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この異世界は現実ですか?  作者: 春目 冬樹
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二章:紙芝居 第一夜

 紙芝居のおじさんで親しまれている初老の男性は、いつも公園へやって来る。

 時間は大抵小学校が終わる5時頃だ。


 紙芝居のおじさんは、下校途中に公園に立ち寄るぼくら小学生たちに手招きをして、飴を配り、みんな飴を食べるからには、紙芝居を観ていきなさいと言う。


 ぼくらは、そんな事を言われるまでもなく観るつもりだったので、さっさと大きな木の下に立つおじさんの足元に集まって座る。


「さあ、今日の最初のお題は、こちらだよ。」


 おじさんは、言いながら紙芝居の額の中から真っ黒な紙を一枚引き抜いて、自分の手前に差し込む。

 すると、額の中には、一枚の絵が現れる。


 それは、クレヨンで書かれた稚拙な絵に見える。


 絵の左下の方から右上にかけて、緑の山々が描かれており、途中で赤い橋を渡ると、右上には、黄色い屋根のお家が一軒建っている。


 子ども達は口々になにこれ、なんのえ、はやくかみしばいはじめてよなどと、親しみをこめた不満を口にするが、おじさんは動じずに微笑んでいる。


 顔一面焦げ茶色の皮膚に覆われ、それがとても薄いためにすぐに細かい皺になって表面に現れるおじさんの顔は、微笑むと皺の数が多くなりすぎていたし、見開いた目がその皺と同調していないように見えたので、ぼくの心にわずかな不信を呼び起こす。


 頭上の大きな木は、ほとんど太陽の光を隠している。


「さあ、みていてご覧。」


 おじさんはそう言うと、割り箸の先に一人だけ女性であとは男性の5人の人間の絵を描いた紙をつけた小さなペープサートを取り出し、彼らに苦労して山を登らせる。


「えっちら、おっちら、えっちら、おっちら。」


 5人の人間は、割り箸の先をパクリと食べられたように、家の中に消える。


「5人は、家の中で、とても楽しく過ごしました。

 暖炉の赤い火に照らし出されながら、のびのびと思い思いの姿勢で、ご馳走を食べ、とっておきのワインを口にして。

 5人は、家の中で、とても楽しく過ごしました。

 そうして、夜はふけ、朝が来て、彼らは目を覚ましました。

 太陽の白い光を浴びながら伸びをして、澄み切った山の水を体を浄化するように飲み干して、思わずこぼれる互いの笑顔を見るたびに幸福を味わい、爽やかな緑と土の香りを思う存分吸い込んで。

 楽しかったね、また遊ぼう。

 えっちら、おっちら、えっちら、おっちら。

 4人は山を降りて行きました。」


 どういう仕組みなのか、山を降りて行くために家から引き抜いたペープサートからは女性が一人消えている。

 子ども達は目ざとくその事に気付き、ひとりいなーい、おじさん、たりないよ、などと口々に言う。


「そうだね、一人たりないね。

 じゃあ、みんな考えてみよう。

 女の人一人は、大自然に囲まれたお山のてっぺんのお家の中で、一体どこに消えたのかな?」


 子ども達はしばらく黙る。


 風が吹き、他の子ども達の途切れ途切れのはしゃぐ声や砂を巻き上げながら、こちらへ寄越す。

 頭上の木は、微かな葉擦れの音をたてるが、微動だにせずそびえ立っている。


 しんだ、ころされた、けがした、まだおとまりしてる、子ども達が口々に自分達の出した結論を口にする。


「そうだね、色々な事が考えられるね。」


 言いながらおじさんは、木から白い糸を垂らして頬に落ちて来た蜘蛛を一匹、手で叩き殺す。


 うわぁー、おじさん、むしころしたと子ども達が故知らずはしゃぐ。


 おじさんは、ぺしゃんこになった蜘蛛の死骸をこちらへ見せる。

 子ども達は集まって見る。

 まだあしがうごいてる、きたなーい、かわいそう。


 ぼくも、恐る恐る見る。

 細長く黒い八本の足の中央に、小さい黒まると大きめの黒まるを重ねたような蜘蛛の体は、体液も滲まず、乾いたまま、紙のようにペラペラになっている。


 ふと視線を感じておじさんの方を見ると、おじさんは、茶色く透き通る目を大きく見開いて微笑みながらぼくを眺めている。


 おじさんの、顔についた無数の黒いシミと、ツンツン伸びた白い無精ひげのせいで、おじさんが、急に自分達子どもとは異質の生物であるかのように感じられ、ぼくは背筋が凍る。


 足元の産毛をそよがせる風が、かえろう、かえろうと促して来るようで、ぼくが2、3歩後ずさりすると、木の下で子ども達に囲まれたおじさんが、急に遠い景色のように陰りを帯びて見える。


