第三章 婚約は突然に③
「あの……長官。なぜ僕まで……」
ヒカリも困惑しているようだった。彼もそんなつもりでこの席に来ていたわけではないのだから当然だろう。
「君の立場が不安定すぎるからだ。異界人だが聖女ではない。身分も扱いも定められない。だったら私の養子になってデルフィーナの婿に収まれば良い。私の持つ爵位の一つを継がせる。そうすれば君にもデルフィーナにも居場所ができる。デルフィーナも実家と縁が切れる。そして、優秀な魔法使いの素質がある者を二人も私の家門に取り込むことができる。……つまりは私にも都合が良い」
ヒカリはそれを聞いて首を横に振った。
「それは僕の都合をデルフィーナに押しつけることではないのですか?」
「だが貴族の結婚は結局都合によって成り立つものだ。君とデルフィーナは立場が似ている。誰かに利用されかねない不安定な状況にあって、手放すには惜しい才能の持ち主だ。私は君たちを守る手段として提案しただけのことだ」
ヒカリはそう言われて理解はしてもまだ納得しきれていない表情だった。
確かにわたしが家から独立するために都合の良い婚約者となれば侯爵家以上の家格が必要で、ヒカリがペオーニア大公家の養子になるのならその条件は満たせる。
ヒカリをデルフィーナと結婚させて独立した貴族としての地位を与える。そうすれば異界人という不安定な立場のヒカリの地位も確定させることができる。
それを王家から彼への補償の一部とすれば、さすがにわたしの父も反対できなくなるわ。
……だけどそれはヒカリの望む事態ではないのよね。
デルフィーナはヒカリの表情をじっと観察していた。
彼はデルフィーナの負担になることを望んでいない。多分、デルフィーナが新しい婚約者捜しをするなら、自分は出ていかなくてはと思っていたはずだ。
気を回しすぎなのよ。他人のことより自分の事を考えた方が良いわ。もっと図々しくわたしを利用してくれてもいいのに、彼は万事控えめで我を張ることはしない。
だからヒカリの側は居心地がいいし、嫌な思いなんてしたことがなかった。
わたしは自分でも好き嫌い激しい方だと思うけど、ここまで最初から印象の変わらない人も珍しいと思う。
……もしかしたら、一挙両得で一番いい方法かもしれない。問題は異世界の考えはそうじゃないことかも。
それに年の差があることもきっと気にしている。
わたしは全然気にしてないのに。
「それでいったらヒカリが一番いいんじゃないかと思う。僕はフィーのことは大好きだし、お嫁さんになってくれるなら嬉しいけど、年下だから正式な婚姻ができるのは随分先の話になっちゃう。それに、兄上には今進みかけてる縁談があるし」
ステファノがそう言ってヒカリを見た。
そう。まだ表には出ていないけれど、ダヴィデには隣国サンテールの王族との縁談の打診が来ている。王弟の子で王位継承権を持つ彼にはふさわしい相手だろう。
ダヴィデも頷いた。
「僕もステファノと同意見だ。それに、相手が誰であれデルフィーナが選んだ相手ならあの馬鹿王子より遙かにマシに決まっているから、反対はしない」
「やきもちは焼くだろうけどね」
「うるさい」
茶化したステファノに怒鳴りながら、ダヴィデは大きく咳払いする。
「……それに、そいつ、思ったよりずっと悪くない」
ぽそりと付け加えられた言葉にヒカリが驚いた顔になる。
最初の喧嘩腰どこに行った? とでも言いたげだ。
「さて、ヒカリ。最後に残った君の返答は? デルフィーナに不満はあるかね?」
シルヴィオがしれっと問いかける。ヒカリは言葉に一瞬詰まった様子だったけれど、すぐにシルヴィオに向き直った。
「デルフィーナはとても優秀で魅力的な女性です。不満なんてありません。あるとしたら……」
少し焦ったようにデルフィーナに目を向けた。つまり、デルフィーナが自分なんて選ばないだろう、と言いたいらしい。
そんなことはないわ。彼は自分の事になると評価が低すぎる。彼は誠実で魅力的な人だ。何事にも丁寧だし、高圧的な言動もない。
……なのにどうしてそんなに自信ないのかわからない。やっぱり年の差? それとも結婚や婚約で誰かに縛られるのが嫌なのかしら?
