三章:宴
目を覚ますと、目の前には寝ているひげ面の若者が一人うつ伏せになっており、その背後に、橙色の松明の火が灯っている。
ぼくが身を起こした気配を察して、目を覚ました若者は、無邪気に伸びをして、おはようございますと言い、立ち上がってから、ドンに対する敬意を表するために踵についた鈴を二度小さくリンリンと鳴らす。
「今は朝なのか?それとも夜なのか?」
「まだ夜でございます、ドン。
ですから、ぜひとも我々の宴に参加していただきたいと思いまして、ここで、わたくしがこうして目覚めを待っておりました。」
ぼくは、少し残念に思いながら、仕方なく立ち上がり、宴の席に向かう。
入り組んだ洞窟の中の道は、土を被せて舗装されているので通りにくいわけではないが、非個性的で覚えづらい。
松明を掲げて前に進む若者から目をそらして、ふと横を見ると、白い鍾乳石がつららのように無数に連なっているのが見える。
その更に先へ、ぼくはこの集落に到着して間もない頃に、見知らぬモンスターを求めて入った時の事を思い出す。
松明の光に照らし出された鍾乳洞は、時に異教の神を祀る神殿のように神秘的にも見えたし、異星人や狂気に陥った芸術家が作り出した、怪しげな異界のようにも見えた。
その中を時には腰をかがめながら苦労して進んでいると、不意に目の前にドームのような広い空間が現れた。
右奥には鍾乳洞の出口があるため、日が射しており、その光が、地面に広がる鍾乳石の棚田のような無数の窪みの中に溜まっている青く澄んだ地下水と、その白い底をくっきりと照らし出している。
ぼくは立ち止まって、しばらく自然の作り出した何とも美しい威容に見とれていた。
すると、その地下水の水全体が、ボコボコと泡立ち始め、中から無数の水のように透明な丸いモンスターたちが現れた。
彼らは、ぼくの目の前で組体操をするかのように滑稽な身振りで積み上がり、やがて、全体が一気に液状化したかと思うと、大きな一匹のモンスターに変化した。
ぼくは、創造の力を使って、空気砲を作り、巨大な水の塊の中央を貫く。
その瞬間、モンスターはピルピルピチピチと涼し気な音をたてて、小さなモンスターに分裂し、それを、更にぼくが空気砲で撃ちぬいていくと、もっと小さなモンスターにプチプチと無数に分裂して行く。
それらをぼくが、追い打ちをかけるように、撃って撃って撃ちぬいていくと、果てしなく感じられる程の時間が経過した後、彼らはこれ以上モンスターとしての形を保てないほどに小さくなったのか、あるいは、ぼくに見えないだけで、更に小さなモンスターたちに分裂したのか分からないが、プルリと水に溶けるようにいなくなった。
その時ぼくは、想像通り過ぎる展開に、何だ、こんなものかと思った。
それは、この世界全体に対する失望感がぼく自身にはっきりと感じられた瞬間でもあった。
未知は必ず既知になった瞬間につまらなくなる。
全てが想像通りなら、全ては既知である。
従って、この世界の全てがぼくにとって、つまらないもののように感じられる。
ある程度の経験を積み、自分の将来が完全に決定している熟年の人間ならば、誰でもこんな気分を味わうのかもしれない。
だが、ぼくの不幸は、それのみならず一切間違いを犯すことなく何でも出来てしまう事だ。
失敗があるなら挑戦しようという気にもなるが、それがないなら何をしても挑戦する価値がないように感じられる。
価値とは恐らく苦労して得た結果感じられるものなのだろう。
だとすれば、ぼくはこの世界の何に対しても価値を感じられはしないだろう。
「ドン、ずいぶんぼんやりしていますね。
まだ寝たりないのではありませんか?」
声をかけられて何となく若者の方を向くと、気さくな笑みを浮かべる若者の向こうに、暗がりの中でぼんやりと光る宴の焚火の灯りが見える。
「いや、眠くはないが。」
ぼくは会話を無意味に感じて言葉を切る。若者は怪訝な顔をしてこちらを見るが、すぐに前を向いて、再び進み始める。
