第三章 婚約は突然に④
「誕生日……? 明日? うわあ……ごめん。知らなかった」
ステファノは今夜実家に泊まるからというので、官舎までの馬車は二人きりになった。
その道中、色々と説明が足りてなかったことをヒカリに告げると、彼が一番食いついたのはそこだった。
「話してないから当然よ。気にしないで」
「……こっちの世界って成人とか誕生日って祝ったりしないの?」
「祝うけど、うちの実家の親はそんなの省略するわね」
デルフィーナは実家の事情をざっくりと説明した。実家のあれこれが面倒すぎて、魔法使って更地にしてやろうかと思った事も。
ヒカリはデルフィーナが貴族令嬢だとは知っていただろうけれど、内部事情までは知らない。身内の恥だし、ヒカリに聞かせたらあまりに酷い有様に、こちらの世界に嫌気が差すんじゃないかと言えなかった。
「君の実家……酷すぎない? ホントに更地にしても構わなかったんじゃない?」
ヒカリは愕然とした顔で感想を口にした。
「お祖父様は厳格だけど公正で立派な方だったわ。でもお父様は真逆。元々わたしのお母様との結婚はお祖父様が決めたものだから、お父様は気に入らなかったのよ。今の義母とは結婚前からのお付き合いだったらしいし。貴族の結婚ってそういうものなんだと思ってたわ。だからわたし、家族とかよくわからないのよ」
ヒカリは少し考え込む仕草をしていた。外はすっかり暗くなっていて、照明の魔法具が馬車の中をほんのりと照らしている。
ヒカリは整った顔をしているし、均整の取れた長身は見栄えがする。美醜の基準がこちらの世界とは違うとしても、背筋の伸びた綺麗な姿勢と落ち着いて穏やかな物腰ならどこの国でもきっと悪印象は持たれない。
それを見てデルフィーナはふと思った。
ヒカリは家庭がほしいと言っていた。だったら早く結婚したいと思っていたはず。向こうの世界に恋人はいなかったんだろうか。
「あの……強引だったかもしれないけど、ヒカリがもし他に好きな人がいるなら、無理に婚約しなくていいのよ? 今さらだけど……」
ヒカリはそう言われて驚いた顔をした。
「え? 僕遠回しにフラれてる? おじさんでもいいって言ったのに」
「そんなつもりじゃないわ。ヒカリのことおじさんとか言ってないわ。……だってわたし、ヒカリの都合とか全然聞いてないし」
「都合っていっても、もうこの世界に来たんだから全部ナシになってるよ。ついでに言うと付き合いかけていた人はいたんだけど、その人は僕を突き落とした男とも付き合ってたんだ。だから何の未練もないよ」
「え? それ聞いてないわ」
揉めていた相手に海に突き落とされたとは聞いていた。その上交際相手がその男の味方だったとか、かなり酷い。
デルフィーナが困惑していると、ヒカリは両手で顔を覆った。
「君やステファノみたいな若い子を前に、そんなカッコ悪いこと言えないだろ……。二股かけられてたとか。一応年上として見栄ははりたかったの」
「……」
「格好悪いよね。僕は女性関係で上手くいったことが全然ないんだ。僕が君の役に立てるならって婚約を受けたけど、嫌になったらそう言ってくれていいんだよ」
デルフィーナはどうしてこんな誠実で優しい人を欺したり傷つけたりする女性がいたのか信じられなかった。
会ってからそんなに日が経っている訳ではないけど、会話や仕事ぶりを見ていれば人柄はわかる。人物鑑定ができるステファノが保証してくれたほどだ。
むしろどこに嫌なところがあるのか、デルフィーナには見当もつかなかった。
「じゃあ、わたしがヒカリと上手くいった最初の例になるわ」
「デルフィーナ……」
デルフィーナは手を差し伸べた。
「あらためて、婚約者としてよろしくね」
ヒカリは顔を上げてデルフィーナを見つめてきた。
「こちらこそよろしく」
そう言いながらデルフィーナの手を握ってきた。柔らかく包み込むように。
この人の値打ちがわからないなんて、異界は見る目のない人ばかりだったのね。
