聖女は異世界から拒絶される
初投稿です、よろしくお願いします。
作中に不妊などに関する話題を含みます。
大陸の真ん中ほどに、イルザーレという王国がある。
その王城の片隅に配されている緑深き森の中に、翡翠離宮と呼ばれる古い城があった。
陽光が差し込む大きな一階の部屋にある窓際。
この世界で作るにはそれなりの日数が掛かる高価なガラス窓へと寄り掛かり、憎たらしいほどに青く澄み渡る空を仰ぎ見て、感情のそう籠らない声で、部屋の主はその空へと呟きかけた。
「ほんと、あちらと同じ、青色なのよね……不思議な話」
女が手元に握るのは、小石ほどの大きさである水晶のような欠片の一粒。
それは、この世界での魔石と呼ばれるエネルギーの一種であり、空の魔石に魔力と呼ばれる力を籠めることで、蓄電池のような役割を果たしてくれる代物だ。
魔石はある程度使い回しが効く事と、魔石への充填にはある程度の技術が必要なため、この世界には充填士という専用の職もある――彼女もまた、充填士のひとりであった。
豪奢な水色のドレスに身を包んだ貴婦人が、きゅっと手のひらにそれを握りしめ魔力を押し込めば、先ほどまで透き通っていた丸い石はほんのり黄金色に輝く。
そうして魔石は充填完了となる。
充填士を志した頃は籠める魔力量を間違えて、魔石を破損させる事が度々あったが、それはもう昔の話。
今は、呼吸しながらでもよそ見しながらでも数百個はやって退けられる、彼女にとってつまらない作業となった。それでも女はその仕事を放棄することもなく、また一つ、また一つと魔力を込めていく。
旧城の女主人である彼女にとって、それは数少ない、夫から与えられた仕事の一つだったのだ。
箱に詰められていた空の魔石があと数個となったころ、控えめなノック音が部屋の扉向こうから響いた。
呼ばれた女が気だるそうに顔を上げるのと、とうに見慣れた顔の侍女が入ってきたのはほぼ同時。
あらあらと困ったように笑った侍女は、主人の黒檀のような瞳を覗き込んでみせた。
「妃殿下、そろそろお食事の用意ができましたよ」
「……ケレーネ……そう、ありがとう」
「ほらほら、貴婦人はあまり日に当たるものではごさいません。せっかくの妃殿下の白いお肌が焼けてしまいますわ。アイギス殿下は妃殿下のお肌がお好みだそうですから、もっと気をつけませんと」
「……今更なのに……」
何か、とケレーネに問われ、彼女は何事もないと首を横に振る。
さあさあと食堂へと急かすように声を掛ける侍女のせっかちさは相変わらずなもので、とうに女は気にするのをやめている。
それでも自身に付けられた侍女から、妃殿下と嗜めるように呼ばれた黒髪の女性は、どうにも煩わしそうに目を細めてのろのろと腰を上げる。
「魔石の残りの充填は午後にやるわ。終わらせた物は王城に納品しておいて」
「はいはい畏まりました。いつもの通りに」
「はいが多いわよ、ケレーネ」
女主人よりも20は上の侍女は、王族の妃である娘に仕える筆頭なだけでなく、かつてはこの地での保護者役も担っていた。
女の幼い我儘も、海を作るほど流した涙も、八つ当たりのような癇癪だって実の母のように包み込んでくれたことを思えば、地位こそ伯爵夫人とはいえあまり逆らえる相手でもない。
主人の鬱屈した機嫌に、気がついているのかいないのか。
充填が終わった魔石の箱を覗き込んだケレーネが、少しだけ困ったように眉根を寄せた。
「あらあら、本当に妃殿下は頑張りすぎですわよ、この箱は常人で十日ほどの作業量じゃあございませんの」
「……いいのよ、それくらいしか、私にできる仕事はないんだから」
自嘲のように漏らされた女主人の言葉は、けれど使用人である相手には伝わらない。
「何を仰るのですか、妃殿下。貴女さまは聖女さまなのです。何もなさらずともその存在自体が世界の栄華の為になっているのですから、本当は何ひとつ為さらなくて良いのですよ?」
聖女、そう呼ばれた女はきつく唇の端を噛む。
諭すような――この世界では当たり前の常識を背景に言い聞かせようとするケレーネの言い分を、彼女はまともに聞かず、食堂へと足を向けていく。
その足取りは、当の侍女から教育された通りに優雅な仕草で廊下を歩ませる。
だがその喉の奥から漏れた音は、どうにも低く、卑屈に響くものだった。
