第二章 白炎の魔女と悪役令嬢⑥
「ヒカリ、お昼休み終わったの?」
背後から足音が近づいてきて、その主は光里の制服の袖を引っぱりながら声をかけてきた。青みがかった銀髪が目の端でふわりと舞った。
「ステファノ……」
「ちょうど良かった。フィーから伝言があるんだ。夕飯僕の家で一緒に食べようって」
ステファノが上機嫌そうに笑っている。
何かいいことでもあったんだろうか。夕飯に招待してくれるとか。いや待った。ステファノの家って……。
「家って、もしかして長官のお宅? 僕、貴族のお宅に行けるようなまともな服持ってないんだけど」
「その制服でいいよ。今日はフィーのお祝いだからごちそう出るよ?」
お祝い……?
朝から長官とデルフィーナは大量の書類を抱えて王宮に行っていて、帰ってくるのは遅くなると聞いていた。
『ちょっと陛下と歓談してくるわ。お土産期待しててね♡』
と良い笑顔で言ってたけど……。何かいいことがあったんだろうか。
「お祝い? それ、僕が行ってもいいものなの?」
お祝い……もしかして誕生日かなにか? 手ぶらで行っていいもの? といっても、僕には何か贈れるものがあるわけじゃないし……。
デルフィーナにいいことがあったのならお祝いくらいは言いたい……でも、行き先が上司の自宅。きっとものすごい立派な貴族のお屋敷。
敷居が高すぎない? 棒高跳びの棒が必要なくらいじゃない?
礼儀作法にも自信はないし、何か粗相をやらかしたら「この無礼者が」って手討ちにされたりしないだろうか。いやそれは時代劇か。けど、今後の勤務評定にかかわるのはありそう。
ぐるぐるしていた光里にステファノはからりと告げる。
「フィーがヒカリも連れてきてって。身内だけだし気を使う必要は一切ないよ」
いやその身内の中に直属の上司いるんだけど。気を使うにきまってる。
「……ちなみに、デルフィーナのお祝いって一体何事?」
「ああ、婚約解消が決まったって」
「はあ?」
思わず声が大きくなってしまった。
それって本当にお祝い事なの? 異世界って婚約解消を祝うもんなの?
そりゃあ、向こうにも婚約破棄された令嬢があとで「ざまあ」する小説とかあったけど、お祝いするってどういうこと? もうざまあしちゃったってこと? まあデルフィーナならやりかねないけど……。
光里が戸惑っていると、ステファノが肩にぽんと手を置いた。
「だから、父上はヒカリとちゃんと話してみたいんだって」
「なにが『だから』なの? 前後が繋がってないんだけど。怖いんだけど」
意味が全然わからない。
混乱した光里を放っておいて、じゃあ、僕これから授業だから、とステファノは走り去って行った。
けど、婚約解消ってことは今まで婚約者がいたということで。婚約者のいる独身女性宅に間借りしててよかったんだろうか。いやいなかったとしても問題なのでは。
今さらかよ。彼女の善意に甘えすぎてないか? いい大人なのに情けない。
ステファノと別れてから、光里はふとそんなことに思い当たった。
……婚約解消か。
デルフィーナは可愛らしいし、頭も良いし、誠実な女性だと思う。部下からも信頼されているのは働いていて感じられる。
自分がいることでそんな彼女の評判に影響してなかっただろうか。まさかそれで婚約解消とか?
間違っても僕は誤解されるような仲にはなりようがない。
彼女からすれば拾った犬を家に置いているような感覚だろう。
そもそも男だと思われていたら家には入れないはずだ。きっとこの世界に来たばかりの僕が情けないくらい頼りなかったから同情したんだ。
だけど、この先彼女が新しい婚約者をさがすなら、居候の存在は邪魔にしかならない。
これはさっさと家探ししなきゃいけないかな。もしかして、長官の話というのもそれかもしれない。
デルフィーナとステファノがいてくれて、久しぶりに誰かと食卓を囲む楽しさを思い出した。それが嬉しく思えてきたところだったので残念だけど。
光里はそう思いながら、溜め息をついた。
一人には慣れている。だって四年前からずっと一人だったし。
家庭を持ちたい願望はあったけれど、今まで誰かと付き合ってもうまくいかなかったので諦めていた。
こっちの世界なら僕を好きになってくれる人が現れるだろうか。
いや、僕はきっと恋愛には向いてない。世界が変わったくらいでどうにかなるものじゃない。きっとこの先も一人なんだ。
『本多くんって、何か思ったのと違うんだよね。ごめんね』
告白してきたのは向こうなのに、何故か一方的にフラれてしまう。そして、取りすがって別れないでと言えるほど、彼女に強い感情がなかったことにそこで気づいてしまう。
光里の外見は元の世界では人目を引くものだった。育った国は元々単一民族の国だからそれから外れているだけで目立つのだ。
母がイタリア人だったせいか高い鼻梁と彫りの深い顔立ち、そして細身の長身。双子の姉はその外見を生かして学業のかたわら雑誌モデルをしていて、光里もスカウトされたことがある。
けれど、光里はあまり社交的ではないし、人前に出るのも苦手だった。
普段は大人しく教室の隅で黙って本を読んでいるような地味な性格だった。話をしても面白味がないし、遊び慣れてないのでデートの行き先もぱっとしなかったんだろう。
外見で興味を持った女の子たちにはそれが物足りなかったに違いない。
もっと派手で洗練されていて女性慣れしているとか思われていたのだろうか。勝手に期待して、そうして勝手に去っていく。
せめてその前に何か言ってくれればいいのに、先に結論を出されてしまう。
光里の方もせっかく告白してくれたのだから、相手のことをもっと知りたいと思って交際を始めたのに、お互いを知れば知るほど愛想を尽かされる。
だって、それは僕のせいじゃないよね? 僕が悪いみたいに言われるけど、本当に僕が悪いの?
そう思って姉に相談したことがある。
『箱が綺麗だけど中身は気にいらないって言ってるようなものじゃない? 馬鹿みたい。中身をちゃんと見もしないでよく言うわ。中身がメインじゃないの。そんなの悪いのは相手だわ。別れて正解。光里の面白さがわかんないなんて見る目なさすぎよ』
姉はばっさりとそう言ってくれたけれど、それでも状況が変わるわけではなかった。
それに、一番最近の恋愛は最悪の結末だった。あんなことがあったらもう、誰かと付き合いたいなんて思わない。




