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この異世界は現実ですか?  作者: 春目 冬樹
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五章:サバラとの二人旅

 目を覚ますと、そこは馬車の中だった。

 ぼくの身じろぎの音を聞いたサバラは、御者台から声を寄越す。


「もう少しで、タリーヌ川ですよ。

 ここいらは道が舗装されておらず、揺れて体が痛いかもしれませんが、しばらくの我慢です。」


 普通に話せばいいと許可しているのに、未だに丁寧語が抜けないサバラの言葉に、ぼくは、ぼんやりと無意味な相槌を打ち、馬車の窓にかかっている薄い黄色のカーテンを開け、外を覗く。


 湿気とはねた泥で濁った窓の外は、一面緑と青に霞み、人家は一軒も見当たらない。

 その景色は、どれだけ進んでも、まるで進んでいないかのような、どこかに閉じ込められているかのような錯覚を引き起こす。


 サバラは、控えめな音で鞭をならし、何かを呟く。

 あまりにも馬代わりに使っているムクレン達の歩みがゆっくりだったのだろうか。


 ぼくは、ムクレンの外見を思い出してゾッとする。

 毛が生えない体質で、生まれたての雛鳥のようなブヨブヨしたピンク色の皮膚。

 黒目だけの眼球は、大きく、外側に突出しており、黒いボールを頭の左右と前方に三つくっつけたようである。

 そして、退化したように不自然に短い手に、不釣り合いなほど長い、そこだけ妙になま白い皮膚に黒い剛毛がまばらに生えた四本足。

 しかし、そんな奇妙な外見よりも、もっと不気味なのは、彼らがわずかに人語を解し、言葉を話せることである。

 そのために人は、ムクレンを重宝しているのだが、ぼくには彼らが不気味に思えてならない。


 昨夜だって、ぼくが馬車の中で中々眠れずにいると、外でぼそぼそと声が聞こえた。


「そうろう、そうろう。

 ござそうろう。あげいも。」


「ぼぼぼぼぼぼぼぼ。そうろう。あげいも。」


 全く意味は分からないが、ぼぼぼとは、ムクレンの笑い声である事は知られている。

 もしも、彼らがぼくらには分からないうちに組織を作り、反逆の狼煙を上げようとしていても、きっと、こんなにもムクレンを馬に似た無害な生物だと思い込んで安心しきっている人間達には、気付くことも出来ないだろう。


 その間ずっと、サバラは、馬車の中で軽くいびきをかきながら丸くなって、冬眠中の熊の子のようにくうくうと眠り込んでいた。


 変わらぬ窓の外に愛想が尽きて、ぼくは、馬車の後部に積んである荷物の上に体を倒す。

 それらの荷物は、全てサバラが用意して、積み上げてくれたものだ。


 サバラは常に謙遜するが、なかなかに実務家でやり手である。

 ぼくは、現実的な物事の処理には自慢じゃないが全く長けていないので、集落から抜け出す際の、人々に対する挨拶や細々としたやり取りも、ここに来るまでの、宿泊施設や馬車の手配、魔王城までの行き先を聞きながらの進行に、ムクレンの操縦、全てをサバラに任せて来た。

 結果として、ぼくは、何もせずとも快適にここまで連れて来られ、このまま、何もせずとも魔王の目の前まで直通エレベーターに乗ったかのように、快適に進んで行けそうだ。


 急に馬車が激しく揺れる。


「大丈夫です。大きな岩のモンスターが目の前に現れたので、急に止まっただけです。」


「ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ。てんどんどん。」


「ぼぼぼ。もりおおそばり。たいちょうぴ。」


 ムクレンの発する、大丈夫がたいちょうぴになっているのを、ぼくは、彼らの口の形状を思い出しながら聞く。


 彼らの口は、三重口と言って、大きな口の下に中くらいの口があり、更にその下に一番小さな口がある。

 なんでも、ムクレンは歯の形状が違うそれらの口を、食べ物に合わせて使い分けているらしいが、結果として、口を大きく開いたり、器用に動かしたりは出来ず、少しもごもごする。

 そのもごもごと、常に多めに分泌している消化液が合わさると、大丈夫がたいちょうぴになるのだ。


 ぼくが覆いを上げてサバラの様子を見ると、彼は、地面に片膝をついて、もう片方の膝をたて、手を前で組み、何やら祈っているように見える。


 岩のモンスター、どこにでも転がっているがゆえに、長い呼び名は相応しくないからか、単にゴンと呼ばれている真っ黒で、体長約4メートルの彼は、攻撃もせず道の上に立ちふさがってぼんやりとこちらを黄色い目で見下ろしている。


