第八章 終わらない物語②
「……いつから子供が二人に増えた?」
終業後王宮に戻った光里たちを見て、シルヴィオが首を傾げた。
光里の両手にぶら下がっていたのはエリゼオとミケーレ。何かあるかもしれないのに別邸に残して行くわけにはいかないと、連れてくることにした。
デルフィーナは隣で吹き出すのを堪えていた。ミケーレは魔族の王の息子ではあるけれど、私的な滞在なのでシルヴィオには会っていなかった。
「すみません。こちらは僕の甥のミケーレです。魔族は成長が遅いそうで……」
「……なるほど」
あまり表情を変えないシルヴィオがしばらくミケーレを凝視していた。
「失礼いたしました。お初にお目にかかります。ミケーレと申します」
ミケーレは光里の手から離れてぺこりと頭を下げた。エリゼオの前では子供っぽい行動をしているけれど、普段は大人の行動がちゃんとできるのだ。
その変化を見てシルヴィオも納得したようだった。
「ステファノも王都本邸に移るそうですから、二人を置いておく訳にはいかなくて。一応ロメオには伝えたのですが」
「たしかに聞いてはいたが、これほどとは……。だが、今はそれどころではないな。状況を話しておきたい」
シルヴィオはそう言ってから執務室へ繋がる扉を示した。
「正直な所、わたしはエーヴァ前王太后とはほとんど面識がないし、会話もろくにしていない。彼女はわたしや母のことを嫌っていたから、公式な場でも露骨に避けていた。兄が即位して満足したのか大人しくしてくれていると思っていたのだが……。だが、神殿派の中でも強硬な教義第一主義の人だから、まさか魔法使いと繋がっているとは思わなかった。だから警備は一般の兵士が受け持っていた。魔法庁の方も今回人手が足りなかったのもある……それが裏目に出た」
シルヴィオは重々しい口調でそう説明した。
神殿派の前王太后はシルヴィオの母で隣国サンテールの元王女だった先代国王の妃を毛嫌いしていたという。
エーヴァと前王妃が逃亡できた理由は、どうやら魔法使いを雇って警備を強行突破したらしい。どういう経緯で魔法使いを呼び寄せたのか、そのあたりの事情はわかっていないし、逃亡先も不明。神殿は崩壊し、ほとんどの神殿派貴族は捕縛されるか監視下にある状態で逃げ続けられるとは思えないが、今も見つかっていない。
「……何かこの件で心当たりはあるか?」
光里は頷いた。
「実は、小説の物語には随所に神殿が名前を使って人を支配する術を使っている記述があったのです。けれど、本来それは神殿が否定している魔法の一つです。それを聖女に対しても使っていたのですが、それはご存じですか?」
デルフィーナが光里と最初に会ったとき、彼女は全ての名前を名乗ってはいけないと言っていた。名前を全て知られればその術によって支配されるかもしれないと。
……つまりはそれが行われていると知っていたんじゃないか?
「知っている。神殿が聖女を囲っていた様子が不自然だったし、敵対勢力が突然考えを改めることがあったりしたのでな。その術を使っていたのではないかとずっと疑っていた。だから魔法庁の関係者には本名の一部を隠すように命じている。もし聖女が現れることがあれば、それを伝えることも決めていた。だが、確かにその魔法を使う者が神殿に関わっているなら、おそらく近隣国のどこかがそれを教えたのだということも疑っておくべきだったな」
「そうですね。僕もそう思います。ただ、神殿と繋がっている国については記述がなかったし、かなり昔からの関係だと思いますから……」
この国は女神フィオーレの名を冠していて、その女神だけを信奉する一神教だ。
周辺国は多神教の国ばかりで、宗教的には孤立している。そのはずだ。政治的にも宗教観が違うことで独自の立場を貫いている……という設定だった。聖女に対して過剰な期待をしたり異界から招いてでも聖女を得ようとする固執ぶりはそのせいだ。
神殿の圧力で魔法を否定し、魔法使いを冷遇してきた。そのせいでこの国はずっと魔法に対する理解がなく、そのために他国から遅れを取ってきた。
そのしわ寄せは結局国民の生活にのしかかってきていて、周辺国からしたらこの国の文化水準は低いとシルヴィオは考えていた。宗教を盾に周辺国との関係を分断してきたのだから当然だろう。