焚火の火は、ほとんど揺らぐこともなく、ただ静かに上がっている。
周辺に座ったり、寝転んだりしながら静かに休息をとっている人々の姿が、次第にぼくの目にはっきりと見え始める。
「皆寝ているようだし、このまま寝かしておくのはどうだろうか。」
「いや、皆が部屋ではなくここで寝ているのは、ドンを待っているからなのです。
どうか、折角起きて下さったことですし、皆を喜ばせてあげて下さい。」
ぼくは、少し若者に好感を持つ。
ぼくに対して反論するということは、本音を露呈しているということだ。
人によっては、特に高齢者に多いのだが、ぼくに対して異様にへりくだったり、お決まりの救世主に対する崇め奉る対応をして来る場合もある。
彼らは、一様に同じ対応を繰り返すので、ぼくは段々と彼らがロボットであるかのように味気なく感じられてならない。
焚火のある場所に到着すると、そこにいるのは約20人ほどの若者だった。
案内してくれた若者が皆を揺り起こし、皆は眠そうに目をこすったり、伸びをしたりしながら起き上がり、ぼくの姿を目にしては、形ばかりに感じられる感謝の言葉を口々に述べる。
ぼくは手を前へ突き出して、感謝には及ばないという事を示し、鷹揚に周囲を見渡しては、婚礼の恰好をしている男女を探す。
もしも結婚する男女がいれば、ぼくはドンとして彼らに対して面倒な祝福の儀を執り行わなければならない。
しかし、それらしい男女は見当たらない。
「今宵の宴は、純粋に戦闘の後のねぎらいのためだけに開かれたようだな。」
ぼくはほっとして薪のそばに寄り、一本取り上げてから焚火にくべ、皆と同じように地面に腰を下ろす。
いそいそと誰かが持って来た手織りの絨毯とモンスターの骨と皮で出来た、ゴワゴワとした触り心地の座椅子がすぐに用意され、ぼくは、素直にその上に座り直す。
すると、サラサラと足首まで続く長い衣類の音をたてて、4、5人の女性がぼくの周辺の絨毯の上に座る。
ぼくが彼女たち、つまり集落に住む年頃の玉の輿を狙う女性達に目をやると、彼女たちはくねくねと品を作り、そのギラギラと野心的に輝く目と、ぼくの無機質な視線がかみ合いでもすれば、それだけで昇天しそうな絶頂状態のほてった顔を見せるのだ。
しかし、その策略に乗せられて一度でも手を出したりすると、とても面倒な権力闘争に巻き込まれてしまうに違いない。
そういうわけで、ぼくは、やはり彼女たちにもうんざりして、仕方なく、目の前に置かれたシラタケというキノコの一種と、ナワナガと呼ばれる毒のある昆虫が惜しげもなくふんだんに入った、ピュウイという名の飲み物を口にする。
いつもながらの鼻から上に抜けるような爽やかな刺激があるピュウイは、頭を酩酊させる効果があるので、ぼくは、少しだけ違う角度からこの世界を眺めている気になって、胸がスッとする。
「そろそろ、お願いいたしますよ、ドン。」
ふっと毒蛇が音もなく身を寄せて来たような不穏な気配とともに、吐き出される媚びを含んだ言葉を耳にして、ぼくは、たちまち嫌な気分に満たされながら立ち上がり、不承不承皆に呼びかける。
「今日合成して欲しい者は誰だ?前に並びたまえ。」
そう言うやいなや、ぼくの前に全員がずらりと列をなし、一番手前にいる男女が期待と恥じらいを含んだ熱視線でぼくを覗き見る。
ぼくは、どうでもいいという気分で、さっさと彼らを合成してしまう。
なんでもぼくに一度でも合成してもらえた男女は永遠に結ばれるという信憑性の薄い俗説を、この集落の奴らはほぼ全員信じているらしい。
しかし、一度ならず、二度や三度合成してもらおうとぼくの元に来る連中がいるという事は、恐らく、合成の際かその後に、彼らにしか味わえない快楽が発生しているのだろうとぼくは思っている。
その証拠に、合成されたやつらは、そのまま姿を消し、翌朝まで決して姿を見せないのだ。
そう考えると、彼らの恥じらいの表情の意味は、快楽を味わう際の罪悪感に起因しているようであり、ぼくは、何とも言えない不快感が加速度的に高まって来るのを感じる。
