第一章 聖女召喚ダメ絶対②
デルフィーナの不幸は五年前から始まった。
彼女の生家はリーラ侯爵家。優秀な文官を多く出してきたことから、王家の信頼も篤い名門侯爵家だった。その時までは。
その年、宰相まで務めた祖父が亡くなり、父が当主になったのだ。
父はすぐに愛人とその娘……どうやら異母妹らしい……を屋敷に迎え入れた。
祖父の葬儀の後で父がやたらに上機嫌だった理由をデルフィーナは理解した。
正妻だったデルフィーナの母はすでに亡く、厳格な祖父がいなくなって、父はやっと自由を手に入れたと大喜びしていたのだ。
ただ、残念なことに父は祖父ほどの政治的手腕はなかった。期待外れだと周囲の失笑を買い、王宮で官職を得ることはできなかった。その上侯爵家は度重なる災害で懐具合に余裕があるわけではない。
それなのに父は愛人と娘に贅沢三昧させて、しまいには愛人を正妻にすると言い出す始末だ。
祖父が選んでいた優秀な代官を勝手にクビにしたり、代々仕えてくれた優秀な使用人の言うことも聞こうとしない。機を見るに敏い使用人たちはさっさとやめていき、祖父の代に交流があった家からの交流も途絶え始めた。
増えていくのは借金の督促状とツケの請求書ばかり。
……あ、これはもうダメだわ。この家終わったわ。
十二歳にしてデルフィーナは悟った。
子供ですらお金は使ったらなくなること、自分の手持ち以上のお金を使ってはいけないことくらいわかる。そして、借りたお金はいずれ利子をつけて返さなくてはならないことも。
それがわからない父と後妻たちは大人としてダメだと理解した。
彼らは頼りにならないと判断したデルフィーナは独立を決意した。猛勉強して最年少で王立魔法学院に入ると学費節約のために飛び級で卒業し、そのまま魔法庁に就職した。
デルフィーナのもう一つの不幸は、二年前父と国王によって勝手に結ばれた第一王子コジモとの婚約だ。
この国には優秀な魔法使いが少ない。学院在学中から飛び抜けた成績だったデルフィーナを王子の妃にして国に縛り付けようと考えたのかもしれない。父は王宮から支給される支度金に目が眩んだんだろう。
その支度金もデルフィーナのためには全く使われていない。誰がどう使ってるのかも知らない。多分実家の借金返済か、妹のドレスにでもなったんだろう。
コジモ王子はデルフィーナより三歳年上、実家と関わらないためにはさっさと嫁いだ方がマシだろうかという気分で顔合わせに行ってすぐに後悔した。
「私はかの建国王を始めとする立派な王の血を引いた正当な王子だ。お前ごときたかだか侯爵家の者には理解できないだろうが、せいぜい私の足を引っぱらぬように励むがいい」
自己紹介代わりにぶっ放されたのがこの台詞だった。
……いや、ちょっとこの人一回殴っていいですか、と真剣に思ったほどだ。
過去の王の偉業とかこの国の繁栄ぶりとか、国史の時間に習うようなことを並べ立てて、だから自分は偉いんだ尊敬しろ、ということらしい。
ちょっと言っていることの意味がわからない。偉いのはご先祖様であってこの人ではない。まあ、身分だけは高いけれど、他に何があるというの。
魔法使いとして独立するため努力してきたデルフィーナからすれば、それよりご自分は何をしたんですか、と言いたくもなる。
第一王子よりも王弟の方が次期国王にふさわしいのではないかという貴族たちからの声が強いのも当然だろう。国王がデルフィーナを婚約者に指名してきたのは王子の箔付けのためじゃないかと思えてきた。
いや、金箔だって剥がれるときは剥がれるんだけどね。
結婚したらこの男の面倒を一生見なければならないのかと思うと絶望しかない。
そして、コジモ王子は会うたびにこう言い放った。
「この私は歴代最高の完璧な王になって歴史に名を残すのだ。もうじき現れる聖女を妻に迎えて、英雄王として君臨する。だから聖女が現れたらお前は要らないんだ」
いや、それならまず最初っから婚約すんな。
デルフィーナが心の中でそう突っ込んだのも無理はない。魔法庁の仕事のかたわら妃教育を受けさせられているのは誰のせいだと思っているのか。
というか、聖女を妻に迎えれば英雄になれるって、自分は何の努力もしないの? 勉強嫌いで担当教授方が泣いてるって聞いてるけど? 剣術の稽古も口実をつけては逃げ回っているらしいし。
私が猛勉強したのはさっさと独立して実家と縁を切るためで、夢見る王子様(笑)の妃になりたかったわけじゃないのに。
五十年に一回、女神がこの国に聖女を遣わすというのが神殿の教えだ。先代聖女の出現からもうすぐ五十年を迎える。先代聖女は異界から来た美しい女性だったと言われており、どうやら王子は聖女というものに強い関心を持っているらしい。
もし聖女が現れてこの人を引き取ってくれるなら差し上げるわよ。
けど聖女にも選ぶ権利はあると思うし、こんな人と結婚するなんて気の毒すぎる。
そんなわけで、デルフィーナにとって「婚約者」「王子」という言葉は聞きたくない言葉の筆頭だった。