「わたしはヒカリとなら構わないわ。だって今まで一緒にいて嫌なことは一度もなかったし。それに貴族の結婚なんて契約みたいなものだから、好きなように愛人つくったりとかしてる人もいるくらいよ。そんなに難しく考えなくていいと思う」
半分は自分に言い聞かせている気持ちでデルフィーナは言ってみた。
「それじゃダメだ」
ヒカリはそれを聞いて首を横に振る。真顔になって問いかけてくる。
「……君は夫が愛人作ってもいいの? そうじゃないでしょ? それに契約結婚なんて僕が嫌だ。僕は家族が欲しいんだ。結婚するならその人と居心地のいい温かい家庭を作りたい。君はそう思っていないの?」
デルフィーナはそれを聞いて思いだした。
そうだった。彼は家族を一度全て失っている。一人で生きていた。そんな彼は家族という存在を大切に思っているんだ。
それを愛人だの契約結婚だのと何てことを言っちゃったの。
わたしはお母様を亡くしてから家族はいないも同然だった。父も継母も妹も家族とは呼べない。大公家に出入りするようになって、家族というのは本当はこういうものなのかと納得したくらいだ。
温かい家庭。それはどんなものだろう。彼はもう一度家族を作りたいと望んでいて、それは契約なんて冷たい言葉ではないもので……。
もし、ヒカリが結婚してくれたら、わたしもその中に入れる?
デルフィーナは胸の奥で湧き上がったほのかな熱に自分もまた彼と同じものを欲しがっていたことに気づいた。
……ヒカリがわたしの家に来てくれてから、一緒に食事を摂ったり、異界の話を聞いたりできて楽しかった。お互いのことはまだまだ知らないことは多いけど。
彼とずっと一緒にいたら、いつか温かい家庭が作れるのかしら。
「……ごめんなさい。言い方が悪かったわ。ヒカリさえよければ、わたしと婚約してくれる? わたし、ヒカリの家族になりたいわ」
ヒカリはデルフィーナの言葉にさあっと頬を染めた。
「……僕でいいの? 君より七つも年上のおっさんだよ?」
「あら? わたしは本当に嫌ならそう言うわ」
「そう……だけど……。いいの?」
「もちろん。じゃあヒカリもいいのよね?」
ヒカリは目をパチパチと瞬かせて、一旦頷くとそれからシルヴィオに顔を向けた。
「……婚約のお話、お受けさせていただきます。どうかよろしくお願いします。」
シルヴィオは「わかった」とだけ答えて頷いた。少し口元に笑みを含んでいたのは笑うのを堪えていたからだろうとデルフィーナは確信した。
全部彼らに聞かれていたというのに。わたしったら……自分から婚約してほしいとか、結構大胆なこと言ったわ……。
気恥ずかしくなっていたデルフィーナは頬をそっと手のひらで押さえた。
「やったー。今日はお祝い二倍だね」
ステファノがそう言って笑う。ダヴィデがシルヴィオに問いかけた。
「父上もお人が悪い。追い詰めるような真似をなさらなくても。……とっくにヒカリに決めていたんでしょう?」
「まあ、そういうことだ。デルフィーナなら、居候している彼が一度でも不埒なマネをしたら叩きだしていただろう。それだけ側に置いて不快でない相手なら、問題ないのではないかと思ってな」
「なるほど」
「明日には養子縁組と婚約の書類を整えて陛下に署名していただこう。明日は何の日かわかっているだろう?」
ヒカリ以外が全員、そこで気づいた。明日はデルフィーナの十八歳の誕生日。この国では成年とみなされる。婚姻に関しても法的には本人の同意がなくては親が勝手に決めることはできない。
シルヴィオはデルフィーナの成年を待って即座に動くつもりだったのだ。それに気づいてデルフィーナは急に身体の力が抜けた。
……完全に策にはまった気分だわ。今日のうちにヒカリの同意を取り付けるつもりだったんだわ……。
まだ状況がわかっていないヒカリには後でちゃんと説明しないと。




