第七章 星躔祭まであと何日?①
一応貴族の生まれだけど、こんな豪華な部屋に住んだ記憶がないのよね。
お祖父様は質素で実用的なものを好んでいらしたから、実家の屋敷には彫刻や絵画のような美術品を飾ったりはしていなかったし、調度品も重厚で質はいいけれど華やかさがないものが多かった。
……まあ、お祖父様が亡くなったら一気に飾りが増えていたし、わたしはすぐに家を出てしまったし、今はどうなってるのかも知らない。
さぞかしあの後妻とピエラの趣味で飾り立てられてとんでもないことになってるんじゃないかしら。
王宮の一室で落ち着かない気分でぼんやりしていたデルフィーナが久しぶりに実家のことを思い出したのはダヴィデの一言のせいだろう。
わたしの実家が何かおかしなことをやってるって言ってたけど……。
いや、あの家の人たちもともとおかしいんだから、今さらって気がするけど。
元々祖父の代まではデルフィーナの生家リーラ侯爵家は神殿とは一定の距離を取っていた。けれど、ピエラが聖女に担ぎ出されたということは、父は神殿派に取り込まれてしまったのだろうか。
今のデルフィーナは成人しているし、自分の力で得た役職もある。申し分のない婚約者もいる。実力行使で来るなら撃退できるくらいには魔法の技を磨いている。
……何をしているのか知らないけど……ヒカリに迷惑はかけたくはないから悪い目は早めに潰しておかないと。
もし、あの人たちがヒカリに手出しするのなら、全力の攻撃魔法を使うことになるわ。そう言えば、あの実家はまだ更地にしてないもの。ついでにやっちゃっていいかしら。
きっと今頃あの家は悪趣味な装飾だらけだろうから、なんの芸術的価値もないだろうし。
そんな物騒なことを考えながら迎えた翌朝、控えめなノックとともにデルフィーナの部屋に現れたのはヒカリだった。魔法庁の制服を着てすでにきっちりと身支度を終えている。
「早いわね。何かあったの?」
「魔法庁に戻る前に、長官……じゃない、国王陛下? に謁見することになってるって言われて。デルフィーナも行くんだよね?」
「わたしは聞いてないわ。ヒカリだけじゃないの?」
そう答えると、ヒカリは絶望したような表情になった。
「謁見って何すればいいのかわからないんだけど……作法とかあるのかな? 失敗したら無礼討ちになる?」
ヒカリの住んでいた世界ではそんなに無礼者に厳しかったんだろうか。
確かに貴族社会や王宮にはいろいろとしきたりや慣習があるけれど、少々のことで処罰されたりはしない。ただ恥をかくだけで、それが社交界では致命的になる。だから命までは取らない。
「大丈夫よ。……でも、不安ならわたしもついていくわ」
いつもの習慣で朝食前にはほとんど身支度を終えていたデルフィーナは、姿見の前に立ってざっと身なりを確認した。
シルヴィオがヒカリだけを呼び出すのはどういうことなのか。それが気になった。
「いや、ヒカリを呼んだのは事実だが、別に他意はない。ヒカリに聞きたいことがあっただけだ」
謁見の場は国王の執務室だった。大勢の官吏がずらりと書類を抱えて出入りしていて、早朝から仕事に追われているのが察せられた。
ヒカリとデルフィーナの到着を聞くとすぐに人払いをしてくれたが、ヒカリの顔を見て先代聖女の彫像でも思い出したのかすれ違った文官たちがざわついていた。
シルヴィオは少し疲れた様子で二人に椅子を勧めた。
「聞きたいこと……ですか?」
シルヴィオは一枚の書類をヒカリに差し出した。
「……君を魔法庁の長官に任じたいと思っている。本来ならわたしの副官をしていた人物がなるはずだったんだが、辞退してきた。聖女様の上司になど畏れ多くてなれないと。だから君を長官に据えれば問題ないだろう」
「え?」
ヒカリが困惑して固まっているのを見て、さらにシルヴィオは言い添えた。