「あと言っておくけど、ヒカリは格好悪くなんてないわ。今度そんなこと言う人がいたら、わたしが魔法でこんがり焼いてあげるから」
ヒカリがぎょっとした様子で目を瞠る。
「……いや焼くのはやりすぎでは……」
「あら、じゃあ地面に埋めちゃう?」
「……気持ちだけいただいておくよ。デルフィーナはホントに格好いいなあ……」
ヒカリはそう言って力が抜けた笑みを浮かべる。
格好いいなんて。わたしだって言うほど男女の機微なんてわからない。ずっと誰かに振り回されてきたから、社交の場に出たのも希だし、同年代の女性と恋愛話をすることもなかった。
いきなり新たな婚約者とか言われて勢いで答えてしまったけど、思ったのよ。ヒカリならいいって。
会って間もないけど、好きになれそう、って思ったの。どうせ誰かと婚約することになるのなら、そういう人がいい。
「僕も君に並べるように頑張らないと……」
「大丈夫よ。何しろ前例が前例だから。アレに勝てればいいんだから大丈夫」
デルフィーナがそう答えると、ヒカリは複雑そうな顔になる。
「……アレかぁ……」
アレとは当然デルフィーナの元婚約者コジモ王子。身分以外は何一つ褒めるところがない「立派」な人だ。ヒカリとしてはアレと比べられても、という気分だろう。
「……そういえば、あの王子様どうなったの? 聖女を諦めてくれたの?」
「……今は王宮内で謹慎中で、侍従たちに当たり散らしてるって聞いたから、お元気なんだとは思うわ。あの人がいるから聖女が現れない説もあるわね」
「近いうちに魔族が現れるって聞いたけど……大丈夫なのかな?」
ヒカリは休憩時間に自分で書物を読んで、聖女の成り立ちや魔族の侵攻について勉強しているらしい。
特に自分と同じ異界人だったという先代聖女には親しみを持っているようだった。
先代聖女は召喚されてからすぐに力を発揮した。まるで女神の導きを最初から得ていたようだったと賞賛されていた。
それまでの歴代聖女は国境近くで祈祷するだけだったのに、彼女は自ら魔族の地に向かっていった。単独で。そして、討伐から戻らなかった。
今は、先代聖女がわざわざ奴らの地にまで行ったのだからもう魔族は来ないのではないか、とかいう楽観論と、いや、まだ聖女は必要だという意見がぶつかっているらしい。
計算上では魔族侵攻は近い、とされている。中央神殿の者たちは焦っているはずだ。
「大丈夫よ。そのために魔法庁があるんだから」
それを聞いたヒカリは真顔になって問いかけてきた。
「デルフィーナ。僕にちゃんと魔法を教えてくれないか? もし君が魔族侵攻で動員されるなら、僕も行けるようになりたいんだ」
ヒカリはまっすぐにデルフィーナを見つめてきた。
「僕はもう、家族を失いたくないんだ。一人で残されたくない。だから、教えて」
真摯な瞳に射貫かれると、デルフィーナははっきりと彼の過去の傷が見えた気がした。
家族と死別してきたこの人の孤独はきっと静かで深いものなんだわ。
わたしにはまだ長官やダヴィデやステファノがいたから一人ぼっちじゃなかったもの。
「家族ってわたし?」
「そうだよ。僕は君をそばで守れる人間になりたいんだ」
そう言われるとデルフィーナは頬が熱くなった。
今までの婚約者が酷すぎて、職場では「白炎の魔女」だのと怖がられていたから、こんなことを言われたことがなかった。
凄いわ。わたし、初めてダヴィデたち以外の人から女の子扱いされてる。
……でも、舞い上がってる場合じゃない。彼の魔力数値なら動員される可能性がある。それなら今のうちに一つでも使える魔法を増やしておいたほうがいい。
それなら張り切って教えちゃうわよ。やる気があって素質もある人なら教え甲斐があるし。
「わかったわ。まずは攻撃魔法がいい? じゃあ、金属でも溶かせるくらいの火焔魔法とかどうかしら?」
「え? 金属?」
ヒカリが驚いて固まっていた。
それってセッシ何度? と呟いていたけれど、デルフィーナにはセッシという言葉の意味がわからなかった。




