第五章 ニセモノ聖女とホンモノ聖女②
「欺されてはいけませんわ。コジモ殿下。これはお姉様の企みに違いありませんわ。先代聖女がこんなに若いはずありませんもの。きっと偽物を連れてきて欺そうとしているんです」
偽物と言われたリナのこめかみがピクリと動いたけれど、デルフィーナは見なかったことにした。
ピエラは今度はデルフィーナに向き直って芝居がかった口調で訴えてくる。
「もうやめて。お姉様、王子殿下になんて酷い事をなさるの。いくら婚約を破棄されたからといって……」
「何を言ってるの? わたしとそちらの殿下との婚約はもう解消されているわ。国王陛下の了承もいただいてるのよ? それに武器を向けたり暴言吐いたりと酷い事してるのそっちじゃないの?」
ピエラは目を瞠った。
「え? え? でも……あれ?」
可愛らしい見た目だけどあいかわらず考えが足りない。何事も真剣味がなくて、真面目にやろうとしない。
デルフィーナはこの妹のことは義母や父同様、実家に住み着いている赤の他人だと思っている。いやむしろ他人よりも他人かもしれない。
「そもそも何をしに来たの? わたしたちは王命で魔族の対応のためにここに来てるのよ? 今まさに交渉の真っ最中なのよ。それを邪魔するってどういうこと?」
今回はヒカリのおかげで魔族側の狙いがある程度掴めていたから、全面的な武力行使になる可能性は低かった。ただし、聖女召喚をやらかした人たちが大人しく非を認めてくれれば、だが。
それをぶっ壊すような真似をしてどうするの。向こうは王宮と神殿を更地にする気満々だし、コジモ王子と神官たちを魔獣の餌にしようとか言っちゃってるのに。
「謹慎中の殿下が兵士を動かして砦に押しかけるなんて誰のお許しがあってのことかしら? 王命に逆らっているのはどちらかしら?」
辺境伯は国王から国境警備を任されている重要な存在だ。王子だからと言ってその権限を侵害することは許されるはずがない。王弟であるシルヴィオも辺境伯に対して協力という立場を崩さなかったくらいなのに。
「そんな。わたしは聖女なのよ? そんなことしたら……」
おろおろと王子に助けを求めるけれど、王子の方は逃げ場所を探しているように目線を彷徨わせている。
デルフィーナの魔法とリナの言葉で衝撃をうけてしまったかのようだ。
そう言えば殿下に攻撃魔法を見せたのは初めてだわ。戦地でしか使わないから、魔法なんて大したことないと小馬鹿にしていたのかも。
そこへ面白がるような声がかけられた。
「あら。あなたが当代の聖女なの? 見たところ何の力もなさそうなのに?」
「何を言ってるんですか。わたしは偽物じゃありませんから」
ピエラがぷりぷりと頬を膨らませてそう叫ぶ。リナがヒカリとそっくりな整った顔に満面の笑みを浮かべる。
「あら、偽物だなんて言ってないわ。偽物になれるほどの力もないんですもの」
コジモがピエラとリナを見比べて何か言いたげにしていた。どちらの言葉を信じればいいのか迷っているようだった。
今さらだわ。コジモ王子といいピエラといい自分の都合に良いことしか信じない。そして、都合の悪いことはねじ曲げてきた。どうせこの行動も誰かに焚きつけられたのだろう。
けれどこの状況で逃げ道があると思えるほど愚かではなかったのかもしれない。二人はだんだん顔色が悪くなってきた。
魔族たちへの説明が終わったのか、シルヴィオがコジモの前に出て問いかけた。
「王子殿下。何の権利があって砦にあなたの旗を掲げたのですか? 国王陛下から謹慎を命じられている殿下にはその権限はないはずです。何より神殿兵が国境警備軍の指揮権を奪うなど、神殿による国政の干渉と見なされる。それを容認して率いてきたとなれば重大な越権行為ととられるがご承知の上ですか?」
口調は丁寧だが、何をやってくれてるんだ貴様という怒りが感じ取れた。表情には出さないが言葉が氷の棘のように冷ややかだ。
連れてきた兵士たちも聖女も味方としては役に立たないと気づいたのか、コジモはすっかり自信喪失したかのように言葉を濁らせた。
「叔父上……けれど、国の一大事だから……緊急の場合は……」
「緊急? つまり、正規の手続きを経ていないということですか? その上で魔族との和平交渉の邪魔をするなら、賊軍と変わらぬではないですか」