「それじゃあ、意味がない……人として生きてる気がしないのよ……」
明らかに日本人の顔立ちをした女――結菜は、伸びた爪を手のひらに押し付け、微かに悔しそうな色を浮かべた。
「子ができない」
かつてただの学生であり、今は異世界の王子妃となった結菜にとって、ここ数年来抱えてきた悩みは、単純にそんなものだった。
だがそれこそが、この世界に誰一人の身内を持たぬ結菜にとっては、致命的過ぎる悩みであった。
なんてことない毎日を過ごしていた女子高生が、横断歩道を渡っていた時だったか、突然現れた魔法陣に飲み込まれて異世界召喚された。
眩い光の向こうに立っていたのは、明らかに外国人ですらない青い髪の王子然とした青年と、黒いローブを被っていた魔術師みたいな人間が何人か。
後に召喚術式を描いたのは、あの場に突っ立っていた黒ローブ共と聞き、結菜は一発くらい殴らせて貰えば良かったと思ったのは余談。
何が起きたか分からず混乱していた女子高生を優しく慰めつつも、瘴気に侵された世界を聖女の力で救ってくれと宣ったのは本当の王子様だった青年で。
あんまりすぎるテンプレ展開に小娘が遭遇させられてから、もはや十年は経った。
当然ながらそんな力は無いと結菜は否定したものの。
彼女が召喚されてから数ヶ月後には淀んだ空気がすっかり浄化されたことで、世界を綺麗にする力を結菜が持っていたと証明された。
特別な魔法やスキルを確認する鑑定のような術といった、ゲームのようなシステマチックなものは特に目当たらない世界で、それでも異世界から召喚された少女が必ず聖女――実際には男性の場合もあったのでそちらの場合は聖人と呼ばれた――の力を持つのはこの世界の常識だったらしく、疑われたことすらない――この世界の聖女は、呼ばれた瞬間から聖女という生き物となり、その場に居るだけで周囲の空気を浄化する者なのだという。
パッシブスキルかと結菜が溢したのは、それなりのゲーム脳だったからだろう。
さて、聖女の力は正常に動作し世界を救った。
だがその後はどうすれば良いのかと、結菜は当たり前の話として途方に暮れた。
ここはかつての知人も、知る物もない世界だ。
代々の聖女がそうだったように、聖女がどう過ごすかは国内にさえいてくれれば自由だと告げ、彼女の世話役を買ってくれたのは、初対面から親切だった同い年の第三王子であるアイギルである。
まあ世話役が毎回王族か高位貴族の異性があてがわれるのは長年の慣習らしく、聖女がその妻になることを国に期待されているのは結菜にも見えていた。
さらに言えば、大概の聖女は生活基盤も能力もない状態で見知らぬ世界へ召喚されることが通例である以上、頼る者が世話役になるのは当然の話であり、ほぼ例外なく代々世話役となる相手と娶していたという。
アグレッシブに市井に降りて冒険者になったとか、異世界知識を活用して商会を立ち上げたとか言う例外もあるらしいが。
結菜も多少可愛いと呼ばれるくらいの見目はしていたが、サバイバル知識や特化した何かを持っていたわけじゃなく、恋に恋する当たり前の女の子でしかなかった。
だから特に文句も言わず、親身に優しくしてくれるアイギルの妃になった。
その後は郷に入っては郷に従え、ということなかれ精神ではあったので、結菜は必死に現地のマナーや規範はきちんとあてがわれた家庭教師から学んだ。
変にヒロインだとか悪役令嬢だとかにはなりたくなかったので。
まあ聖女と呼ばれる立場上、王都に神殿というものが存在しているのに結婚が許されていることも、そちらに一度も赴けと言われたのがない事も気になりはしたが。
歴史的な理由で聖女と神殿は距離を置いているとさらりと説明されただけだ。
気になる事も興味もあれど、単なる一般人だった結菜が抱え込めるのは自分自身の分が精一杯。
ドロドロの政争が常のような王族という種族の割に、純粋で優しいアイギルに惹かれ、結菜はそれなりに睦まじい夫婦生活をはしていた。
けれど、あたりまえのようにこの世界は家を継ぐ子を求められる。
世界を救ってくれた聖女への尊敬は誰もがこの国ではもっているが、それはそれ。
アイギルは王子で美形なだけに、やはりそれなりにモテたので、恋の鞘当ては婚姻して以降、両手の指の数はとうに超えてしまった。
