断罪の代わりに求婚された面食い悪役令嬢は、つい最低王子の手をとってしまいました。
話してる内容がちょっとアレなのでR15です。何もしてません。
今日は楽しい断罪イベント!……の、はずだった。
「まぁ、とりあえず、僕と結婚してくれ」
なぜ私は求婚されているのか。
冷や汗が止まらない。断罪されて平民落ちする予定で組んでいた今後の人生設計が根底から覆ってしまったのだ。
「な、なぜでしょう……殿下は、アンナという真実の愛を見つけたのでは……」
「ははっ、君ともあろう者が、真実の愛なんていう流行りの言葉を囀るのか」
そう笑うのは、間違いなく私の婚約者で王太子であるエリオット様だ。キラキラ輝く太陽のような金髪に、氷の海のような薄青の瞳。整いすぎた容姿から、人ならざる者のようで恐ろしいとまで言われる美貌の青年である。
「ですが、殿下は昨日アンナに求婚したのでは?」
いつも通りあまりの美しさにうっかり見惚れてしまわないよう、必死に無表情を保ちながら、私は努めて淡々と尋ねた。
「求婚?あぁ、ずっと共にいて欲しいと告げたアレか。昨日の今日でもう知っているとはさすがの情報収集能力だな」
「いや、学園中みんな知っておりますよ!」
思わず淑女の振る舞いも忘れ、カッと目を見開いて突っ込んでしまう。学園の裏庭なんて公衆の面前も同じですよ!?どれだけ覗き見の出歯亀がいるとお思いですか。
「皆が言っております。私という悪役はこれからあなたに捨てられて、アンナが殿下の唯一になるのだろう、と」
「アンナが唯一の妃に!?あははははっ、愉快な冗談だなぁ」
心底面白いと言わんばかりに大笑いしているが、こちらは笑い事ではない。今の学園はアンナと王太子の真実の愛の物語で話題騒然なのだ。
「いくらアンナを愛しているとしても、僕の妻は、君だけに決まっているじゃないか」
「そんな……」
正妻は君でアンナは愛人だよ、ってこと?
あっさりと告げられた最低すぎる発言に固まった。じわりと涙が滲んでくる。
それでは困る。困るのだ。
それは、まさにバッドエンドルートまっしぐらではないか。
絶望に真っ青になった私に、エリオットは面白そうに尋ねた。
「おや、なぜそんなに悲しむ?この国の王家は一夫多妻だ。私がそのうちもう一人か二人の側室か愛妾を持つのも、最初から予定通りだろう?それとも……君の予定とは違ったのかい?」
「……っ」
「何を企んでいたの?僕の可愛い婚約者さん?教えてくれる?」
返事ができない私の前で、エリオットはゆるりと笑みを浮かべる。大層魅力的な、支配者な顔で。
「まぁ、急ぐ必要はないか。時間はこれからいくらでもあるからねぇ」
あぁ、ダメだ。終わった。
一番避けたかったルートに入ってしまったようだ。
私はこのまま、お飾り王太子妃、そして王妃として妃の仕事をして生きていく羽目になるのだろう。
私は名誉と誇りに、エリオットとアンナは愛の日々に生きる。私は子を産むこともなく、二人の子供を王子として引き取り育てることになるのだ。心の底でエリオットに恋焦がれながらも、高い矜持のために口には出さず、表面上は完璧な王妃として振る舞って。
そんな馬鹿な。
(あぁ……逆にもう少し意地悪しまくってたら、平民落ち出来たのかなぁ……)
でも公爵令嬢として育ってきたプライドが、弱い者いじめを許せなかったのだ。
(私なりに頑張って生きてきたのになぁ……)
ぼんやりと過去の日々を思い返して、私は目の前のとんでもなく性悪な美形男からのろのろと目を伏せた。
話は四年前に遡る。
十二歳の誕生日の前日。
公爵家唯一の嫡子として、厳しく、誇り高く育てられていた私、イザベラはうっかり庭で転んだ。
……いや、決して私がドジだったとか、運動神経が残念だったからとかではない。
急に目の前に飛び出してきた謎の物体に驚いて、私は真後ろに転倒してしまったのだ。
そして丸一日意識不明となった。
その未確認飛行物体は、義弟の投げたおもちゃのブーメランだったらしい。
私が意識を取り戻さないので、義弟は真っ青になり、もう十歳だったくせに、大泣きだったらしい。
目が覚めた後で、事情を把握した私はとりあえず義弟の両頬を力いっぱい捻ってやったが、えぐえぐと泣きながら私に抱き着いていた。
みよーんと頬を伸ばされたままで、とても可愛かった。
普段は憎まれ口ばかり叩いているけれど、やはりお姉さまが大好きなのだ、あの子は。愛い奴。たっぷりいじめてやろう。
……じゃなくて。
私は転倒し、後頭部をしたたかに強打し、意識不明で夢うつつの世界を彷徨うこととなった。
そして思いだしたのだ。
前世、とやらのことを。
この世界は、堂々たるオタクであった私がドハマりしていた乙女ゲーム「白薔薇の結婚」の世界、そのものだった。