全員を合成し終わると、後に残ったのは、ばらばらの女達と、数人の男達だけだった。
ゆったりとした動作で焚火に薪をくべる男の顔を見ると、ここに案内してくれたひげ面の若者だったので、ぼくは、顔見知りの気安さで、彼を手招きでそばに呼び、話をしてみる。
「名前は何と言うんだ?」
「サバラです、ドン。」
炎に照らし出され赤く染まった顔が、曖昧に微笑みの形を作っているのが見える。
「サバラは付き合っている女性はいないのか?」
ぼくは、当然いないだろうと予想しながらも、分かり切った事を聞いてからかおうとする。
「おりません。わたくしは、ここに来てまだ日が浅く、最低でも二年経たなければここの住人とは認められないので、女性も近づいて来ないのです。」
「なるほど、そうだったのか。」
ぼくは、あてが外れた事を隠すように、ピュウイを一気に飲み干し、急にバチバチと音をたてる焚火を眺める。
「サバラは、この集落についてどう思う。」
「そうですね…近年、魔王の力が強まって、今まで出なかった場所にスモードンなどの強力なモンスターが現れるようになったために、世界の集落数は減少しつつありますが、ここいらはまだドラゴン程度しかいませんし、平和で良いと思います。
人々も、城下町の連中よりずっと素朴で私心がなく、皆で助け合いながら地に足がついた狩猟採集生活を送っていますしね。
ただ、少々排他的なきらいはありますが。」
「まあ、そうだろうな。」
ぼくは、サバラを信頼できそうだと思う。
救世主様がいらっしゃいます限り、わたくしは永遠にここにいるのですといった歯の浮くようなセリフは、聞き飽きて肥大化した耳の蛸がもげそうだ。
サバラは違う気がする。彼は恐らく本当の事しか話さないこの世界では貴重な存在だ。
「それが、君がこの集落にいる理由なのか?
ここを気に入っているという事が理由か?」
身を飾り立てて来た女達は、ぼくの話には一切興味がないのか、気付くと絨毯の端に集まって、互いの爪や装飾品を見せあっている。
「まあ、そうです。
ですが、わたくしは、この集落を気に入っているわけではありません。
わたくしの目的を果たすためには、ここは不向きですから。」
「目的とは何だ?」
「この世界の全ての植物を採集して、国王に認定されるほどの植物図鑑を作成する事でございます。
この周辺の植物は見知ったものばかりで、残念ながら無価値です。
ですから、わたくしはもうすぐこの集落を出る事でしょう。」
サバラの確信に満ちた、ある種超然とした態度を見て、ぼくは思わず言う。
「ならば、ぼくと一緒にここを出よう。」
サバラは驚いた顔をこちらへ向ける。不思議に思うほど、サバラの表情はごく自然であり、大抵の連中のように読みやすい演技的不自然さがない。
ぼくは、その事に気付いて一層嬉しくなる。
「ぼくと一緒なら、危険な場所に生えている植物の採集も安心して出来るし、ぼくは、これから未知の大地へおもむくつもりだから。」
「未知の大地…まさか、魔王城の周辺へ行かれるのですか?」
「そうだ。」
ぼくは、今思いついたばかりの事を、今までずっと考えて来た事であるかのようにきっぱりと述べる。
言い切ってしまうと、急に自分の思いつきもまんざらでもないと感じられる。
この既知の世界はぼくを退屈させるだけだし、魔王城の周辺なら、再びミリアンに巡り合えるかもしれないのだ。
焚火の周りに座っていた男性のうち一人が、急に歌を歌い始める。
その歌声は朗々と洞窟内に響き渡り、もうあと一歩で訪れる朝を後押しするようだ。
急に外から流れ込んだ空気のにおいを嗅ぐと、そこには澄んだ朝露の成分が微かに混じっているように感じられる。
「わたくしがあなた様にとってどれほどの価値があるかは存じませんが、その提案はわたくしにとって渡りに船でございます。
ぜひ、ご同行させていただきたく存じます。」
ぼくは黙ったままうなづき、この地での最後のピュウイを味わうように飲み干したのだった。