売れない画家と悪魔
ある夜のことである。売れない画家の家の扉を誰かがノックした。
家賃はつい先日払ったばかりなのでその関連ではないだろう、だが大家以外に訪ねてくる人物など思い至らない。画家は椅子から立ち上がると首を傾げながら扉を開けると、肝をつぶした。
そこには悪魔としか言いようのない人物が立っていたのだ。
頭にはヤギのような角、背中にはコウモリのような羽、そして艶やかな黒い尻尾も見える。
その悪魔は画家に向かい慇懃に頭を下げると、こう言った。
「耳寄りなお話をお持ちいたしました。どうか私の話を聞いてはくださいませんか?」
すでに最初の驚きから立ち直っていた画家は、これは面白いことになったと考えながら悪魔を家に招き入れた。
家に入った悪魔は画家にこう持ち掛ける。
「あなたの絵は本当に素晴らしい。人々の目に留まらず埋もれているのはもったいないと思いませんか? 私ならあなたの絵を、それはもう完璧に宣伝することが出来ます」
「だけど、僕が死んだら魂をよこせ、そう言いたいんだろう?」
画家の言葉に悪魔はにんまりと笑うと、悪い話ではないでしょうと言った。そして悩む素振りを見せる画家に対して、売れないままに生涯を終える悲しみを訴え続けた。
その言葉に折れたのか、最後には画家は頷いた。
「よし、そこまで言うなら僕の絵を宣伝してくれ。その代わり、僕が死んだら魂だろうがなんだろうが持って行ってくれていいぞ。だけど、魂を引きちぎったりしないで、きちんと全部持っていってくれよ」
画家の言葉に悪魔は笑みを浮かべたまま頷き、そして煙のように姿を消した。
翌日から画家の絵は飛ぶように売れるようになった。多くの美術商がその画家の絵をこぞって買い集め、最後には有名な美術館の目立つ場所にその画家の絵は飾られるまでになった。
やがて時が経ち、画家の命は尽きようとするその時、悪魔が再び画家の前に姿を現す。
「お久しぶりですね。さて、約束通り魂を……」
そこまで口にしたところで悪魔は口を閉ざしてしまった。画家の前に、もう一人の悪魔が姿を現したのだ。
もう一人の悪魔も、画家の絵が売れるようにした悪魔のことを見て信じられないという表情をしている。
と、不意に辺りに弱々しい、しかし楽しげな笑い声が響いた。
それはベッドの上にいる画家から発せられたものだった。
画家は驚く二人の悪魔に対してこう言葉をかける。
「お二人とも、紹介しますよ。そちらの悪魔さんは僕の絵を売れるように尽力してくれた方です。そしてそちらの悪魔さんは、僕に絵の才能を授けてくれた方です。それで、どちらが僕の魂を持っていくんですか?」
画家のその言葉を皮切りに、二人の悪魔は、どちらがこの画家の魂を連れていくべきか、夢中になって話始めた。
才能がなければここまで絵は売れなかったはずだ、才能など関係なく自分が売り込んだからだ、そもそも才能がなければ絵を描かなかったはずだ、悪魔と取引をするほどの執念なら才能など関係なく描いていたはずだ。
話し合いはいつまで経っても終わらず、二人の悪魔が言い争いを続ける横で画家は静かに息を引き取り、悪魔の手から逃れたその魂は無事に天国へとたどり着いていた。
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