第四章 辺境戦線異状アリ②
シルヴィオは職員たちの動揺を鎮めるように手のひらを向ける。
「皆の心情は理解する。危険な作戦になるだろう。我々は魔族対応を想定して準備をしてきたとはいえ、国軍や騎士団の援護がないこの状況では万全の活動ができるとは断言できない。出動部隊は高位魔法を使える者を中心に編制する。参加を望まないなら辞退を認める。本日中に部隊を編成して翌朝辺境に向かうので、辞退者は届け出るように」
それだけ告げると彼は演壇から降りた。まだざわめいている職員たちの間を抜けて光里は長官とデルフィーナが出ていった方向を追いかけた。
デルフィーナもさすがに神殿や軍のやり口には腹を立てていた。
けれど自分の執務机に戻って猛然と山積みになった書類を裁きながら愚痴っているあたりはさすがだと光里は思った。
怒っていても仕事の手は止まっていない。
「……神殿派が今の軍上層部に多いと聞いていたけれど、魔法庁との協力を拒んでくるなんて公私混同も甚だしいわ。ダヴィデがキレて暴れてないといいけれど……」
光里は崩れる前に決済済みの書類を返却先ごとに仕分けしながら頷いた。
「うん。多分長官や君を心配してるだろうね。でも、暴れたりはさすがに……」
あの年齢で第一騎士団長という立場にあるのなら、無闇に暴れるようなことはしないだろうと光里は思ったけれど、デルフィーナは書類を見据えたまま呟いた。
「ダヴィデは暴れてなくても、軍上層部をどうやって始末するか脳内妄想してるわ」
「え? なんか怖いんだけど」
どうやらダヴィデは誰かにキレて剣を抜きそうになったら、気持ちを鎮めるために脳内で相手を始末する方法を妄想しているらしい。
アンガーマネージメントの一種? ストレス発散法……なのかな? かなり物騒だけど。脳内ならまだ問題ないはずだし。
デルフィーナの元婚約者の王子はダヴィデの脳内ではなんと百五十回も始末されていたという。カウントしているあたり意外と根に持つタイプらしい。どれだけやらかしたんだあの元婚約者……。
なるべく怒らせないようにしようと光里は決意した。
ふとデルフィーナが顔を上げてこちらを見つめてきた。
「……ヒカリも行くのよね?」
「行くよ。それに姉が絡んでいるかもしれないのなら、行かないと……」
姉本人かどうかの確証はないけれど、どちらにせよ、「リナ」という人物はこの国に対して宣戦布告してきた。自分が行けば何かできるかもしれない。
「そうよね。そう言うと思った。とにかく実戦が始まるまでに使える魔法を教えるから、無理はしないでね。光属性はあまり戦闘向きじゃないし」
デルフィーナはまだまともに魔法を使えない光里を心配してくれている。
彼女の言う通り、元々光属性はどうやらバフ系の効果が多いみたいだ。他属性の魔法に光属性を混ぜると強化するらしい。書物にはそう書かれていた。
……あのラノベの設定通りなら他の使い方もあるんだけど、試してみたほうがいいだろうか。ただ、それを話すには、小説のことを説明しないといけなくなる。
「あの……デルフィーナ。聞いて欲しいことがあるんだけど」
デルフィーナは光里をじっと見てから頷いた。
「わかったわ。何か真面目な話なのよね? じゃあちゃんと聞くからこの仕事を終わらせてからでいい?」
たしかにこれからまだまだ長官補佐官の仕事がどっと増えるだろう。手を止めたらデルフィーナの机が埋まってしまうくらい増殖するかもしれない。
「そうだね。先に仕事片付けちゃおう。僕も手伝うし」
まずは目の前の仕事を片付けなくては。光里も決裁済み文書の仕分けに取りかかった。
姉が好きだったライトノベル。それがこの世界を題材にしたとしか思えない。
光里はそう説明した。
けれどあくまで似ているだけでこの国の現実とは全く違っている。
……主人公が別人、聖女も別人。王子も別人。悪役令嬢も立場が違う。魔法庁なんて存在しなかったし、魔族の侵攻は星躔祭よりも後だった。
小説の中では本来魔族は宣戦布告をしてくるような好戦的な種族ではなかった。
あの小説の内容はこの世界の行く末ではない。すでに大きく改変している。
……先代聖女が姉さんだという時点でもう五十年前に改変が始まっている。姉さんならあの小説の内容を知っている。きっと僕より詳しかった。
けれど、五十年前にこちらに来ているなら年齢的に存命かどうかわからない、と光里は頭の隅で思っていた。けれど、おそらく生きている。きっと今、魔族の側にいる。
姉は一本気で自分の正義を貫こうとする。約束が守れない人間は大嫌いだった。
自分が聖女召喚を禁じたのにそれを破って使ったと知れば、ブチ切れして報復に来るくらいのことはやりそうなんだよな。いや、姉さんならきっとやる。だから今回の宣戦布告も姉さんなら……と思ってしまう。魔王の妃というのは完全に意味がわからないけれど。
きっとこの世界が小説と違っている原因はほぼ100%姉さんだろう。




