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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

最後の翼

作者: 乙坂SUBARU

ため息を吐く。

辛いことが全て、ため息と共に出ていってくれたら良いのに。なんて、考えても意味の無いことを考える。

だから辛いことなんてなにも無いのだと、心に言い聞かせて前を見る。

銃声のような爆音と共にホームに電車が駆け込んでくる。

いつもの帰り道の、いつもどおりの風景の一枚。そんな日常に、ふと、視界の端で風にあおられ黒髪が風になびく。

自然とそのクセの無い綺麗な黒髪に視線を引かれる。

次の瞬間、状況を理解した。何かをしようと本能的に体が前に出る。

時間が凪ぐ。風は吹き続ける。

私は咄嗟に一歩踏み出す。

一歩踏み出すと、不思議なもので驚くほど足が回る。自分でも驚くほど速く体が動いたのだ。葛藤なんかする暇もなく、私は走っていた。

その間にも、何かを掴もうと、私の手は虚空を掴む。

やがで、その手は少女の肩を掴んだ。

掴んだ、というよりはもう次の瞬間には引っ張っていたから、引っ張ったという表現の方が適当かもしれない。

勢いよく少女を引っ張っると、その華奢で軽い体はあっという間に、後ろに引かれる。

刹那、少女の鼻先の数ミリを電車が叫びながら駆け抜ける。

間に合った、と思うと同時に間に合ってしまった、とも思う。

立つこともままならないように見える少女はこちらに振り返る。その顔は酷く歪み、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになっていた。

赤の他人である私がこの少女の人生を変えてしまったのだ。そう悟ると同時に、何か罪悪感のようなものに襲われる。

私は目の前の少女に何か言おうとして、やめた。

これ以上、私がこの少女の人生を歪める権利など無い。そう考えると、途端に自分の行動が、いかに無責任なのかと思えてくる。

自分の人生でさえ変えられないのに、一体全体、私にどうしろと言うのだ。

だから、すみません、とだけ軽く頭を下げて言って、ようやく止まった電車に足早に乗り込む。

恐らく、かなり大きな決断をしてから踏み出したのだろう。立っていられるのもやっとなのに、それでいて一歩踏み出すまでに至れたというのに。私はその勇気と決断を無いものにした。

私には無い勇気と決断力を持ち合わせた、助ける必要もないような相手だったのに。

最悪だ。

電車に乗り込み、車両を見渡す。この時間の電車は閑散としていて、私は好きだ。

どこかの喧騒を忘れられる。

そのまま先程のことは忘れてしまおうと、シートに腰をかけ、英語の参考書を開く。


「ねぇ、」


参考書に視線を落としてまもなく、鈴のような声が私の脳に響く。

脳に響くというのは比喩で、実際は直接話しかけられてはいるのだ。ただ、ただその響くような声を不思議に感じたというだけだ。

視線を上げると、目の前に先程の少女が立っていた。さっきまで、泣いていたのに、今はそれこそ目の下は赤いけれど、先程まで泣いていた人の表情とは思えないほどに、私を睨んでいた。