そして私は、状況と容貌から判断するに、ゲームの中で、黒薔薇の姫と呼ばれていた、アーロン公爵家令嬢のイザベラだ。
主人公と恋に落ちる王子の婚約者にして、誇り高く残酷で計算高く、己を正義であると信じて疑わない、このゲーム最大の強敵。
そう、お察しの通り、主人公の敵です。
悪役令嬢転生ってやつですよ。
マジかよ。
目が覚めて状況を把握したとたん、ぐるんぐるんと眩暈がして私はまたベッドにぐったり逆戻りになった。
そこから二日間ほどかけて、必死に状況を整理した。
ここは「白薔薇の結婚」の世界だ、ほぼ間違いなく。
主人公は子爵令嬢のアンナ。
白に近い金の髪と、濃い藍色の瞳を持ち、汚れなく清廉な心を持つ少女。
底抜けに優しくて、誰一人見捨てない。
穏やかな春の日差しのようなその微笑みは、見る者の心を光で満たす。
本来は十四歳で入学する学園に、二年目の途中で転入してくる。
彼女は妾腹の子で、子供のできなかった本妻のもとへ引き取られるのだ。
複雑な家庭環境に思えるが、意外と鈍くて逞しい精神と、根っからの明るさのためか、まったく捻くれたところがない。
彼女は私のクラスメイトとなった。
私がいるクラスは、私がいるおかげで統率が取れており、治安が良かったからね。まぁその教師側の判断が、後に仇となるんだけれど。
さて、アンナは入学早々に、何故か王子エリオットと廊下で衝突し、運命的な出会いを果たす。
優しく穏やかで、けれど王子としての重圧に息苦しさを抱えていたエリオットは、全てを受容し微笑みで包み込んでくれるアンナに惹かれていく。
婚約者の私が、きつい言葉でいつも尻を叩いてくるような女だから、安らぎを求めていってしまうのだ。
まぁ、気持ちは分かる。
けれど、ちょっと待ってほしい。
私は甘えたことばかり言うわけにはいかないのだ。
未来の王妃として、私は彼を助け、支え、誤りそうになれば道を正し、時には意見しなくてはいけないのだ。
私達は甘ったるい関係ではいられない。
夫婦である前に、この国で最も力のある二人の政治家であり、民草を導く指導者なのだから。
言い訳させていただけるならば、私は別に悪人じゃない。
私達貴族は、ノブレス・オブリージュの精神にのっとり、誰よりも正しくあることを心がけ、民草の模範となり、力のないか弱い者たちを導いていくべきだと信じているだけだ。
ちょっと見た目も口も性格もきついけれど、悪人じゃない。
何度も言う。
悪人じゃない。
……もう外見は、見るからにザ・悪役なんだけどね!
闇を紡いだような髪、夜を凝らせたような瞳、月のような透ける肌。
鏡を見れば、整いすぎて怖い印象のある美貌の少女が無表情で立っている。
圧倒的な悪役感だ。
泣きたい。
ちなみに私にブーメランをぶつけやがった義弟のレオンも攻略対象だ。
本当は遠縁の子なのだが、両親が事故死した後で家を預かっていた親戚が商売に大失敗して多額の借金を作り、我が家に引き取られてきた。
幸い随分と優秀だったレオンは、嫡子の私が王家に嫁ぐことが決まっているため、公爵家を継ぐために厳しく教育されている。
公爵家を継ぐための教育は、女の私よりも強烈で、苛烈だ。
公爵家は代々、国の宰相も輩出しているから、この国を背負って立つための力もつけなければいけないのだ。
あの激しい教育に食らいついているのは、我が義弟ながら尊敬する。
こげ茶色の髪に、夜明け間際のような藍色の瞳の儚げな美少年で、泣き顔がとても心を擽られる。
つい虐めたくなってしまうので、私はあまり好かれていない。
レオンは馴染み切れない我が公爵家で疎外感を感じており、年上のアンナの包容力に癒されて、惹かれて心酔していくという設定だ。
うーん、レオン、それなりに我が家に馴染んでいると思っていたんだけどなぁ。
私はちょっと傷ついて、前世を思い出してからはもっとレオンに構い倒すようになった。
愛情表現が捻くれていたので、嫌がられることの方が多かったけれど。
まぁそんな感じで、未来に危機感を抱きながらも、私は私として懸命に生きてきた。
前世の私は死ぬほど面食いで結婚できず、その結果死ぬまでオタクを貫いた。こだわりは強いが喧嘩は嫌い、事なかれ主義の小市民だった。
そんな典型的なつまらねぇ女だった私だが、今生では大層な家柄に生まれてしまい、生まれてこの方ぶっちゃけ敬われたことしかない。なにせ国一番の公爵家の令嬢であり、未来の王妃として育てられたのだ。その結果、義務感も責任感も死ぬほど強い。
アンナの実在を確認してから警戒してはいたものの、妙なフラグを立てまいといくら努力しても、どうしてもフラグは立った。
だってアンナってば凄いめちゃくちゃなんだもの!NG行動のオンパレードなんだもの!
