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この異世界は現実ですか?  作者: 春目 冬樹
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七章:不慮の出会い 1

 どこまでも続くような川の旅は、桃色の花びらが散る自然のトンネルを潜り抜けると、終点に辿り着く。


 ぼくとサバラは、しばらく船着き場にいた船頭に荷物を預け、馬車を買うために、付近にあるという小さな村まで歩いて行く。

 船頭が、ちょいと足を伸ばせばすぐだと言っていた村は、なかなか見えない。


 川べり付近は肥沃だった大地は次第に乾き、砂と乾いた植物がまばらに生い茂る荒野に似て来る。

 サバラは時折、目に付いた植物に手をかざしては解析したり採取したりしていたので、普通に歩くよりは時間がかかってはいるだろうが、それにしても村は遠い。


 荒野ならば見通しはいいはずで、付近にあるならばもう既に防御壁か柵の一部ぐらいは見えてもいいはずだ。

 段々と喉の渇きに悩まされながらしばらく進んでいると、折よく右手に井戸のようなものが見つかる。


「サバラ、あそこの井戸で水を飲んでしばし休憩しよう。」


 サバラはうなづき、ぼくらは、井戸と、そのそばに生えている一本の枯れ木の方へ移動する。


 枯れ木の下に誰か人が二人程立っていると思って見ていると、その二人は、こちらをちらちらと見て、互いに耳打ちをしているようだ。

 徐々に近づくにつれて、2人が、高齢の女性と若い娘である事が見てとれる。


 ぼくとサバラは、軽く二人に会釈をすると、井戸の上蓋を上げ、中からカラカラとつるべを引き上げる。

 底が見えないほど深く暗い井戸の下から、徐々に水をたたえた桶が上へと上がって来る。


 その水面にはぼくとサバラ二人の黒い頭の影と、その上の太陽がたまさか映っては振動で揺らぎ続けている。


「あの、さぞかし名のあるお方と存じますが。」


 不意に横から声をかけられ、二人の女性の方を見ると、声をかけてきた小柄な高齢の女性が、詫びるような笑顔を浮かべて、ぼくを見上げている。


「何でしょうか。」


 ぼくが何か言う前に、サバラが引き取り、人のいい笑顔の奥にわずかに不審の根を見せながら答える。


 桶の中にそばの棚に置いてあった粗末な木の器を入れようとすると、娘がこちらを良ろしければと言いながら、持っていた籠の中からガラスに似たヒリュウ石のコップを差し出す。

 娘の腹は膨らんでおり、ぼくは、彼女が妊娠している事を知る。


「実は、私共は、ここから目と鼻の先にある貧しい農村、タデロイ村で暮らしていたのですが、先頃村長の長男と結婚する予定になっていた娘が、素性の知れぬ者の子を孕み、そのために、村を追い出されて、困っているのでございます。」


「それはまことにお気の毒ですね。」


 サバラは、ぼくが渡したコップに口をつけて、少しずつ喉を潤しながら深くうなづく。

 腹が重いのか、枯れ木の下に小さな絨毯を敷いて、慎ましやかな動作で腰を下ろす美しい娘は、とても聡明そうな黒い瞳を強く輝かせている。


「これからどうなさるおつもりなのですか?」


「私共の事はかまわないのです。

 過疎化が進行する故郷の父からはずっと、私共に帰って来るようにと毎年手紙が届いておりましたから、きっと孫も一緒に帰省すれば、最初は戸惑うかもしれませんが、結局はさぞ喜ばれる事でしょう。」


 ぼくは、ごくごく水を飲む。

 冷えた水が体の中を通ると、自分の体にある内部を感じ、その事にぼくは、少しだけ安心する。


「それよりも、心配なのは、タデロイ村に住む、他の娘たちの事でございます。

 私の娘のみならず、日々、若い娘たちが素性の知れぬ者に、気付かぬ内に妊娠させられているのです。


 私共には幸いな事に帰郷出来る場所がありますが、貧しい村の娘の中には、人買いから買われた者もいますから、彼女たちは妊娠すれば、帰る故郷もなく、追放されてどこやらあてもなく彷徨う羽目になるのです。


 この間追い出されたピンナは、そういう娘の一人で、雇い主がやったわずかな餞別のみを手に出て行きましたが、数週刊後臨月を迎えた頃村に帰って来て、どうか中に入れて欲しいと入り口の門番に向かって泣きながら頼みました。


 しかし、門番はその声を無視し、雇い主は一度餞別をやったにもかかわらず、再度無心をしに帰ってくるなどとは図々しいと、ピンナを引き受けようとはしませんでしたし、村人たちも、自分達の生活で手一杯で、ピンナは、妊娠させたどこぞの男に引き取ってもらえばいいんだと、他人事のように考えて、ピンナを中に入れてあげようと声を上げる者は一人もいませんでした。


 その日は雪が降っていましたが、ピンナはどこへも行こうとはせずに、夜じゅうすすり泣きながら防壁の外にいたようでした。


 私と娘は深く同情し、もしも明日になってもピンナが外にいるようなら、私達がきっと引き受けてあげようと言い交わしながらも、その日は薪が切れていてとても寒かったし、門番は交渉に時間がかかる事で知られている中々に信念の強い男だったのとで、眠ってしまいました。


