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第四章 辺境戦線異状アリ⑦

 正式に養子の手続きが終わったので光里はヒカリ・フォンダ・ディ・サンクティスという名前をもらうことになった。フォンダ、というのは本名の「本多光里」の発音が聞き取りにくかったらしくて、いっそそれでいいかと妥協した結果だ。

 デルフィーナに言われた隠し名についても確認された。

 名前の一部を隠すのは魔法使いや貴族にとって常識らしい。知っているのは親くらいで、夫にも教える義務はないのだとか。

 そう言えば小説の中でも主人公が名前を全て教えてはいけない、と警告されるんだった。それを告げたのはデルフィーナではなくダヴィデだった。

 名前で縛ることで相手を操る術が存在する。小説の中では過去に神殿側の神官が聖女から隠し名を巧みに聞き出して、都合が良いように操っていたというエピソードがある。それを知っていた王子が主人公に警告するのだ。

 ……それまでの聖女はうっかり正直に名前を教えてしまって、神殿の操り人形だった。小説の中の先代聖女もそうだったのかもしれない。

 ところが、何が起こったのか召喚されたのが光里の姉だった。操るどころか言う事なんて聞かなかっただろう。当時の神殿関係者は大混乱したに違いない。

 姉さんのやったことは間違いじゃない。主張していることだって。約束を破ったのはこの国の神殿関係者とコジモ王子だ。非はこちらにある。

 ……でも、魔族と戦争なんてことは避けたい。

 とりあえずこの先、この国で生きていくつもりだし、仕事だって魔法庁の職員だ。だから、この国がなくなるのは困る。

 ……最悪僕一人で彼らに会えないかな。もし姉さん本人があそこにいるのなら、何とかして怒りを収めてもらわないと。その上で神殿と王子にバチが当たるのは仕方のないことだし。


「……魔族に接触するならわたしも行くわよ? ヒカリ一人だけ行かせないわよ」

 昼食時に合流したデルフィーナはどうやら国境警備軍から現状を聞いたらしい。そしてそれを聞いた光里が何を考えたのかも気づいているようだった。

「もし、これが巧妙に先代聖女を語る罠だったら何をされるかわからないわ。魔族とは今まで正式な交渉がなされたことがないのよ。彼らとは言語も文化も違うから」

 今回の件でこの国の人が何に一番衝撃を受けたかと言えば、魔族がフィオーレ王国の言語と文字を使って宣戦布告してきたことだった。

「え? つまり魔族って会話の通じない怪物扱いで、対等な人間だとも思われていなかったってこと?」

「神殿がそう教えていたからこの国にはそう考えていた人は多いわ。他の国だと未知の言語を使う異大陸からの移民とか考えているところもあるけど。直接交流しようとした国はなかったはずよ」

「そうか……デルフィーナや長官のお母さんは隣国の人だから」

 この国の人たちは中央神殿の教えを信じ込まされている。聖女に対する過剰な期待もその表れだろう。

 デルフィーナたちが彼らと同じように光里を「聖女じゃないから要らない」と見捨てなかったのは、他の国の事情を知っているからだ。

 デルフィーナは光里の顔をじっと見据えてきた。

「ヒカリは迷惑かけてるのが身内だとか、自分一人が行けばとか考えてるだろうけど、自分が言ったんでしょ? 残されて後悔するのが嫌だって。それを逆に考えたことはある?」

 言われて光里はどきりとした。残されるのが嫌だと彼女には言った。

 でもその逆だって起こりえるのだ。両親は事故に遭ったとき、僕を残していくことをどう思っただろう。

 出会って間もない彼女ですら、気にかけてくれるのに。

「ごめん……」

「いいのよ。たとえ一人で行ったってわたしは勝手に追っかけていくから。ヒカリを見ていると先代聖女のように無茶をするんじゃないかって思ってしまうのよ。だからヒカリを一人にしないのがわたしの役目じゃないかって結論したの」

 綺麗な曇りのない瞳が光里を捉えて離さない。まっすぐで歪みのない感情を向けられて光里は胸が熱くなった。

 デルフィーナの強さはそうでなければならなかった反動だろう。きっと彼女は傷つけられ抑圧されてきた。それを全く見せようとしないけれど。

 だから彼女は僕のような人間を見捨てずにいてくれたんだろう。本来なら彼女が面倒を見る義務なんて何一つなかったというのに。

 すごい女の子だ。ずっと年下なのに尊敬してしまう。

 そして、とても愛おしいと思う。今まで誰かに告白されて付き合っていても揺らがなかった心が、彼女を見ているとふわふわと柔らかくなる。

 この感覚を形にしたいと思って絵の道具を買いそろえてみたりもした。四年前から絵筆を取る気持ちになれなくなっていたのに。

 この四年間うずくまって動けなかった自分が彼女といることで変われそうに思える。

 激しく燃え上がったり、浮かれて舞い上がるようなものではないけれど、もしかしたらこれが恋というものだろうか。

「……じゃあ、長官に二人で話しに行こうか」

 光里がそう提案するとデルフィーナは嬉しそうに微笑んだ。

 