注意し、時には指導しないわけにはいかない。私は、少なくとも学園においては、女生徒の頂点に立つ人間なのだから。
それがアンナ本人や周囲から虐めや迫害と受け取られたのだとしても、どうにもならなかった。
そして王太子に対しても、アンナがするように甘やかしたり泣き言を聞いたり、彼をありのままに全肯定する……なんてことは出来ないままだった。私の性格上難しかったというのもあるが、私たちの関係や立場では困難だったのだ。
私は公爵令嬢としても王太子の婚約者としても、あるべき姿を貫かねばならなかったから、どうにもならなかった。
つまり私は王太子にとって、キツイ性格でキツいことを言うキツイ婚約者のままだったのだ。
だから、思ったのだ。
順調に距離を縮めるアンナとエリオットの姿を遠目に眺めながら、きっとこのまま私は捨てられ、断罪からの平民落ちルートに入るのだろうな、と。
エリオットの顔は大好きだったし、興味なさげに振る舞われたり、冷たくされてもキュンとくるくらいには顔がタイプだったから、本当に悲しかった。なにせエリオットは顔が良いので。前世で面食いすぎて結婚できなかった私の好みど真ん中の顔だったので。この顔と結婚できるなら、と、王太子妃教育も頑張ってきたのだけれど。
「……平民落ちかぁ」
断罪されたら平民落ちは確定である。このゲームに処刑や娼館行き、強制労働行きなんかのコースはないから、気は楽だ。
それはそれで楽しそうだと奮起し、最近は平民の暮らしについて調べて、身一つで放逐されても生きていけるように調べていたのだが、……どうやら無駄になってしまった。
私はゲームのトゥルールート、すなわち、私にとって最低最悪のバッドエンドに向かうのだろう。
アンナと和解し、公の場では私がエリオットを支え、私的空間ではアンナがエリオットを癒し、三人でこの国を守り続ける。
つまりは、私はエリオットと愛のない結婚をし、王妃として人生を国に捧げる、という現実的にありがちで常識的で、大変ふざけた結末だ。
「殿下は、アンナを王太子妃として迎えるおつもりなのでは……」
「アンナを?王太子妃に?……出来ると思うのかい?」
試しに尋ねてみても、エリオットは皮肉な笑みを浮かべ非難するように私に聞き返した。
「僕が、そんな判断をすると、君は考えたの?」
ぞわり、と背筋を寒気が走る。無表情の美形に睨まれると本当に怖い。
エリオットから明らかな怒りを感じて、動揺した私は視線を逸らし、学園の小鳥たちが囀っていた台詞をそのまま繰り返した。
「あ、愛があれば、どうにでもなる……とお考えになったのかと」
「愛、愛かぁ!」
思いがけない単語を聞いたと言わんばかりに、エリオットが芝居がかった口調で繰り返す。嘲笑まじりの視線に晒されて胃が痛くなる。
「ふふっ、面白いことを言うね。君ともあろう人が……!王家に必要なのは、優しさじゃない。慈悲深さだよ。弱き者を掬い取り、愚かな者を導き、苦しむ者を助く。ただ憐れんで涙を落とすだけの人間に王族は務まらない。どれほど美しい涙の滴も、それでは腹は膨れぬし、傷は癒されぬのだからな」
「う、……そ、そうですね」
そんなことも分からないのか?と言わんばかりの視線が痛い。恥ずかしくて居た堪れない。
そんなに非難がましく見ないで欲しい。私だってあなたがそんな判断をするとは思えなかったけれど、まぁストーリー通りだしありえるかもなぁと思ったりしたのだ。
私の見込みが甘かったようで、冷静で理性的なエリオットは、私にとってはそれより酷い選択をしたようだけれど。
「アンナは優しすぎて無理だよ。それに比べて君は素晴らしい!」
「……そうでしょうか?」
「はぁ、わかっていないな!」
嫌味なのか?と思いつつエリオットの顔を見れば、呆れた顔で首を振られた。どうやら先ほどの発言は本気らしい。
「人前で堂々と己の正義を主張する度胸、何かやらかしても証拠を欠片も残さぬ計算高さ、白々しくとも決して悪事を認めぬ肝の太さ、いやぁ、なんとも王妃に相応しい!ぜひ結婚して欲しいね!」
普通に失礼な評価だった。その通りかもしれないけど酷い評価だ。王妃として欲しいって、本当に使う気満々じゃん。死ぬほど好みの顔の男にそんな扱いされると、色々諦め切った身とはいえさすがに落ち込むわ。