 恐らく知能が低いからだと思うが、こういう物体に近いモンスターは、ぼんやりしている事が多い。

 だからといって、たかをくくって横を通り過ぎようものなら、不意にブチリと人間が蚊を潰すような気軽さで、押し潰してきたりするので、彼らには特に注意が必要なのだ。


 やがて、サバラは立ち上がる。


「さあ、行きましょうか。」


 そう言いながらこちらをちらりと見るサバラは何故か少し恥ずかしそうである。

 それを隠すように、ムクレンの首の辺りをポンポンと叩いてやるサバラに、ぼくは言う。


「行こうと言ったって、目の前にまだゴンがいるじゃないか。

 このまま行けば、馬車は潰されてしまうぞ。」


 ムクレンは嬉しそうに、100個以上あるという首の関節を凄い速さで波打たせる。それは、ピンクのじっとりとした皮膚全体に広がり、ムクレンの全身は微動しているように見える。


「大丈夫です。」


「たいちょうぴ。」


 そう言うと、ヒラリとサバラは御者台に乗り、平然と馬車を走らせる。


 目の前の真っ黒でゴツゴツしたゴンが徐々に大きくなって、視界全体に広がり、ついには馬車の先端が当たりそうになったその瞬間、ゴンの体にトンネルのような穴がボカリと開き、その中を馬車はガタガタとくぐって行った。


 慌てて、ぼくが、馬車の背面から外を覗くと、ゴンは、何事もなかったかのように、ゆっくりと転がりながら草原へと移動している。


「これは一体どういう事だ?」


「かんらん岩。

 火成岩の一種で、SiO2 成分に乏しい超塩基性岩に分類される。主にかんらん石からなり、そのほかに斜方輝石、単斜輝石などを含む。

 これが、ゴンの正体です。

 わたくしの能力は、成分を知る事により、敵を無効化する能力、解析と分離です。」


「それじゃあ、ぼくが君と戦ったら、ぼくが負ける可能性さえあるじゃないか。」


 サバラは黙って鼻をすする。


「君は何故集落で異能力を隠して生活していたんだ?

 もし明かせばもっといい暮らしが出来ただろうに。」


 サバラはしばらく考えているのか黙り、沈黙が訪れる。

 窓の外は、相変わらず霞んだ緑と青が茫洋と広がっている。


「わたくしは、そんなに大した人物ではないのです。

 わたくしは、自分でその事をよく分かっていますから。」


 ぼくは、急に自分が恥ずかしくなり、黙る。


 そうして道は続くところまで続き、急に切れて、ぼくらは馬車から降りて、しばらく泥道を歩いた後、タリーヌ川のほとりにたどり着く。



 川で貝を採って暮らしている貧しい漁師と交渉して、馬車を与える代わりにみすぼらしい船とわずかな資金を手に入れたサバラは、ぼくと荷物を船に積み込んで、器用にオールを動かして、船を漕ぐ。


 二日前に雨が降っていた割には川は増水も氾濫もしておらず、まるで湖であるかのように、表面は滑らかで静かだ。


 ちゃぷり、ちゃぷりと間断なく船縁をたたく水音や、船が推進する時のギッと軋む音、オールのペタリともパチャリともつかない静かな音以外はほとんど何も聞こえない。

 あるいは聞こえているのかもしれないが、それらの音にかき消されているのかもしれない。


 船から顔を突き出して、川面を見ると、透明度の高い水底に揺らぐ水草や、小魚の群れまではっきりと目に映る。

 川の両側に生い茂る木々は、時折風に揺れるほかは微動だにせず、その内側に幾多もの生命を宿らせて佇んでいる。

 サバラは、自身もそういった自然に満ち溢れた景色の一つであるかのように、黙ってオールを動かす。


「そろそろ交代しようか?サバラ。」


「いえいえ、救世主様の手を煩わせるほどの事ではありません。」


「しかし、ぼくは、君と一緒にいると、やる事がなさすぎて、化石になってしまいそうだよ。」


 サバラは少し笑う。


「それでは、もしも疲れたなら交代していただきましょう。」


 しかし、それから数時間漕いでも、サバラの体力は一向に衰える気配はなく、ぼくは、退屈のあまりサバラに話しかける。


「良ければ君の身の上話を聞かせてはくれないだろうか。」


 空は青く澄んで、逆光で黒く見える鳥が一羽、随分上の方を旋回し、どこか遠くへ飛んでいく。


「かまいませんよ。全くもって面白いとはいえない話ですが、少々救世主様のお耳とお時間をお借りする事にいたしましょう。」


 サバラは、微笑みを崩す事なく淡々と話をする。


「わたくしは最初、村の中で一人で泣きながら歩いていたそうです。


 医師がわたくしを家に連れて行き話を聞き出そうとしましたが、残念ながら記憶を喪失していまして、わたくしには現在しか分かりませんでした。


 それ以来、わたくしは、その医師の家に引き取られ、そこで暮らしました。

 医師はわたくしに色々な事を教えて後継ぎにしようとしましたが、残念ながらわたくしは乏しい知的好奇心しか持ち合わせておらず、しかも、その向かう先は植物のみでした。


 ですが、医師はとても寛大な性格で、その事が分かってからも、わたくしに対しての態度を変えませんでした。


 しかし、ある雨降る晩に、家に急患が運び込まれてから、彼や、村人達のわたくしを見る目が変わったのです。


 急患は、さる身分の高い貴族の娘で、従者を一人連れてたわむれに村付近の森に迷い込んで毒のある植物を触り、彷徨った末、命からがら村にたどり着き、医師の家に運び込まれたのです。