「な、なに?」

「なんで?」


質問に質問で返されるというのは、こういうことなのかもしれない。ただ、少女の不完成の問いに完璧な答えは見つからない。

なんで?とは。何が、なんで?なのか。

予想が出来ないという訳では無い。「なんで、助けたのか?」「なんで、平然としてるのか?」そんな問いが今にも聞こえてきそうでならない。


「なんでって、なにが?」

「なんで、私を見殺しにしなかったの?」


まぁ、大方外れてはいなかった。少女の質問はもっともだ。それこそ、答えなんて返せないほどに。

だから、私は今ある全てを答えにした。


「なんとなく、それ以上でもそれ以下でもない。」

「ふーん、」


私の答えに納得したのか、してないのか、少女はゆっくり、私の隣に腰掛ける。

とてつもなく、居心地が悪い。

なんで、私の隣に座るのか。


「そういえばお姉さん知ってる?」

「……」

「ちょっと前のニュースで、自殺しようとしていた外国人を通りかかった女子高生が説得して事なきを得たっていうやつ。」

「……うん。知ってる。」

「それに対して、女子高生は感謝され、自殺しようとしていた人も、考える時間をくれた女子高生に感謝した、とかいう話。」


私は黙って聞いていた。

なんとなく、少女が言いたいことは分かってきた。というのも、このニュースに対しての視聴者の反応は酷いものが大半だった。


「でも、女子高生はとんでもないバッシングを受けたんだよね。」


そういう話だ。

結局は、その女子高生が、その自殺しようとしていた外国人の命を助けたところで、今後、その外国人の人生が楽になるという確証はない。

いわば、死は救済。ということを沢山の人は訴えたのだ。いや、言い方は悪いかもしれないが、結局はそういうことだ。それに、その意見も一理あるのは事実だ。

その女子高生が、今後その外国人の人生を支えることなんて出来ない。

助けたからには、責任を持てるのかという話だ。

私だって、その話を聞いた時は、私だったら助けない、という考えだった。

それこそ、見殺しにしただろう。

ただ、状況は変わった。

いざ、目の前にすると自然と体は動くものだし、目の前で人が死ぬのは嫌だ。

それと、なんだか抜けがけされているようでならなかった。

だから、この少女の人生を支える責任なんて持たずに、私は咄嗟に助けてしまった。

無責任だ……。

そんなことを思っていると、少女は表情を一変させ、今度は明るい表情と声音でで話し始める。


「それを踏まえてさぁ!」

「……?」

「私を貰ってよ!」

「え?……は?」


いやいや、訳が分からない。確かに、分からなくは無いが、分からない。

私が助けたのだから、この少女の命を手のひらに転がしているのは私だ。だから、私に責任を取れ、というのは必然とまで言える。ただ、どうしてすぐにそんなことを言い出せるのか不思議で仕方ない。まるで、私が助けるのを待っていたかのようだ。


いや、あんなに泣いていた少女だ。少し考えが大人びているというだけだろうか。

本心では今も涙を流し続けているのだろうか。


「私にあなたを養え、と?」

「うん!物分りが良くて嬉しいよ!」


いいや、物分りは良くないと思う。だって、この状況を私は全く理解していないから。

私に少女を養える余裕なんてない。金銭的にも、精神的にも。


「ね?お願い、お姉さん!」

「……ごめん。私にそんな余裕ないんだ。」


大して私と歳の変わらないように見える少女にお姉さんと呼ばれ、少し背中がむず痒くなる。

それはそうとして、とてもでは無いが、私にはそんな余裕がない。それに、少なからず私にも生活というものがある。

そうだ、少女は捨てようとしたが、私はまだ……多分、捨てる気は無い生活がある。

いや、捨てる勇気が無いという方が正しいか。

確かに、私はこの少女を助けた。ただ、それはただ単に目の前で死なれるのが嫌だっただけだ。

誰だって目の前で人が死ぬのなんて見たくないだろう。

だから、私の前で無ければ、死ぬんだったら勝手に死んでくれて構わない。

うん。そうすれば、ズルいなんて思わなくてすむ。

ふと、共に駆け落ちでもしてみないかと言おうかなんて思ったが、どうも私には非現実な妄想は出来そうにないらしい。

だから、断る。

丁寧に?いいや。突き放すように。


「確かに私は貴方を助けた。だけど、それは私の目の前で死なれたら気分悪いってだけだから、だから……」

「……ふーん、分かった。」


だから、と言ったが、次の言葉は出なかった。

でも、少女は私には言葉に出来なかった気持ちを、理解したようで、私の顔を少し見つめた後、すくっと立ち上がり、誰もいない車両の中をゆっくりと練り歩き始めた。

その様子はまるで何かにうなされているようでいて、でも何かに興奮してはしゃいでいるようにも見えた。

いずれにせよ、私にはこの少女が子供のようにしか見えなかった。

発言は大人びているのに、時々見え隠れする本心が薄く透けて子供のように見える。

思い立って、私は参考書に再び目を落とす。

必死に参考書の内容を頭に叩き込むことにする。そうしないと、余計なことを考えてしまう気がした。

少し経った頃だろうか、少女が沈黙を破る。


「お姉さん、私と似てるね」

「……は?」


突然、そんなことを言ってきたが、こんな少しの会話だけで、似てるなんて言われるほど私だって薄くは無い、はずだ。


「だって、お姉さんにも完璧ではないけど翼があるもん。」

「……え?どうゆうこと?」

「私の翼も未完成。」


少女の言いたいことは見えてこない。

どうして、いきなり翼の話なんて……


それだけ言って、少女はもう何を聞いても口を開こうとしなかった。

最初こそ少女の言葉の意味が気になって色々聞いていたが、やがて答えが返ってこないのを理解すると、何かを聞くのは面倒臭くなってきて、やっと口を閉じる。

私には羽が付いているのか?羽というのは、所謂、天使とかについてるあれのことか?

