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この異世界は現実ですか?  作者: 春目 冬樹
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四章:運命 第二夜 

 運命の女を、ぼくはずっと探している。


 最初に運命の女の話を聞いたのは、藤棚の下のベンチに座る祖父の膝の上だった。


「運命の女というのはなかなか出会えないものだが、もしも運よく出会う事が出来れば必ずそれと分かるものだ。

 お前が彼女と出会う事が出来たら必ず結婚しなさい。」


「もしも結婚できなかったらどうなるの?」


 という質問にも、


「おじいちゃんは出会う事が出来たの?」


 という質問にも答える事はないまま、祖父は間もなく病床に就き、帰らぬ人となった。


 それ以来、ぼくは、日夜運命の女を探し続けた。


 学生時代は、校内のみならず、学校へ行き帰りする途中の電車の中や道の上でも探していたし、休日には積極的に繁華街が多かったが、それ以外にも色々な場所に出向いては、ぼくは、運命の女を探した。


 運命の女はなかなか見つからなかった。


 雨が降る夜道に、トンネルの中で雨宿りして、一人佇んでいる女が運命の女であるような気がして、暗がりで顔を覗いたりもしたが、彼女は運命の女ではなかった。


 勿論学内一の美少女という噂の高嶺の花の同級生も、桜舞い散る入学式にすれ違ったが、やはり運命の女ではなかった。


 彼女であって欲しくはないと思いながら、終電の去った後もホームに残ってベンチにぐったりとした様子でへたり込んでいる女性も、運命の女ではなかった。


 雪降る宿に泊まった際に出会った、春のような声で笑う、病気の療養中らしく母親と連れだっている華奢な女性も、運命の女ではなかった。


 そこかしこのドアの向こうにいる人々、誰かと身を寄せ合って屈託なく話す人々、手持ち無沙汰にぼんやりと喫茶店でコーヒーを飲んでいる人々、歩いたり走ったり手足をぶらぶら動かしたり、肩や頭を回したり、発車間際に窓から外を見ている人々…。


 街はどこもかしこも運命の女の気配に満ちていた。


 しかし、ぼくは、そのどこにも運命の女を見つけられなかった。


 そこでぼくは、大学卒業間近で、就職口が決まったある日、両親を説得してお金を借り、それを元手にして、運命の女を探す旅に出た。



 厳しい旅だった。


 飛行機には酔うし、食事は口に合わないし、宿泊施設でも商店でも言葉が通じないし、孤独に胸が張り裂けそうになるしで、ぼくは、完全に参ってしまった。


 それでも、ぼくは、どうにかしてそれらを克服し、優しそうな人に出会えば、運命の女について聞き込み調査をした。


 しかし、どこで誰に聞いても、彼らは悲し気に首をふり、間違っているかもしれないが、こうした方がいいと言うのが関の山だった。


 ぼくは、それでも、自分の感覚よりも彼らの感覚を頼って、彼らが言う通りに色々な場所へ行った。


 世界で一番高い山にも登ってみたし、体が浮かぶ不思議な湖で泳いでみたりもしたし、名もなき無人島でキャンプしたり、高山の部族を訪ねたり、貧民街をうろついて窃盗団の子ども達に有り金の大半を盗まれたり、氷山に囲まれた場所で、生のアザラシを食べながら眼球が凍り付きそうになったりもした。


 ぼくの旅の記録をもしも書き記せば、マルコ・ポーロの東方見聞録ほどに有益な情報は得られはしないだろうが、それなりに面白い旅行記が出来上がっただろうと思う。



 そんな中、ぼくは、ある男から耳寄りな情報を得た。


 その男は、遊牧民だったのだが、右目が義眼で、左肩がなかった。


 なんでも、土地の権利争いにおいて、義理の兄にやられたのだそうだ。


 ぼくは、彼の、左目で視野全体を補っているためか、ギラギラ光る白目が黄色い眼や、薄暗いカンテラの光に照らし出された、テントの中のいたるところに置いてある、呪いに使うらしい怪しげな数々の品々を目にして、多少は怯んだものの、もう親や親類に頼み込んでも仕送りはしてもらえないギリギリの状況に追い込まれていたために、信じる事にした。