鎖国とまでは行かなくても、頑なに他国のあり方を否定していたら取り残されるのは当然だ。
そして、孤立していたからこそ人々は神殿に拠り所を求めたとしたら。
なのにフィオーレの神殿の内部では自分たちに都合の良い便利な魔法だけはこっそりと使っていた。聖女を従わせるために。そして政敵を操るために。
それを知るためだけに異教の国と繋がりを持っていたのだろうか。
……信徒の幸福やフィオーレに対する信仰よりも自分たちの権勢を守ることしか考えてない。逆に彼らが好き放題するために女神を利用していたのではないか。それなら女神が彼らを嫌悪したのも理解できる。
「この大陸の西の果てにあるアラクランと呼ばれている国があるのだが、それは物語に出てきたか?」
シルヴィオが問いかけてきた。隣にいたデルフィーナが息を呑んだ気配がした。
「……聞き覚えはありません」
「この国の女神とは別の存在だが、一神教を信仰する国家だ。そして、その宗教の長が祭司王という肩書きで国王を兼ねている。魔法も呪術も神の叡智だとして施政者たちが特権として抱え込んでいる。民はその管理下に置かれている。そんな閉鎖的な国なので内情はあまり知られていない」
何かそれ、気持ち悪い。上の人間が特権的に魔法や呪術を行使して民を抑えつけているということなら、恐怖によって支配しているってことだろう。
「その国が関わってきているというのですか?」
「名で相手を縛る術については、どの国でも表向きは禁呪とされている。それを堂々と我が国の神官に教えるような外道は他に思い当たらないのでな」
「……外道……」
確かに名前で相手を縛って支配し、言うことを聞かせるなんてえげつない魔法がナチュラルに行われていたら混乱間違いないだろう。
……あのラノベの中では過去の聖女が操られていた、とか。先代聖女もそうだった、みたいな記述があった。まあ、今は先代聖女があの姉だったから失敗した。だから次の聖女を何が何でも取り込みたい気持ちはあったかもしれない。
そしてこの国の人たちは魔法に縁がなかったから、魔法庁の関係者のように隠し名を持たない。
「……もしかして、元王子や君の妹が本物の聖女だとか言い張ったのって術で操られていたんじゃ……」
デルフィーナに問いかけようとすると、彼女は即座に否定した。
「それはないわ。ちやほや持ち上げたらその気になっちゃうようなゆるゆるの子よ? ちなみにコジモ元王子もね。捕縛した時に鑑定魔法で確認してるけど、完全に素面だったわ」
「なるほど……」
つまり魔法の支配下じゃなくても煽てられて簡単に欺されちゃうくらいチョロいのか。駄目じゃん王子様……。
だったら彼らを調べて魔法にかけられている証拠を探すのは難しい。
「そうなると今回はやむなく魔法使いを雇った、と言い張られたらそれまでということになりますね。その……西の果ての国の関与も」
そしてそんな薄気味悪い国が関わってくるからこそ、シルヴィオは光里たちを王宮に呼び戻したんだろう。
彼も魔法研究に関わってきた人だし、デルフィーナを始め多くの魔法使いを育成してきた。それでも禁呪を躊躇いなく使ってくる相手には分が悪いのかもしれない。
……ズルをしても勝とうという考えの人間は何をするかわからないから。あの職場の同僚みたいに、他人のアイディアを盗んだりするような。卑怯と言ったところでああいう輩は理解しない。勝てばいいし、自分が得をすればいいと思っているのだから。
「念のために確認するが、光里はここに召喚されたとき、全ての名前を明かしたわけではないのだな?」
「はい」
デルフィーナに最初に問われた時にそうするように言われたから。それにあの時神殿の関係者は光里に全く興味を示さなかった。ずぶ濡れだったとはいえ、顔すら認識していなかったくらいだ。
光里には戸籍にも記載がないけれど、母がつけてくれたセカンドネームがある。それはこの世界に来てから口にした事はない。きっとシルヴィオやデルフィーナにも内緒の名前があるのだろう。
それにしても、物語の記述にない国が関わってくるなんて。姉さんなら何か知ってるだろうか。光里は懐に入れたスマホもどきに服の上から触れた。
次回から週一更新に変更になります。日曜日更新です。次回は8月3日になります。