 医師は、何とか手を尽くしましたが、彼女は一向に良くなりませんでした。

 日に日に顔色が悪くなっていく彼女を、ぼくは助手として医師を手伝いながら見ていました。

 彼女の顔色は、最初は青白く、やがて茶色く浮腫み、最終的には赤黒くなり、真っ赤なザクロのようなできものが広がりました。


 そのできものは、少し衣類や寝具に触れただけで直ぐに潰れ、赤い血液がすーっと流れるのでした。

 そして、よっぽど体が苦しい時、喉をかきむしるような仕草をしながら、彼女が、まな板の上でピチピチと跳ねる魚のように身を捩ると、シーツも寝巻もみるみるうちに全て真っ赤に染め上げられるのでした。


 ある夜、わたくしは、枕元に置いてある椅子に座って彼女を見ていました。


 というのは、数日前から、彼女の様子はおかしく、意識が混濁するようになっていたので、もういつ亡くなっても不思議ではないと思われたからです。


 彼女がそれを望んでいたかは分かりませんが、わたくしなら、この世界から旅立つ際、見知らぬ土地で一人きりで誰にも手を握られたりしないのは悲しくてやりきれないでしょう。


 そこで、灯りを落してある、薄暗い室内で、彼女の顔を眺めていると、不意に彼女は口から無数の泡粒を吹き出しました。

 ポコポコと途切れることなく吹き出すその泡は、最初は透明でしたが、徐々に血液の赤が混じり始め、わたくしは、もう死ぬのかと思い、彼女の手を優しく握ってやりました。


 すると、彼女の体の構成要素や病状、病巣となっている体の各所が全てわたくしの頭の中に流れ込みました。

 そして、わたくしは、頭の中で、彼女の体をバラバラに分解し、その病巣をスッと取り除く様子を思い浮かべました。


 それは、時間にして、ほんの3,4分だったと思います。

 急に彼女はありがとうと言うと、ベッドから起き上がりました。

 顔からはできものが全て取り払われ、まるで無垢な子どものような朗らかな様子でした。


 彼女の証言により、わたくしの治癒能力といってもよい、解析と分離の能力は村中に知れ渡り、わたくしは一躍時の人となり、村人たちは、事あるごとに医師や神よりわたくしを頼る様になり、隣村や遠方からも運び込まれる野菜のような人々を機械的に治療しているうちに、わたくしは気付けばいつの間にか聖者と呼ばれていました。」


 ぼくは、サバラの抑揚が控えめな淡々とした口調で語られる話を聞きながら、自然に目を閉じていた。

 すると、水音やオールの音の合間に、森から流れ込んでくる無数の呼び声のような鳴き声が聞こえて来るような気がした。

 しかし、それらは錯覚であり、やはり、今、耳に聞こえているのは、主にサバラの声なのであった。

 低くもなく、高くもないその声は、水の水平な広がりに似て、どこまでも滑らかに続いて行きそうだった。


「そんなある日、村をモンスターの群れが襲いました。


 阿鼻叫喚渦巻く地獄絵図のような景色の中、わたくしは何とか彼らを、そして何より親切にしてくれた医師とその妻子を守ろうとしましたが、数の多い群れの中から一匹を抽出して破壊しても、別のモンスターたちが次から次へと津波のように襲い掛かって来るものですから、わたくしの能力は大して役にたちませんでした。


 そうして、気付くとわたくしはただ一人の村の生き残りとして、閑散として荒れ果てた村の中に立っていました。


 亡くなる寸前に医師が言った、お前なら魔王を倒せる。どうか、倒してこの地に平和をもたらしてくれという言葉が頭の中で鳴り響きましたが、わたくしは、争いや死や病に最早心底うんざりしていました。


 わたくしの手の中には、その時一冊の植物図鑑がありました。

 それは随分古いもので、この世界の全ての植物を網羅しているとは言い難い代物でしたが、わたくしが無意識に、手に抱えて身を挺して守り、持ち続けていたものでした。


 わたくしは、それを見て、決意したのです。

 国王陛下に認定されるほどの完璧な植物図鑑を作ろうと。

 そうして、旅を続け、植物を採集し続けているというのが、わたくしの身の上でございます。お粗末様でございました。」


 ぼくはサバラの話を聞き終えるとたちどころに眠りに落ちていた。

 一瞬サバラがぼくの手を触った感触があった気がしたが、意識は脆く流れて、夢の中へ消えて行く。

 魚が跳ねる水音を聞いたのを最後に、ぼくは完全に眠ってしまった。

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