第七章 星躔祭まであと何日?②
シルヴィオが魔法庁と直通のゲートを開設した場所は国王の執務室の隣だった。
そこを通って久しぶりに魔法庁に出勤したデルフィーナとヒカリは長官補佐官の事務室に積み上がった書類と疲れ果てた同僚を目にして、思わず顔を見合わせた。
長官決裁の書類が全く片付かないのだとか。代行を命じられていた副官とステファノがある程度は片付けたものの、例の国軍が介入した件で業務が滞ってしまったらしい。
そもそも副長官は研究職の人なので実務の能力はさほど高くない。ステファノは領主代行としての権限を持っているだけなので高度な判断は保留になっているはず。
「……辺境に行っていた職員が帰還したんで、これでも減った方だよ……。長官が国王陛下になるなんて思わないって……」
目の下にクマができているし、ヨレヨレになっている姿にさすがに同情した。
「前長官から指示をいただいてるから、新長官の辞令が下りるまで代理決裁で全部通して構わないとのことよ。あなたたちは交替で仮眠室で少し休んで。ヒカリはそっちの決裁済み書類を返却先別に分けてくれる? それが終わったらこっちの書類の清書をお願い」
「了解」
ヒカリは心得たように山積みの書類に向かう。デルフィーナは書類を重要度と期限で仕分けして捌いていく。それを見て同僚たちが少し安心した様子で胸に手を当てていた。
「そういえばステファノは?」
「今日は学院の試験があるそうで……午後からこちらに来るはずだよ」
「そうね。そろそろ学院の試験期間だったわ。忙しいのね」
この書類の山は彼が試験で不在なのもあるのかもしれない。とはいえ、今後はステファノはペオーニア大公家の当主という仕事も増えるからあまり当てには出来ない。
書類から目を離さず、同僚の一人が問いかけてきた。
「ところで、二人は王都に行ってたんだよね? 奇妙な噂を聞いたんだけど……何でも当代の聖女は男性だとか。しかも女神フィオーレを降臨させて中央神殿を更地にしたと……まさかそれヒカリのことじゃ……」
魔法庁は国軍が介入しようとした件でずっとペオーニア大公領ごと魔法で封鎖していた。王都の騒ぎも伝え聞きでしかないのだろう。
ヒカリも作業の手を止めずに答える。
「僕のことだよ。更地にしたのは女神本人で僕じゃ無いけど」
「やっぱりか……魔法庁の中でも大騒ぎになってたんだよ。賭けに負けたって」
「賭け? ヒカリを使って賭け事してたの?」
デルフィーナが首を傾げた。
「いやいや。他の部署の者たちが、いつデルフィーナが中央神殿を吹っ飛ばすか賭けてたんだよ。大穴でヒカリが吹っ飛ばすとは予想外でね。だから無効になったらしい」
「まあ、ふざけた人たちね。後で苦情を言っておかないと」
デルフィーナはそう言いながらも、同僚から見ても自分がいろいろ煮詰まっていたのはバレていたらしいと気づいた。まさか賭けの対象にされていたとは知らなかった。
まあ、全員負けで賭けが無効になったのならいい気味だけど。
デルフィーナは王宮と実家を更地にしたいとは思っていたけれど、例の聖女召喚までは神殿にはそこまで敵意はなかった。
ってことは最近の賭けなのね。
「それに、女神様の御業はすごかったのよ。吹っ飛ばすなんて感じじゃなかったわ。まるで細かく霧のように消えていくのはむしろ美しいと思ったわ」
女神が一瞬で中央神殿を消し去ったのは感動的だった。砂の城が崩れるようにさらさらと消え落ちる様は魔法では再現が難しいと思った。
多分自分がやったら吹き飛ばして瓦礫の山を作っただけだろう。
「あんな整然とした整った術式なんて人の手では難しいもの」
「デルフィーナ……」
ヒカリが不安げに呟いた。また何か過激なことを考えているのでは、と心配しているらしい。半分当たっている。
「違うわよ。あれはちょっと高度すぎるからすぐには再現は考えてないわ」
「……すぐ……?」
実家を更地にする機会が来るまでに少しでも分析して試してみたいと頭の端っこで考えていたけれど。ヒカリにはお見通しらしい。
「大丈夫。危ない事はしないわ」
そもそもそんな魔法が使われないほうがいいのだ。
そこからは猛然と書類を片付けていって、昼になるころにはだいぶ山は消え失せていた。
日常業務に戻ると、気持ちが平常を取り戻す気がした。
「休憩しようか。お茶入れてくるよ。飲む人は挙手」
デルフィーナが息を大きく吐いたのを見て、ヒカリがすかさず声をかける。室内にいた全員が手を上げたのを見てから彼は部屋を出て行った。