 翌朝ピンナは門のそばで冷たくなっていました。

 慌てて医師の家に担ぎ込まれて胎内の赤子が切開で取り出されましたが、残念ながら、中の赤子も、既に亡くなっていました。


 医師の話では、赤子が亡くなったのは、前日ではなく、少なくとも3日は前だったそうです。」


 ぼくは、いつの間にか水を飲むのを忘れ、母親の話に聞き入っていた。

 枯れ木の下に座る娘は、声もたてずに泣いていた。

 暗い井戸の途中まで降りていたつるべが、自然に下がっていくカラカラという音が井戸の中で反響して聞こえた。


「そこで、あなた方は、郷里へ帰る前に、ここで誰か助けてくれる人を待っていたというわけですね。」


 サバラが言い、母親はうなづく。


「ですが、その話だけでは娘たちを妊娠させたのが誰であるのかが特定出来ません。

 わたくしが思うには、門番が夜通し見張りをしていて、村が強固な防壁に守られているならば、犯人は、外部の人間ではなく、内部の人間であるはずです。」


 母親は、黙ったまま、サバラの発言を予期していたように、緩やかに首を振ってから、話す。


「数年前から村の周辺で戦争が起こっており、それによりタデロイ村は国の駐屯地の一つとなり、若い男性はみんな徴兵されました。


 村長の息子だけは賄賂を支払い、何とか目こぼししてもらったので村に残っていますが、他には知恵遅れで、一度幼児をレイプしたために去勢されている男性が一人いる以外は、村には若い男性はおりません。」


「しかし、高齢の男性だって妊娠させる事ぐらいは出来るのではないか?」


 ぼくが口を挟むと、母親は強い口調で否定する。


「それはございません。

 何故ならば、娘を含む妊娠した女性は、みな異口同音に、時が止まったように全てが静止している間に、見目麗しいが野蛮な獣のような男性にレイプされたと言っているからです。


 それに、もしも顔見知りの村の男性が娘たちを襲ったならば、娘たちだって馬鹿じゃありませんから、必ず相手の男性を名指しで批判するはずでしょう。


 犯人はその、外部から来た、恐らくは時を止める異能を持つ男性で間違いありません。」


 なるほどとサバラは呟き、ぼくの方を見て話しかける。


「どうされますか?救世主様。

 わたくしたちの目的を優先するならば、ここは放っておいて先へ行くのが良いかと思われますが。」


「いや、助けよう。」


 ぼくは、サバラの惑いを振り切るようにきっぱりと言い切る。


「このままではまた犠牲者が出て、皆が苦しむ事になる。

 それに、犯人はどうやら異能の人物であるらしい。

 我々がやらなければ、他の誰にそのような能力の人物を倒せるだろうか。」


 そう言ってから、ぼくは、感謝のあまり手をすり合わせてぼくに向かって拝んでいる母親と娘を見て、少々良い心地になりながらも、顔に出さないように自制しながらたずねる。


「君達は、その人物がいそうな場所を知っているか?

 もしよければ教えて欲しいのだが。」


「あそこに高い山が見えるでしょう。」


 母親は遠くにある山を指さす。

 それは、一面茶色い土が露出した醜い禿げ山である。


「あの山の中腹に洞窟があるのですが、村の外でレイプされた女性が、その辺りに男が飛んでいくのが見えたそうです。」


「そうか。ありがとう。」


 そう言うと、ぼくはサバラを促し、洞窟へと向かう。

 背後から親子が、感謝の言葉を口々に述べた後、言う。


「今しばらく私共はここに逗留していますから、どうか、帰り際にでももう一度お立ち寄り下さい。」


 ぼくは、振り返らずに、片手を挙げる。

 ああ、救世主様、有難い事でございますという典型的な言葉が背後から何度も何度も聞こえて来る。


「本当に良かったのですか?」


 サバラがぼくに聞く。


「ああ。しかし、サバラは何故彼女たちを助けようと言わなかったんだ?

 可哀想だと思わないのか?」


「可哀想です。

 しかし、助けるという行為はきりのないものですし、それを私達のような異能を持つ人間が引き受けるなら、寿命が尽きるまで助け続けなければならないでしょう。」


「だが、それが我々の使命なのではないか?」


「救世主様は、わたくしのような体験がないからそうお思いなのです。


 終わらぬ戦争による負傷、不衛生なために広がる感染症、病気に怪我に自殺未遂。

 世界中の人々は常に呻吟の声をあげて苦悩しています。

 わたくしは、止むことなく降り注ぐ雨のように次々と連れて来られるそれらの人々を、

 毎日のように治療し続けました。


 その結果、わたくしが本当にやりたいと思っている植物図鑑の完成は、血しぶきや、苦しみの呻き声や、急患ですの声で汚され、永遠に終わりを見ないどころか、始まりもしないほどでした。


 それが、使命だとおっしゃるならば、わたくしの使命は、わたくしから自由を奪い、夢や希望を奪う、悪としか思えません。


 それとも、それでも、救世主様は、わたくしが人助けを優先すべきだと、死ぬまで延々とやりたくもない使命を果たすべきだとおっしゃるのですか?」


 サバラの顔から首にかけて赤く染まっているのを見て、ぼくは口ごもりながら、恐る恐る答える。


「…ぼくに配慮が足りなかったのかもしれない。

 君がそこまで今まで苦しんできたとは知らなかったものだから、思わず口に出してしまった。

 すまなかった。」


「救世主様には非はございません。

 どうか、今のやり取りは全て忘れて下さい。」


 そう言うと、サバラは口をつぐみ、ぼくも黙ったまま、禿げ山へと向かって進み続ける。

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