 男はこう言った。


「明日の朝、まだ日が昇る前にこの付近で一番高い丘に登り、そこから見える標識に従って進みなさい。

 そうすれば、運命の女に出会えるでしょう。」


 ぼくは、翌日昼間に寝て起きると、まだ夜のうちから一番高い丘に登り、そのてっぺんに座って周囲を見渡した。


 星の綺麗な夜だった。


 見下ろすと、なだらかな丘陵がどこまでもどこまでも続いているのが見えた。


 夜の獣たちも今日はそれぞれの巣穴で眠っているのか、声も聞こえず姿も見えなかった。


 ぼくは、黙って座っては、夜が明けて標識が見える時をずっと待っていた。


 夜露が衣類に沁み込み、そのせいで足が凍えそうになっていた時、東の方向から眩い光が登って来た。


 その時、オレンジ色に燃え立つように染まった草原の中に、一本白い立札が立っていた。


 立ち上がって、近くでよく見ると、それは、何の変哲もない白い木と釘で出来た粗末な立札だった。


 その中央には、黒い矢印で→が書いてあり、ぼくは、そちらの方向へ進む。


 しばらく進むと、また立札が立っており、その中央には今度は黒い矢印で↑と書いてある。


 そんな風にぼくは、草原の中を突き進み続けた。


 進めば進むほど何故か身は軽くなり、ぼくは今すぐに真っ赤な太陽のある場所まで飛んで行けそうな気がした。


 そのうち、何だか自分の体が自分ではないような、不思議な浮遊感を感じると、ぼくは、四つん這いになって走っていた。


 しかし、ぼくは少しも不快ではなかった。


 むしろ、今の状態が、ぼくの本来の状態であったかのような、深い安堵さえ覚えた。


 そうして、そのまま足のおもむくままに走り続けると、ぼくは、おとなしく牧草を食べている金色の毛を持つ羊の群れに遭遇した。


 ぼくは、最初向きを変えてどこか違う場所へ行こうと思った。


 しかし、群れを率いる男の角笛を聞くと、体が拘束されたかのように動かなくなり、気付くと、ぼくも、群れにいる羊たちと一緒になって牧草を食んでいた。


 右目と左肩がない男性は、ぼくの背中を撫で、嬉しそうに笑った。


 ぼくは、意味がよくわからなかった。


 ただ、それからは、ぼくの羊としての新しい日々が始まった。


 羊としてぼくは、囲いの中で夜を過ごし、群れのオス達と争い、無意味にたわむれて少し群れから離れて走り、また戻っては、草を食み、男に守られながら暮らしていた。


 ぼくの得たメスの羊は、ぼくと同じように金色で、とても優しく穏やかな性格で、どこまでも従順にぼくについて来た。


 ぼくは、概ね満足だった。


 上空では月と太陽が交互に入れ替わり、その間、雨や嵐や雪が通過し、その下のぼくは、伸び伸びとただ生きていた。


 時折何かを思い出しそうになったが、そんな時は、蹄で土を数度かきさえすれば、もうどうでも良くなった。



 そんなある日、ぼくは男に羽交い絞めにされ、狭いトラックに乗せられた。


 トラックは、どこどことデコボコ道を走り続け、やがて、貧しいバラック小屋の前に止まった。


 縄に縛られたぼくを置いて、トラックは去り、ぼくは部屋に投げ入れられた。


 まだ幼い子供が一人、ぼくのそばに来て、背中を撫で、嬉しそうに言う。


「綺麗な金色の羊。とてもかわいい目をしてる。」


「触っちゃ駄目よ。それは、今日の婚礼の儀に必要な生贄なんだから。」


 高齢の女性が一人、座って花輪を作りながら静かに言う。


 その時、裏口が開き、ドアを額縁にして、白い光の中から一人の女が室内に入って来る。

 スズランの濃い香りが辺りに充満し、艶やかな声が、空気の色を変える。


「まあ、もう金色の羊が届いたのね。」


「お前は全く、今日の主役であるにもかかわらず、落ち着きがないねえ。一体どこへ出かけていたんだい?」


「おじい様のお墓よ。まだ婚礼の報告をしていなかったものだから。」


 そう言いながら、女は子どもの隣に座った。


 ぼくは、女の目を見た。

 女も、ぼくの目を見た。


 その瞬間、ぼくの目からは涙がこぼれだした。


「羊さんが泣いてる。羊さんの涙、金色の涙。」


「それは、取っておくと金になるからね、この後、たっぷりと痛めつけて取ろうと思っていたのに、ちと早いね。たらいに入れておやり。」


 ぼくは、銀色の冷たいたらいの中に横たわる。

 ぼくは、ぼくの運命の女である彼女に向かって、人語で愛を告げようとするが、出て来る声は、憐れな羊の泣き声だけだ。


 ずっと君を探して来たんだ。

 それが気付いたらこんな畜生の身に落ちて、もう君に今更出会えてもどうしようもない。

 ああ、ああ、君はなんて美しいんだ。

 その月光を結晶化したように輝く瞳、濡羽色の髪、どんな果実よりも瑞々しい唇、こうなると、自分の目が厭わしいほどだよ。

 君のこんな美しさを、言葉を失うほどの例えようがない愛おしさを知る羽目になるのならば、最初から目などなければ良かったのに。


「ずっと運命の人を探していたせいで、お前は晩婚だから子どもを産めるかどうか分からない。

 せめて、金色の羊でも買って、金を積んで、相手の男性やそのご家族にいいように思ってもらわないと、後々大変だろうからね。」


 母親が、女の頭上に愛らしい花輪を乗せながら言う。


 それを聞いたぼくは、後悔に囚われる。


 彼女はずっとここで待っていてくれたのに、ぼくは一体何をしていたんだろう。

 人の言う事を聞いて、囚われて、結局こんな惨めな結末になってしまった。


 女は、ぼくの思いが伝わったかのように、ぼくを見ながら、憐れみの表情を浮かべる。


 長い睫毛が瞳に被さり、眉根が少し困ったように寄っている。


 そうして、女は、真っ白で柔らかな手のひらをぼくの目の上に乗せて、ぼくから世界を隠した。


 それから、ぼくの見えない目の向こうの世界には、誰もいない真っ白なスズラン畑が、逃れようもない運命を優しく癒すように、どこまでもどこまでも果てしなく続いていたのだった。

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