いや、気が利くのよね。ヒカリって。細かい事はわかっていなくても、仕事の流れや人の動きはよく見ている。現に彼がいるときの安心感は別格だもの。
以前は仕事に追われて殺伐とした気分になることも多かったのに。他の同僚達も肩に手を当てて腕を回したりと、表情が穏やかだ。
……わたしもヒカリが来る前はこの業務にあの馬鹿王子の後始末とかいろいろあったけど、それに比べれば今は信じられないくらい平和だわ。
そこへ、足早に近づいてくる気配がした。
こういうときに来る案件にはあまりいい記憶がない。デルフィーナはそう思って身構えた。
「リーラ侯爵家の元使用人という人が補佐官に面会したいと」
やってきたのは受付対応をしている事務官だった。
「面会? 手紙ではなく?」
「はい。名乗るほどではないとお名前もおっしゃらなくて、いつまででもお待ちするというのですが、どうしましょうか。四十歳代の背の高い銀髪の男性です」
普段実家のことを教えてくれていたのは侯爵家の家令で、彼の使いで下働きの者が手紙を届けにきてくれていた。経済状況の悪化とか後妻たちの横暴で使用人が長続きがしないとかいろいろ泣きつかれたけれど。
……元使用人、って誰かしら。待つってことは緊急案件じゃないってこと? っていうか、名乗るほどの者じゃないって、名乗らなかったらわからないでしょ。
歳格好からしてどうやら侯爵家の家令ではないかとデルフィーナは予想した。
「じゃあこれから休憩に入るから、もう少し待ってもらっていい?」
どちらにしても、せっかくお茶を入れてくれているヒカリに黙って行くのは悪いわ。
「わたしが不在だった間もその人は来ていたの?」
「はい。辺境に行っているとはお話したのですが」
……何だか面倒事の匂いがするわ。できれば会いたくないくらいだ。
そうしてそういう予感というのは、得てして当たるのだとデルフィーナは経験則で知っていた。
「ご無沙汰しております。デルフィーナお嬢様」
リーラ侯爵家の家令ラウロ。先祖代々侯爵家に使えている家柄の出だが、運悪く五年前に彼の父が引退して家令になった。
そう、デルフィーナの父が当主になった年だ。彼もまたデルフィーナの父によって不運に見舞われた一人だった。直接顔を見るのは家を出て以来だろうか。
銀髪と言われていたが、元々彼は金髪で苦労のせいか白髪が増えてすっかり髪の色が抜けて老け込んでしまっていた。顔色も悪い。
実家の込み入った話だったらと、長官執務室に近い応接室に通したら、しれっとヒカリがお茶と茶菓子を運んできて、隣に控えている、と囁いてくれた。
「かねてより色々とご相談に乗っていただきありがとうございました。王都を出る前にご挨拶がしたくてまいりました次第です」
「王都を出る……って家令を辞めたということ?」
「……お嬢様が辺境に出立される前に、いろいろありまして解雇されました」
ラウロはそう言って重々しく溜め息をついた。
デルフィーナが予想していたとおり、リーラ侯爵はコジモとデルフィーナの婚約を機に王妃に取り入ろうとしていたのだ。
国王シャルルは先代侯爵の功績とデルフィーナが魔法学院を飛び級で卒業したことでコジモを支えてくれると思ったのかもしれないが、王妃と侯爵の狙いは別にあった。
先代聖女が現れて五十年が経つ。近いうちに聖女が現れる。そこで婚約破棄して聖女をコジモの妃にすればいい。
……道理であのコジモが最初から喧嘩腰だったわけね。それなら早く言ってくれればそれ相応の対応をして差し上げたのに。
デルフィーナを聖女以下だと辱めることで隣国の影響で魔法を広めようとしている魔法使いたちの……ひいては彼らを守っている目障りな王弟シルヴィオの評判も貶める。
そうしたことを酒が入ると自慢げに家令の前で話していたというのだから、父も仕方のない人間だとデルフィーナは呆れた。
王妃様もよくそんな秘密も守れない人を味方にしようと思ったわね。
「……侯爵家はもうお終いでしょう。夫妻は民を偽って暴動を引き起こした罪で今朝方捕縛されたそうです。ピエラお嬢様も捕らえられているとか。聖女を偽るのは大罪です。今後は爵位と領地を返上してお家お取り潰しになるのではないかと」
「そう。それは亡くなったお祖父様に申し訳ないわね……。あなたは今後どうするつもりなの?」
「遠縁の親戚が商社をやっているので、そこを頼るつもりです。今日伺ったのはエリゼオ様の処遇を何とかしていただけないかと……」
デルフィーナは首を傾げた。聞き覚えがない名前だった。
「エリゼオって誰?」