偶に参加するお茶会で、結菜が高位の令嬢からいくらか当たられることもあったし、子はまだかと揶揄されて笑われることも最近は増えてきた。
アイギルに妻として泣きつけば、特に家を成立させると必要もない国王の支援役としてしか仕事をしていないから、子はいらないよと慰めてはくれるのだが。
貴族の常識として子を産んで女は一人前と思っているような古めかしい社会だから、嫌味をこぼしてきた夫人や令嬢達から庇ってくれることは無かった。
「……子さえできれば、そんなこと言われなくて済むのに」
すでにアイギルと結婚して八年。
不妊治療とかある世界ではないのだから諦める他ないのは分かる。
だが結菜にとって血の繋がる子を欲しいと思うのは夫ができても孤独を覚えてしまう以上仕方のない感情だった。
解決しそうにない鬱々とした気分を抱えたまま、それでもいつも通り美味しい昼を食べ終えた結菜は、とつとつとだだっ広い廊下を歩いて作業部屋にしている部屋へと再び向かう。
しんとした屋敷の空気にはすっかり慣れたものの、家族が二人きりの城なのだ。寂しさに物音がよく響いてくるさまが、どこか辛さを増した。
そういえば夫はと思い出す。
今日は兄王子が来るからと、丸一日休みにしていた筈だ。
昨晩は議会が紛糾して遅くに戻ってきたらしく、今の今まで顔を合わせていなかったことをぼんやりしていた頭が思い出して、庶民感覚では大きすぎるダイニングに居るのだろうと勘づいて足を向けた。
幸か不幸か、通りがかった結菜が、彼らの会話を聞いたのは単なる偶然であった。
「夫婦生活は順調か?」
「ええ、それなりにやっていると思いますよ、イグリス兄さん。まあユイナの、子ができないことをシクシクと泣いて喚くのは鬱陶しいですけどねえ」
「っっ」
そんなことを思っていたのか。
夫の普段からの鉄面皮に等しいくらいの、出来すぎた優しい笑みの正体に気付かされ、王子妃は咄嗟にぐっと奥歯を噛み締めた。
「そう言うなアイギル、聖女さまは居てくださるだけで世界を浄化する。居てくださらないと困るが、何かをさせなくても良いから代々扱いに困り、今のような扱いに落ち着いたんだ。まあ、おまえに飼い殺しという負担をかけて申し訳ないが」
「いやいや第三王子なんて、スペアにもならない立場としては気楽なものですよ、重い仕事をしなくても、継承権さえ手放せば生涯それなりの生活はさせてもらえるって条件だったんですからねえ」
継承権を手放せば?どういうことだ。
くつくつと口の中で笑うアイギスの声に、結菜は凍りついたまま、廊下の壁へと背を預け、息をひゅうと潜めた。
どこか場違いなくらいに明るい兄王子の声が、やけに耳障りに結菜の中へと響いてくる。
「聖女さまの力は唯一無二、異世界の存在だからこそ現れるものだ。心から敬愛して大事にしなくてはならないよ。まあ自動発動する能力故に分かりやすさがなく、侮る輩が多いのは事実なのは問題だがなあ……。いっそ昔のように神殿に象徴として仕舞い込む方が、こちらとしては楽なんだが」
「それをして数百年前、神殿が増長し神殿と王家の政治的対立から内乱に発展したんだからこれでいいんですよ。極力王族に留め、いい生活だけは保障する。それが聖女の運用には適切でしょう。だって聖女にも聖人にも絶対子ができないんですからね。王妃にはできない。だが下手な部屋住みにはやれないし、貴族家の嫡男の嫁にもできない以上はしょうがないでしょう、そんな嫁としては生産不良物な――」
「しっ 声がでかい、アイギル。聖女さまにはおまえに愛人がいることは、絶対バラすなよ?」
「分かってます、分かっていますよイグリス兄さん。何にも心配しないでくださいよ」
どくどくと心臓の音が口の中で響き渡る。
結菜は唐突に知らされた事実の積み重ねに、息をひくひくと詰めてしまい、赤い絨毯の上へぐらりと倒れそうになった。
だが決定的な言葉が戸口の向こうから齎された瞬間、結菜の声は悲鳴へと代わり、けたたましい音へと変じた。
「まったく。おまえの厚顔さは大したものだな。一応は聖女さまの顔に惚れて世話役に立候補したくせに」
「いやあ当時の俺も若かったですよねぇ。この地では滅多に見ない黒眼黒髪ですよ。物珍しさでつい手を挙げましたが。ですが子に引き継がれないのだから仕方ない。幸い美しいアドラが息子と娘を産んでくれましたから、家としてももう何にも懸念はありませんしね?」