「この蜘蛛さんは、お家に帰ろうとしていたのかもしれない。

 とすると、お家にいる蜘蛛さんの数が一人減ったという事になる。

 蜘蛛さんの家族は、蜘蛛さんについてどう考えると思う?」


 おじさんのせいだとおもう、どこへいったんだろうとさがす、しんぱいしてまってる、かなしくてみんなしんじゃう。


「そうだね。蜘蛛さんの家族は心配だろうね。

 でも、蜘蛛さんは二度と帰っては来ないんだ。

 だって、こうやって、おじさんの手のひらの上で、今つぶれてしまったんだから。」


 おじさんは悲しそうな口調で、笑いながら言う。

 ねえ、かみしばいしてよ、そんなことより、かみしばいがみたいよ。


「本当におじさんの紙芝居を見たいのなら、今日は、おじさんにどこまでもついて来ないといけないよ。

 それでも見たいかい?」


 子ども達は不服の声をあげる。


「そうだよね、君達には、君達の事を心配する優しいお父さんやお母さんや兄弟やお友達がいるんだから、どこまでも、どこまでも、果てしなくおじさんの後をついて来るなんて事は、出来るはずがない。」


 そうだよー、いじわるいわないでよ、おじさん、おじさん、きょうはどうしちゃったの?


 ぼくは、一人だけ自分の足元の影を見下ろす。

 影は、とても小さく、不本意にもか弱く見える。


 おじさんが、真顔でぼく一人だけを見ている。

 子ども達はいつの間にかどこにもいない。


 おじさんは、ついておいでとばかりに、懐から笛を出して吹きながら背中を向ける。

 笛の音色は教会の聖歌のようにどこか懐かしく、清らかで、踊り出しそうになる陽気なメロディーとは相反する墓地のような深みと陰鬱さがある。


 おじさんの頭はほとんど上を向き、張った胸は誇り高さを表しているし、足は複雑なステップを踏みながら交差して前へと進み続けているのに、たるんだ臀部と落ちた肩が、蓄積した年月の重みを悲し気に表しているように見える。


 ぼくとおじさんは、進んで行く。

 灰色の高い塀と電信柱とアスファルトが続く、和やかに細かな違いで互いに牽制し合っているような、ごみごみとした住宅街を抜けると、ぼくらは、無機質に光る銀色の工場に挟まれた川沿いを歩いて行く。


 ぱーっと間抜けなラッパのような音が響くと、煙突から風に巻かれてすぐに散り散りになる紫煙が湧く。


 笛が奏でる音楽は、徐々に高まり、ぼくの頭はしびれたようにぼんやりする。


 魚や海藻や石の柔らかなぬめりを想像させる、青臭い川の匂いを鼻から吸い込むと、ついつい目から涙がこぼれそうになる。


「おじさん、どこまで行くんですか?

 どこまで行けば、紙芝居を見せてもらえるんですか?」


 本当にぼくが言いたい事は、違っている。

 おじさんはどうして、ぼくの孤独を見抜いたのですか?

 ぼくが、誰からも必要とされていないという事が、どうして分かったのですか?

 おじさん、こんなぼくをどこへ連れて行こうというのですか?


 景色はどこまでも変わらぬようで、少しずつ夜の気配に染まっている。


「えっちら、おっちら、えっちら、おっちら。

 そのうち、見せる、今に、見せる。

 ついておいでよ、このままずっと。」


 道はやがて山に続き、暗い木々の群れが、おじさんを半ば飲み込もうとしているように見える。


 ぼくも、戸惑いながら木々の間に潜り込む。

 入ってしまうと、熱すぎるお風呂のお湯と同じように、ぼくはすぐに森に慣れる。


 最初は見え辛かったおじさんの背中も、すぐに良く見えるようになり、ぼくは、頭上に見知らぬ誰かの目のような白い月がぽっかりと出ているのを知る。


「えっちら、おっちら、えっちら、おっちら。

 そのうち、見える、君に、見える。

 ついておいでよ、このままずっと。」


 月光は、葉群にさえぎられて千々に分裂し、点々と清潔な白い玉がそこいらじゅうにまき散らされたかのように見える。


 おじさんの体の上にも、ぼくの体の上にも、点々とそれらは散らばり、ぼくは、自分もおじさんも、森の木々も、地面も、全てがばらばらになってしまったような気がする。


 このまま進むと、もっとばらばらになって、ぼくらは、崩れて全部が同じ何かに変わってしまうのかもしれない。

 そう思っていると、急に笛の音が消え、おじさんはいなくなっていた。


「おじさん。」


 ぼくが周囲を見渡すと、紙芝居が一枚だけ遺書のように落ちているのが見える。


 月光は点在をやめて、静かに頭上から届かぬ憧れの光を投げかけている。


 ぼくは紙芝居を見る。


 そこには一言、だれのせいでもないと書いてある。


 ぼくは、膝を折って座り込み、そのまま朝日が昇り、最初の鬨の声が高らかに上がってからも、森の香りに包まれながらずっとおじさんが帰って来るのを待ち続けていたのだった。

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