分からない。分からないまま、時間は進んで行った。

次の目的地に着いたことを知らせるアナウンスが静かな電車内に響く。

私ここで降りるねと、それだけ言ってから少女は音もなく電車を降りていった。

その背中には、少女の言っていた翼なんて全く見えなかった。


ふと、本当に誰も居なくなった車両の中を見渡して、自分の判断が正しかったのかと振り返る。

振り返ると言っても、終わったことをいちいち考えていても仕方ないのを理解しているから、すぐに考えるをやめた。


「……うーん。どんな選択をしても、気分悪いな、」


そう言って独り苦笑する。

そんな自身を嘲るような笑いはやがて虚空に溶けていった。


ーーーーーーーーーーーーーー


『今日の朝の通勤通学の時間帯、○○市の電車の線路に十代と見られる少女がホームから転落するという事故がありました。警察は少女が足を滑らせた事故の可能性と共に、自殺の可能性も視野に今後、捜査を進める予定だということです。その影響で○○線上り方面の全ての車両で運転見合わせ——』


そんなニュースを聞いたのは、あの日の次の日の夕暮れ時。

私が普段、使う駅での事故らしい。

事故はその日の通勤の時間帯に起きたということらしい。幸い、今日は朝補習があったので、事故の時間が登校よりも少し遅い時間帯だった。だから、私に電車の遅延などの実害が出た訳ではない。でも、その日、私は、


———私は人を殺した。


だって、そうだ。もし、私があの時、何か気の利く言葉をかけてやれたら、もし、私が養ってあげると言ってあげれたら。


「あぁ、結局気分悪いのには変わりないか……」


そうだ。私があの少女を助けてどうするというのだ。

私さえ養われていないのに、私が他人養うなんてのは矛盾しているとしか言いようが無い。そもそも、何度も言うが私には、そんな余裕は金銭的には精神的にも、ありはしないのだ。

それは、他人が死んだニュースなんてどうでもいいくらいに。


「なんにも上手くいかないな……」


そう小さく呟くと、部屋の奥にいた、母が私の方を訝しげに睨む。喋るな、虫唾が走る、とでも言いたいのだろう。

ここに母がいる時に出てくるのは間違いだった。もっと、遅い時間じゃないと……。

母がホコリを被った皿を取るのがちらりと見えた。私は母に軽く頭を下げてから、リビングから逃げるように自室に戻る。

背後で食器が何かに当たり、割れるような音がした気がしたが、いつもの事なので無視を通した。


あのニュースでは、通勤の時間帯と言った。もしかしたら、少女は、まだ救ってくれる人を探していたのかもしれない。

私のような、それでいて私とは違う人間を。

あぁ、なるほど、だから未完成なのか。ここで、私は少女の言っていた翼の意味を初めて理解した。

というか、物好きな男にでも頼めば、気が済むまでなら生き長らえると思うのだがね……。

そんな下品な事を考えながら私は独り思案する。

まぁ、私だったとしたら、そんなのゴメンだ。だから、少女も変わらない意見なんだったのだろう。

死ねるなら、それはそれで本望だったのだろう。


ふと、チクリと先日ガラスで切った怪我が痛む。

腕の裾をめくると、酷くなったアザと切り傷が、見事に服からはみ出ないように付いている。

自身のことながら、酷いものだ。

まぁ、一番酷いのは、自分の娘を物のように扱うあの人たちだろう。

そういえば、最後に食べ物を口にしたのはいつだったろうか?一昨日の深夜が最後だった気がする。今日は何か口にしないとダメかもしれない。

寝落ちしないようにしよう。


それはそうとして、しかし、出来れば私の耳に届かないようなところで、あの少女には死んで欲しかった。

というか、それ以前に関わりたくなかった。

気分が悪いだけじゃ済まないじゃないか。

そういえば、なんで自殺なんかしようと思ったのかを聞いていなかった。それを聞いて、どうこうなる話ではないが、仲間なんてものは、いたらいたで心強いものだ。何か、心の支えってモノはあればあるだけ楽なものだ。

まぁ、仲間なら、という話だが。

もしかしたら、少女の言っていた、翼とかいうやつが関係してるのかもしれないが、そんなもの私の背中にも、あの少女の背中にも付いていない。それに、この世界はファンタジーなどでは無いのだから翼なんて存在し得ない。

人間は飛べない。重力に逆らえない。

結局、少女は何が言いたかったのだろうか?とずっと思っていたし、全く分からない、と思っていた。でも、正直、言いたいことは分かってしまった。

だから、少女の考えのまま行くなら、私の羽は完璧な物になったのだろう。

まぁ、あの少女からは決断力とか、勇気みたいなものを教えて貰えたし、余計なことは考えなくて良いとするか。


あぁ、そろそろ寝よう。

何かを口に入れた方がいいだろうか?いや、美味しいものは、これからいくらでも食べられる。だから、大丈夫だ。


そのまま、私は自室の窓からベランダに出て、空を見る。


そして、そのまま空を駆けた。


満点の星空に駆け出した私は、やっと手に入れた完全な翼で、鳥の如く、そのままどこまでも飛んでいく……いいや、飛んでいける気がした。


時間が凪いだ。風は吹き続ける。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読んで、目から涙が出そうになりました。 [気になる点] これが無料なこと [一言] あJao Bango
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