第六章 奇跡は起こすもの④
光里は女神に向き合って今度はこの国の言葉を使って呼びかけた。
「女神フィオーレ、どうかあなた様から道を示していただけませんか。我らが間違えないように。このままでは人々は互いの主張で争い傷つけ合うだけです」
ラノベの中で聖女が降臨した女神に告げた台詞をそのまま口にした。
女神が小さく頷いた。そして白い指を中央神殿に突きつける。轟音とともに神殿が溶け落ちたように見えた。その中から光に包まれた小さな箱が現れて女神の手元に降りてきた。
それを光里に差し出す。光里は恭しく一礼してからそれを受け取った。
赤い塗装がされた金属製の箱。それを見たシルヴィオが表情を変えた。
「まさか……本当に存在したのか」
『これは先代の王が残したもの。聖女光里。そなたに託そう』
民の間からざわめきが起きる。人々は神殿の関係者がいる方向を見て何か小声で話しているが、それが先代国王の遺言状だとわかる者もいたのだろう。
『……本当はもう聖女を招く必要などなかったのだ。わたしとの誓約も守れぬ者たちに代行者を名乗らせることはない。わたしの名を語って集めた富は苦しむ者のために使うがいい。華美な神殿など要らぬ』
機械のような声が響いた。
『先代国王が息子シルヴィオ・ディ・サンクティスに聖女を助けた礼に祝福を与える』
女神は自分の頭にあった花冠をシルヴィオの頭に載せた。驚きに目を瞠ったシルヴィオだが、その場に跪いて女神に一礼した。
ラノベの中では聖女と共に魔族討伐に向かう王子ダヴィデに祝福が与えられた。そして二人は辺境に赴きやがて魔族との和解を成し遂げる。
けれど、先代国王の遺言状の存在と同時に長官に冠なんて被せたら、女神が彼を戴冠させたように見えてしまう。
内心困惑していた光里だったが、人々から歓迎する声が上がる。
思わず女神を見ると、何故かこっそり親指を上に立ててきた。
いや、グッジョブじゃないから。誰にそんなの教わったんですか。
女神様やりすぎだから、これ。っていうか、遺言状の中身はやはり先代国王はシルヴィオ長官を王太子に指名していたってことなのか?
『あとは好きにせよ』
満足げにそう告げると女神は金色の空に溶けるように消えてしまった。
空の色は次第に元に戻ったけれど、光里の周りに小さな光の破片が取り巻くように舞っていた。
立ち去り間際に日本語で『姉弟ともども巻き込んですまなかったな』とだけ言い添えて、女神の気配はなくなった。
広場は異様な空気が漂っていた。人々は頭を垂れて両手を組み合わせて女神への祈りを捧げている。
そしてさっきまで強気だった神殿の関係者たちは居心地悪そうに護衛の陰に隠れていた。
何しろ彼らが「女神のお告げがあった」と言って非難していた魔法庁の長官が女神から祝福の花冠を授けられたのだ。その花冠は次第に薄れて消えてしまったが、あたかも王冠のように人々の目には映ったはずだ。
先代国王の遺言を隠匿していたことも明らかにされてしまったし、光里が本物の聖女だったと告げられて神殿が任じたピエラが偽物だとバレてしまった。
しかも今まで多くの寄進を集めて豪奢な神殿を作っていたのに、それが女神自身から否定されてしまったのだ。完全に居場所を失ってしまった。
まあそうだよな。女神様がお小遣いを求めてくるわけがないんだし、信者から集めたお金は神殿の中でいいように使われていたんだろう。あの中央神殿の豪奢な内部を思い出すと、その建造資金で他にできることはなかったのかと思う。
その上で政治まで手出ししてきていたのだから、同情する気にもなれない。
魔法庁を非難するために集まっていた人々は、女神の降臨という奇跡を興奮気味に語りながら穏やかに去って行った。
その女神の姿は王都全体から見えており、さらに神殿の周辺にいた貴族たちにもその声が届いていたという。自分たちに正義がないと突きつけられて、神罰が当たるのではないかと慌てて礼拝する姿も見られたと、あとで聞かされた。
シルヴィオはすぐに国王の執務室に向かった。諸侯を招集して会議を開くという。
光里とデルフィーナは王宮内のシルヴィオの私室で待機するように言われた。