「いきなりこちらから訪ねるのは危険だろう。向こうが手紙を寄越すのだから、こちらから返事を出せばいい。ヒカリが書くのがいいだろう。向こうも交渉に乗ってくる可能性が高い」

 シルヴィオは光里とデルフィーナの提案にそう答えた。

 それで光里はペンと紙を与えられてお互いの代表同士の話し合いを提案する書状を作ることになった。文案はシルヴィオが作ってくれたのでそれを書き写すだけだが。

「ヒカリは字が綺麗よね。こちらだと清書を専門にする仕事があるくらいだから、綺麗な字が書ける人は貴重なのよ」

 デルフィーナも書類仕事をしながら時々光里の書いた文章をチェックしてくれた。

「ああ、だから僕が清書してたら皆すごく感激してくれるんだね」

 魔法庁で仕事をし始めて、最初に思ったのが書類の書式がバラバラで、しかも悪筆な人が多くて文字が読めないからか確認作業が入って処理が遅れがちということだった。

 おそらく召喚されたときに与えられた能力なのか、光里はこちらに来て言葉に困ったことがない。市場で話しかけた相手が外国の人間だったこともある。通訳をしたらとても感謝された。

 それは文字でも同じで、この世界の文字なら悪筆でも何でも読むことができる。それを清書して元の文書につけていたらとても喜ばれた。

「ヒカリは自分の価値がわかってないわ。書類整理にしても手際がいいし、一覧表や図にして資料を作ってくれるからわかりやすくなったし。だから最初の数日でヒカリは絶対手放せないって思っちゃったのよ」

「それは所有という意味で?」

「そうね。わたしだけじゃないわ。長官に話したら同意して下さったし。神殿に返すなって即答だったのよ」

「そうだったんだ……」

 光里はペンを置いてデルフィーナに目を向けた。

「何かうれしいな。あっちにいたころは手書き文字を褒められたことなかった」

 パソコンで文書や資料をやりとりすることが多いからだ。

 こちらに来てペンで文字を手書きするのは楽しかった。元々絵を描いたりするのもアナログだったし、自分はそっちが向いていたのかもしれない。

 褒められたり認められるのはくすぐったい気分だけど、悪くない。

 それに、デルフィーナやシルヴィオに認められていたのだからなおさらだ。

 光里はもう一度ペンを手に取る。

 姉さんはこちらの世界でどんな風に過ごしていたのかわからないけど、もし会えるのなら、話したいことがある。

 だから、僕がここにいるってわかってほしい。

 書状の余白に姉が好きだった白い猫のキャラクターを描き込んだ。そしてその下に漢字で「光里」とサインを入れた。

「……これは何? 猫型の魔獣?」

 その手元を見たデルフィーナが問いかけてきた。

「え?」

「だって猫は二足で立ちあがったりしないし、服を着たりしないわ」

「……たしかに。でもこれを見たら姉さんなら反応があるはずだよ」

 シルヴィオ長官からは光里本人が書いたとわかる書状にするように言われた。

 だったらこれしかない。

 大人びた雰囲気で気が強くてしっかり者な姉だけど、このキャラがついたグッズをたくさん持っていた。コラボには必ず食いついていた。何なら僕も付き合わされた。忘れてはいないはずだ。

 光里はそう思いながら、納得いかない様子で首を傾げているデルフィーナに説明した。

「あっちの世界だと熱烈なファンがいる猫ちゃんなんだよ。姉さんは大好きだったんだ」

「……そうなのね。不思議な感じだけど……。そんなに好きな人がいるのなら、好ましいのね……」

 どうやらこちらの世界ではこのキャラの魅力は伝わりにくいらしい。「どうして良さがわからないの」とぷりぷり怒っている姉の顔が浮かんで、光里は口元に笑みが浮かんだ。

「デルフィーナ。いつでもいいから、君の好きなものも教えてほしいな」

 買ったばかりでまだ使っていない絵の道具。もしデルフィーナが好きな花や動物があるのなら、それを描くのもいいだろうと光里は問いかけた。

「わたし? そうね……ヒカリが前に作ってくれたマヨネーズ? あれは好きよ」

「あー……そっちか。あれは日持ちしないからまた作ってあげるよ」

「やった。楽しみにしてるね」

 以前、作り方を覚えていたのでマヨネーズを作ってサンドイッチにしたことがあった。

 異世界チートと言うほどでもないが、彼女のお気に召したらしい。

 ……まあ、絵にするにはちょっと地味だけど、現物を作ってあげれば良いか。色気より食い気というのも可愛いし。

 そう思いながら光里はインクが乾いた書状を届けるために立ちあがった。

 ちなみに光里が描いた猫のキャラクターを見たシルヴィオ長官の反応は「異界には二本足で歩く猫がいるのか」というものだった。


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