配になる。
彼のことを過小評価しているつもりはない。けれど彼は予想していた評価を軽く飛び越えてくる人だ。それでも生身の人間なんだから、無理はし過ぎないでほしい。
……実家の人々や前の婚約者は心配する気にもならない人だったから、こんな気持ちになったのは初めてだわ。
デルフィーナは顔が熱くなりそうだったので早口で言い返した。
「悪くなんてないよ。もうじき本当に奥方になるんだし。でも確かにヒカリは忙しそうだね」
ステファノは肩を竦めると、長官の机の上に積み上がった書類に目をやる。
「卒業課題が終わったら僕もまたこっちに手伝いに来るって伝えておいて。その頃なら当主の引き継ぎも落ち着いてるだろうし」
「わかったわ」
「それにゴネてヒカリを困らせる奴らをこんがり焼く魔法を教えてあげれば? フィーなら神殿の連中をその手で黙らせたことあるでしょ?」
そう言えばヒカリの魔法練習は辺境での騒ぎの後で中断したままだった。
「いいわね。彼が温厚だから皆舐めてかかってるのよ。力を見せれば黙るはずよね。会議も円滑に進むし、いいことだらけだわ。それにヒカリの魔力なら一瞬で相手を消し炭にできるでしょうし」
彼は話し合いで解決するほうを望むかもしれないけれど、図々しくて人の話を聞かない輩というのはどこにでもいる。そして、そんな相手には彼の穏やかさが仇になることだって多い。
そもそも女神が認めた聖女と女神に怒られた神殿が同格なはずがない。侮る向こうが悪いのだから。
「……さすがに消し炭はやりすぎだよ」
ステファノが苦笑いしている。
「星躔祭が終わったら打ち上げしようよ。ぱーっと」
「いいわね。やりましょう」
デルフィーナは即答した。楽しいことが目の前にたくさんあるほうが、頑張れるものだから。