王位継承の正当性が疑われる問題が起きてしまったのだ。あの遺言状の開示と今後の話し合いが行われるのだろう。
まあ、僕たちには関わりがないというか、関われるはずもない話だし。
そう思いながら光里は豪奢な長椅子に座ってお茶を口にしていた。正面に座っているデルフィーナはお茶を運んできた侍女が部屋を出た瞬間勢いよく問いかけてきた。
「凄いわ。ヒカリ。いつから女神様の言葉が話せるようになったの?」
デルフィーナには何をするのか話しておいたけれど、日本語で話していた部分はわからなかったはずだ。そして、光里の様子からあの女神は光里が作った映像ではなく本物なのだと気づいただろう。
彼女は何か高尚な話をしていたとでも思っているんだろうか、目を輝かせて光里の顔を覗き込んできた。
「女神様の……っていうより、僕が元いた世界の言葉。姉さんがそうするように言ってたから」
この世界の事情を考えて言葉を選ぶくらいなら、自分の言葉でストレートに言ったほうがいい。どうせわかる人はこの世界には自分の他に一人しかいないんだから。
「女神様はきっとこの世界であの小説の物語を再現するつもりだったんだ。ところが先代聖女に物語の内容を知る姉さんが来てしまったから綻びができてしまったんだって」
女神の思惑すら破壊する姉も凄いとは思うけれど。
先代聖女となった姉さんは魔族との和解交渉を成功させて、さらに魔王エイスリンの妃に収まってしまった。そして、聖女召喚を禁止した。
つまり物語は出落ちどころか始まる前にオチがついてしまい、主人公がこの世界に来ることもなくなった……ということだ。
それで女神は五十年前に物語を再現することに匙を投げてしまい、この世界の人々が自由に好きなようにやってしまった結果が現在だ。
「たしかに神殿は他国からの干渉を嫌うし、魔法も否定するし、民に寄進を強要するし……このまま権力を持たせていたらこの国は遅れる一方だわ」
この国の民は国税の他に神殿へも寄付の支払いを強要されていた。二重の課税でその負担は大きい。その上閉鎖的な考えを押しつけていたのでは、民の足を引っぱっているだけにしか思えない。
人々が女神フィオーレを祀るのは自由だ。けれど、それを利用するのはどうなのか。
デルフィーナも魔法庁で働いていたから神殿側の横暴には腹を立てていたのだろう。
「でもまあ、これでしばらくは文句言えないでしょ。ヒカリが魔法庁にいる限りは手出しできないし、まして長官は女神様直々に花冠をいただいたんですもの。すっきりしたわ」
「あとは前王太后が諦めてくれればいいけど……」
「そうだね……このまま敵対行動をやめてくれるといいね」
作中ではエーヴァ前王太后と神殿派の貴族たちは王子に保護された聖女を王宮から奪い返して洗脳しようとしていた。それに失敗したことを聞いてエーヴァは怒りのあまり興奮して倒れて亡くなってしまう。
今頃自分の居城で立て籠もっているはずだけど……この改変された状態ではどうなるかはわからない。
不意にデルフィーナは口元に手を押し当てて考え込む仕草をした。
「それにしても、女神様の使う力は魔法とはまた違っていたわ。あれは魔法で再現できないかしら。あれは大理石を砕くというより分解したって感じだったから……。ということは粉末にしたんじゃなくてもっと小さな単位で……。うわ、今後のためにも再現したい」
「デルフィーナ?」
どうやらデルフィーナは女神が一瞬で神殿を消滅させた術に感銘を受けていたらしい。
もしもし? 今後ってまた何かを更地にするつもりですか? どこで再現するんですか。
光里はそう思いながらあれこれ呟いているデルフィーナを見つめていた。
魔法に関わっている彼女は本当に楽しそうで、そのくるくると変わる表情が可愛らしい。
色々物語が改変されたけれど、デルフィーナはあの小説の中ではしきたりに縛られた高潔な貴族令嬢だった。そんな窮屈な生き方をしなくて済んだのは良かったんじゃないだろうか。
もちろん楽ではなかっただろうし、家の中での問題はあったかもしれないけれど。彼女は努力して自由を得ることができたのだ。




