第五章 ニセモノ聖女とホンモノ聖女⑦
「……奇跡、です」
「「「奇跡?」」」
全員の言葉が揃ってしまった。
「その……異界から来た聖女が奇跡を起こして退けるという……」
ヒカリはそう言ってから全員の視線に耐えかねたように首を横に振った。
「ヒカリ、奇跡起こせるの?」
ステファノが目を瞠った。
ヒカリはどうやらそれが一番引っかかっていたらしい。
「……どうも僕が奇跡を起こさないといけないらしいです。できる気はしないんですが」
ヒカリが言いにくそうに応えた。自分にそんな力はないとでも言いたげに。
奇跡? 何か派手な魔法を使えば民衆の度肝を抜くことはできるかもしれない。けれどヒカリが使える魔法はまだ少ない。
ヒカリが現在使える魔法は奇跡というには地味過ぎる強化系の魔法だけ。それで大勢の民衆や神殿の兵士たちを納得させられるの?
「……大丈夫なの? というか、そんなことをしたら神殿側にもヒカリが聖女だとバレちゃうんじゃないの?」
デルフィーナは思わず問いかけた。
「何となくそれが一番穏便な手法じゃないかと思うんです。……なので大変申し訳ないんですが、僕も王宮に連れて行ってください」
ヒカリはどうやら姉と話したことで何か決意を固めたのかもしれない。
どういう巡り合わせなのか、矛盾していても物語の中の出来事が発生するようになっている。まるで強制するかのように。
物語の主人公とは別人であっても、彼が物語の中の聖女として立ち回るしかない? でも、それなら物語の聖女は王子と結ばれて妃になるって言わなかった? そんなの絶対嫌なんだけど。
「もちろんわたしも行くわよ」
「ありがとう。でも本当に危険だから気をつけてほしい。これもきっと姉のやらかした結果だから、僕には他人事にできない。物語の主人公なんて柄じゃないんだけど、やらなきゃいけないことがあるんだ」
彼の知る物語が改変されていても、主人公が異界から来た「聖女」だということは変わりない。
本来なら物語で異界の聖女が全てを解決し、平和になったからもう聖女召喚は必要ない、となるはずだった。彼がめざしているのはきっとそれだろう。
わたしはきっとここで重要な役目があるわけじゃない。だけどヒカリを一人で送り出すなんてできない。
……だってわたしはヒカリをどこにも渡したくないんだもの。
「あんまり気負わなくていいわ。もし上手くいかなくてもわたしが魔法で神殿を更地にしてあげるから」
奇跡なんて不確かなものに縋らなくても、彼らに特大の罰を与えるくらいデルフィーナには簡単だ。妄想の中でなら何十回となくやってきたから練習は十分している。
「頼りにしてる。ありがとう」
デルフィーナの言葉にヒカリは照れくさそうに笑った。
長官室の開かずの扉、それが王都のペオーニア大公家の本邸に繋がっている。
そして本邸には王宮の地下に繋がる隠し通路の入り口がある。傍系王族としてそれを管理する役割を担っているためだ。
だから王都の本邸にさえ戻れればそこから王宮に入ることは簡単だ。
本邸は固く門を閉ざしていた。すでにステファノが指示していたのだ。魔法庁への反発は大公邸にも矛先が向く可能性があると思ってのことだろう。
シルヴィオとデルフィーナとヒカリの三人がゲートを抜けると、窓の外に広がる王都の街があちこちから煙が上がって尋常ではない気配が漂っていた。
シルヴィオを出迎えに来た家宰が屋敷全体の防御魔法がつつがなく作動していることを報告した。
「どうも魔族の宣戦布告は魔法庁の対応のせいだという噂が流れていて、魔法は邪法だと声高に煽っている者がいるようです。今回の魔族対応も神殿や聖女を蔑ろにして出しゃばってきたのだと」
「出しゃばるもなにも、動かなかったのは奴らのほうなんだが……ものは言いようだな」
シルヴィオは眉を寄せてそう呟いた。
神殿は聖女召喚に失敗した頃から魔法庁に対する反感を入れた説法で民を煽っていたらしい。召喚の失敗も魔法庁の存在に女神がお怒りなのだと言う始末だ。
そして新たな聖女を立ててさらに魔法庁への敵意を露わにしてきた。
ステファノが本邸に警告してきた日に王都の各所で暴動が起きた。
どさくさに紛れて放火や略奪をする者も現れて混乱しているという。
この本邸にもすでに暴徒が押し寄せていて時折投石などもしてきたが全てはね返された。それで薄気味悪く思ったのか今は遠巻きにしているだけだという。
「それから、ダヴィデ様からの言伝が。『女狐は女怪の城にいる。王宮にいるのは伯父上だけ。女狐の子分と鼠は全員捕まえた』だそうです」
「そうか。なら我々は王宮に向かう。使用人達は事態が収まるまで屋敷から出ないように」
シルヴィオはそう言ってデルフィーナたちに振り向いた。
「二人には言っておく。わたしは兄上のことを嫌っても憎んでもいない。お人のいい兄上に取り入ってこの国を滅ぼそうとする奴らを追い払いたいだけだ」
先代国王は二人の王子のどちらにも厳格な教育を施し、外交にも積極的に関わらせていた。第一王子シャルルはそのどちらにもついていけなかった。それどころか第二王子に答えを教わろうとする始末だった。だから第一王子の即位を危惧する声もあった。
先代国王が急な病で崩御した時、遺言はなかったと言われていた。
そのため諸侯を集めた貴族会議で王位継承者が決められた。
シャルルの母后は神殿派貴族の出だった。隣国サンテールからの干渉を嫌う神殿派の貴族たちが第一王子を推したため彼の即位が決まったのだ。
現国王のシャルルは今でも国政で困ったことがあればシルヴィオに頼るし、彼の周りにいる有能な官吏もシルヴィオがつけた者たちだ。本人も自信なさげなところがある。
デルフィーナの国王に対する印象も他人頼りでちょっと情けないおじさま、というものだった。
自分を買いかぶらず頼る相手を間違えないのは彼の美点だが、身内に甘いので妃や貴族たちが好き勝手やっているのを止められない。神殿に対しても及び腰で干渉を防げない。
シルヴィオは冷酷そうに見えて情に篤い人だ。あれこれ言いながらも実の兄を完全に見捨てることもできなかったのかもしれない。
赤い箱の存在をリナから聞いても、彼はそれを逆手に取って兄を王座から引きずり落とすつもりはないようだった。
それなのにシャルルを支えてきたシルヴィオを神殿派の貴族たちはどうにかして追い落とそうとしている。おそらくは彼が魔法研究を進めてきた第一人者で、それによって神殿の権威が翳ることを恐れているのだろう。
彼らが動く動機は国益ではなく私欲だ。シルヴィオが排除したいのは国という大樹に巣くう害虫のような者たちなのだろう。