「人事の刷新は急務なので、色々と頭を悩ませている。わたしを助けると思って引き受けてくれないか。実質の業務は難しいことは部下に丸投げでいい。わたしだって長官としてやっていたのはほとんど他部署や王宮との交渉役だ。今後は魔法庁の邪魔をする者はいなくなるから、ヒカリに負担はかけない。というより、わたしが王なのだからヒカリに対して何かするものを堂々と処罰できる」
「……」
ヒカリはしばらく黙り込んでいた。きっと話が大きくなりすぎて、頭の中でぐるぐると考えているに違いない。
デルフィーナはその横顔を見つめながらそう思った。
真面目すぎるのよね。責任とか役目とか。実質聖女の最大の役目だった魔族対応も終わっているし、神殿があれだけ損害を受けてる状態なら聖女を取り戻そうとはしないだろうし。
縁談やらなんやらで取り入ろうとする輩はわたしが潰してみせるつもりだから問題はないのに。
守ってもらうだけでは申し訳ないとか思っていそう。
「わたしは今まで通り補佐官をさせていただいて構わないのでしょうか?」
デルフィーナの問いにシルヴィオは頷いた。
「もちろんそのつもりだ」
「ヒカリ。だったら断る理由はないでしょ? このわたしが側についているのよ? それに魔法庁のための客寄せ? になるのは構わないって言わなかった?」
彼が国王直属機関の魔法庁のトップに立てば、聖女が神殿の所有物ではないことを明らかにできる。そして、それに手出しするとなればシルヴィオが黙っていない。
職務は今後覚えれば良いだけだし、長官室の者は優秀だ。
肩書きが増えるだけのことじゃないの。
デルフィーナの言葉に、ヒカリは小さく吹きだした。
「……そうか……その通りだね」
それから彼はシルヴィオに向き直って一礼した。
「慎んでお受けさせていただきます。誠心誠意務めさせていただきます」
「そうか。では近日中に正式な通達を行う。それまでは今までの職務についてくれ」
シルヴィオははっきりと安堵した様子で頷いた。
「……お疲れなのですか?」
ヒカリがそう問いかけた。確かに今日のシルヴィオはいつもより語調が弱い気がした。
「昨夜はほとんど徹夜でね。兄上が先送りしていたり見逃していた案件をここぞとばかりに持ってくる文官もいて。すまないが、しばらく領地には戻れそうにない。ステファノのことも心配だから様子を見てきてはもらえないか?」
「……わかりました」
ヒカリはそう言いながらシルヴィオに歩み寄った。ふわりと周囲を柔らかい光が包む。
治癒魔法? いつの間に使えるようになったのかしら。
デルフィーナも治癒魔法がいくらか使えるけれど、水魔法をベースにしたものだ。彼のそれはまるで陽光が大地を照らすように温かい。
「治癒か……気を使わせてしまったな」
シルヴィオが少し眉を下げて表情を緩めた。
「いえ、本当はちゃんと眠った方が良いので、ほんの少し疲れが取れる程度にしました」
「ありがとう。本当にあちこち問題だらけで横になってもおそらく眠れないだろう。兄上はよくこんな地位にいて愛人を渡り歩いたりできたものだと感心する」
それは単に周囲に丸投げして何もしてなかっただけでは……。
デルフィーナは内心そう呟いた。きっとシルヴィオもわかっているのだろう。丸投げされてきた立場だったのだし。
「そうだ。二人に聞いてみたいのだが、神殿が女神の怒りを買ったとは伝わって民は困惑している。それにいずれ神殿を再興するにしても、それまで女神への信仰を支える支柱となる存在は必要だ。何かいい方法はないだろうか」
それを聞いたデルフィーナはふと、窓際に飾られた花に目を向けた。ヒカリもデルフィーナの目線を追って同じことに気づいたらしい。
そうよ。すっかり忘れそうになっていたけれど……。
「星躔祭……予定通り行うことはできませんか?」
シルヴィオがそれを聞いて軽く目を瞠る。