「あっっ あ、あああっっ――――!!」
その日混乱する離宮から出奔した結菜は、王都の中心にある時計塔から身を投げた。
異世界から拉致したくせに道具扱いをする世界に絶望したと、遺書を残して。
残されたのは、妻に死別された第三王子と、聖女を失った世界だ。
だが。
「仕方ない、魔術師達の準備が整い次第また召喚しよう。今度は道理もわからぬほどの幼子だと当たりなんだがなあ」
「そこだけは籤と同じ、仕方ない話だ。この世界に聖女が生まれるならこんな面倒なことにはならぬのだが」
「それは仕方ありませんよ、異なる星のモノを呼び寄せることで聖女の『生存を害する存在を消滅させる能力』は開花するんですから」
王城の一室で、のんびり茶を飲みながら、何もなかったかのように語り合う王子兄弟。
給仕する侍女は、非道にしか聞こえぬ話を耳にしながら、何も言わずにあたりまえの話として流して去っていく。
異なる世界に突然呼ばれ、ワクチンも何も持たない体が、そこの世界に存在する病原体や不浄に殺されない謂れはない。
それを召喚という形で、聖女は世界の全ての害を拒絶する能力を得る。
だが当然デメリットもある。
特に聖女はその能力故に男……子の胤もまた拒絶してしまい、受け付けなくなる。当然子など出来ようはずもない。
だから聖女は正室にはなれない。
婚姻できぬ神官神女だけの神殿にあれば問題なかったものを、王族は内乱を防ぐという建前のもとに聖女を市井に引き摺り出した。
数少ない商人や冒険者となった聖女達が、世話役の元から飛び出したのは、それを知ったのが理由だ。
だがそこまで活動的に逃走できる者は少ない。まして社会が違いすぎる世界でたった一人で生存できる人はまず少ないだろう。
ほとんどが世界にどうにか馴染もうとしても、周囲のせいで気を病むか、命を落としにいく、結菜のように。
だからこの世界の聖女は代々短命である。
その理由を知る者はいない、表向きには。
そうして暫く後、再び王城の地下にて聖女召喚の儀が行われた。
聖女の追悼を終え、さも悲しい顔をしていたアイギスが今度は世界に都合の良い聖女をと願って、今回も召喚の担当となり、世話役になることを目論んだアイギスが、十年前と同様に魔術師へ、開始せよと手振りだけで指示を出す。
だが召喚の術式は、発動と同時にぶわりと黒い靄を帯び、術式を粉々に砕き始めた。
「なんだ、何が起きた!」
「わ、分かりません! このような失敗は今までに一度も!! ぐあっ!?」
怯える第三王子と、庇ってその前に立った魔術師の長が衝撃のせいで壁に追突させられ、荒れ狂う魔力波に呑み込まれる。
黒々とした煙のようなモノに巻き込まれた地下の者達は、男とも女ともわからぬ誰かの数々の恨み節と嘆きを脳裏に叩き込まれ、気を狂わせていった。
結菜がここにいたなら、日本映画の怨霊のようだと言っただろう。
奇しくも結菜は100代目聖女であり――代々この世界で消費されてきた聖女、聖人達の嘆きと恨みを百人分、この世界は溜め込んでいたのだ。
はっきりとそうと理解出来たわけではない。
本能的にそうと分からされたアイギスは、苦し紛れに陣の真ん中へと手を伸ばしながら、助けを求めた。
――私を帰してくれなかったくせに――
――聖女と口ばかり崇めておいて、都合の良い道具だと蔑んでいたくせに――
――恨めしい、恨めしい――
「ユイ、ナ?」
誰のものとも分からない怨嗟に呑み込まれた王子と魔術師を皮切りに、王城の地下からもくもくと消せぬ煙が世界へと広がった。
それは聖女達に浄化させてきた、大量の瘴気で。
その後、その世界がどうなったのかは、神のみぞ知るのかもしれない。
⭐︎蛇足
ほぼ直球で元ネタは日本怪談です。
怪談の幽霊とか日本の怪談映画の傑作で共通している『話の結末で、何にも解決してない』『怨念はタチが悪い』あたり。
結末候補として、恨み晴らして皆成仏できた、世界崩壊の動画が流れる的な、後味えぐいくらいの描写をする、などなど考えましたが元ネタに従ってこんな末尾と致しました。
ここまでお読み頂き、大変ありがとうございます。
評価感想、誤字報告など大変ありがとうございました。
2/21 総合10位ありがとうございました(小躍り)