シルヴィオがデルフィーナに目を向けた。
「ロレンツィ補佐官。砦の賊軍を片付けろ。できるな?」
「ご命令とあらば」
即答したデルフィーナは無詠唱で小さな炎を大量に展開した。
神殿兵の胸元につけられている紋章は微量の魔力が込められている。聖女の加護と言われているが、ただの光魔法のお守りだ。それを標的に砦に残っている神殿兵の戦意を喪失させる。
デルフィーナが作り上げた「特定の魔獣を追跡する魔法」はこれにも応用できる。ぱっと花火のように広がった炎が砦に向かって飛んでいく。
おそらくさっきの爆破で中にいる魔法庁の職員には何が起きてるのかわかってるはず。それに辺境警備軍も演習してきたからわたしの魔法を見たことがある。王子に逆らうわけにいかないから彼らは大人しく従ったフリをしているだろう。
きっかけさえあれば反撃できるはずだ。
神殿兵たちも魔獣討伐に参加していたのなら、わたしの敵に回ったらどういう目に遭うか、知ってるはずよね? 知ってて喧嘩売ってきたんだから、自業自得よね。
「……何をした? 今のは何だ?」
コジモ王子とピエラだけが状況がわからない様子で呆然としている。
「神殿の紋章を身につけている者だけを軽く炙るだけです。大丈夫ですわ。命には別状ありませんから」
デルフィーナはにこやかに答えた。二人とも顔を引き攣らせて固まってしまった。
それからすぐに砦の中が騒がしくなり、掲げられていたコジモの軍旗が引きずり降ろされた。そして、様々な色の炎魔法が花火のように打ち上げられる。城壁の上から手を振っているのは魔法庁の制服を着た魔法使いたちだ。
砦は国境警備軍が神殿兵たちを取り押さえて、指揮権を取り戻していた。
彼らはデルフィーナたちが魔族と交渉するために出かけた直後砦に押しかけて来て、コジモ王子が身分を盾に辺境伯から指揮権を奪うと彼を司令官室に閉じこめたのだとか。
今はコジモ王子と自称聖女ピエラも辺境伯の監視下だ。処遇については王宮に連絡して判断を仰ぐということになった。
どうして王宮で謹慎していたはずの王子が移動魔法を使ったデルフィーナたちとほぼ同じ頃に砦に来ていたのか。
理由は簡単だ。中央神殿にも移動魔法のゲートが作られている。聖女を辺境に送り出すためだと主張されてシルヴィオがしぶしぶ設置したものだ。魔法庁のものより小規模だが、回数を分ければ大人数でも送り込める。
ステファノが連絡してきたのは、その動きを察知したからだろう。
設置時の条件でゲートが作動すれば魔法庁に通知が行くようにしてある 。今頃神殿にあるゲートはステファノが強制停止させているだろう。これ以上の援軍は来ない。
しかも罪状が、魔法庁と辺境伯軍が魔族と結託している? 無理がありすぎでしょ。
でもヒカリに魔族の目的とか聞いてなかったら、宣戦布告してきた魔族への対応に集中するしかなかった。そこを背後から討たれたら危なかったかもしれない。
いや、そうするつもりだったんだわ。神殿側は。
これを機に魔法庁を潰す気だったのよ。魔族との対応を誤り、国益をそこねたとか言い張って、やはり魔法などあてにならないと主張するために。
そして王族である長官を糾弾するにはコジモ王子を利用するしかなかったんだわ。
……一つ間違えば長官もわたしたちも殺されていたかもしれない。
そう思うとぞっとする。コジモ王子はともかく兵士たちはそれができる装備を持っていたのだし。
ただ、彼らは状況がわかっていなかった。ヒカリの姉が魔族と行動を共にしていたこと、彼らが最初から国境警備軍や魔法庁と衝突するつもりがなかったこと、デルフィーナを始めとする魔法庁の力を甘く見ていたこと。
そもそも魔法庁と対決するつもりなのに、シルヴィオが設置した移動魔法のゲートを使うあたりが甘すぎた。
だけど、神殿派の貴族たちや神殿側は今まで魔法庁を軽んじてはいたけれど、聖女不在で求心力を失いかけていたから強気には出てこなかった。
……どうして今になって? 今魔法庁の力を削ったところで、神殿の権威が増えるわけじゃないわ。その上能力のないピエラをわざわざ聖女に仕立て上げたり、やっている事がよくわからないわ。
それともこの状況で得をする人がいるのかしら?
デルフィーナは今回の実働部隊を捕らえたところでまだ背後にいる存在が残っていることを察していた。