「で、も、……では、アンナは?どうするおつもりで?」
「アンナは側室に迎え入れるつもりだよ。でも君が反対するならば、非公式の愛妾でもいい。彼女を側に置ければ、僕は形式には拘らないよ。そして、決して彼女には子は産ませない」
「非公式なんて、そんな屈辱的な……!」
めちゃくちゃ酷い未来予想図にゾッとする。この国において愛妾というのは、それこそ平民とか踊り子とか、そういういわゆる卑しい身分の者が王族のそばに侍る時の身分だ。仮にも貴族令嬢に与える身分ではない。しかも。
「それに、子を産ませないなんて女性にとってどれだけ辛い仕打ちだと!アンナは了承しているのですか!?」
「おや、アンナのことを気にかけているのかい?優しいねぇ」
「えっ、いや、その……」
揶揄うような口調だが、ひんやりとした声音が不興を伝えている。私はやけに感情を露わにするエリオットの一挙手一投足に動揺して、つい口籠もってしまった。
「私の寵を競うライバルだとは思っていないの?相手にはならない?」
「……私とあなたの婚約は政略で結ばれたもの。あなたからの寵を得んと足掻くなんてみっともない真似、私のすべきことではございませんわ」
ツンと澄ました顔でそっぽを向く。どうせ愛してくれない男相手に、そんな真似してたまるか。こちらにも女のプライドがあるのだ。
「おや、僕の妻という椅子をアンナに押し付けるつもりだったくせに」
「えっ!?そ、そんな!!」
妙に悲しげな声に、ギョッとして思わず振り向いた。完璧な角度に眉を顰めて、憂いに満ちた顔の美形がこちらを見つめている。ドキンと胸が鳴ってしまった。この人の顔に弱いのだ。
「君にとって私の妻の座は、他の女にあっさり譲れる程度のものだったのか。君には好かれていると思っていたのに、残念だよ」
「そんな!!私を捨てるのはあなたでございましょう!?だから、私は捨てられても良いようにと……!」
思わず立ち上がって、私は声を荒げた。淑女にあるまじきことと言われても知るものか。この十年以上捧げてきた、私の献身と愛情を否定されてはたまらない。
「私の心を疑うのだけはおやめくださいまし!」
愛の告白のはずなのに、宣戦布告のごとく叫び、私はびしっとエリオットに指を突きつけた。その私の荒ぶりようが面白かったのか、エリオットは再び笑いながら頷く。
「悪かったよ。そうだね、君は初めて会った日から、僕にベタ惚れだったものね」
「……」
悔しいがその通りだ。
かれこれ人生の8割ほど、この男に惚れている。
だって顔がいいんだもの!仕方ないでしょ!?私は前世から面食いなのよ!面食いすぎてあらゆるアプローチを振り払い、生涯独身を貫いたんだから!いや嘘ですごめんなさい自分の顔面を差し置いて相手に二次元レベルの顔を求めたせいで相手がいなかったんです!
「でも……アンナが気の毒ですわ」
いくつか深呼吸をしてから、私は冷静な貴族令嬢の仮面を取り戻して上品に囁いた。エリオットの未来計画は、あまりにも非情に思えたのだ。私に対してもアンナに対しても。
「彼女は納得できないと思いますわ」
「それならそれで、仕方ないだろう。私はあの子を手放す気はないが、あの子は子爵令嬢だからね、しかも妾腹だ。子供が出来ると厄介だから、僕は必ず完璧に避妊すると誓おう」
「ふざけた誓いは止めてくださいませ」
「大真面目さ」
笑いながら言い返してくる男に、私は苛立ちながらパンと扇子を掌に叩きつけた。無作法にも程があるが、あまりに勝手な言い分にブチ切れていたのだから仕方ない。
「完全な避妊などありませんわ!万が一の時にどうなさるおつもりですか?」
「女子ならそのまま王女として使えるだろう。男子なら、まぁ、死産だな」
「……畜生にも劣る屑の所業ですわね」
「お褒めにあずかり光栄だよ」
吐き捨てるように呟いた私に、エリオットは気分を害した様子もなく楽しげに言葉を返す。
「殿下は、アンナを、あ……愛している、のではないのですか?」
初恋から連なる恋情を一途に捧げてきた相手に向かって、他の女への愛を問う。胸を切り裂く痛みに耐えながら返事を待てば、エリオットは愉快そうに私を見ていた。そして嗜虐的な愉悦に目を細めながら、口元を綻ばせる。
「愛しているとも。あの愚かとしか言えないほどに優しすぎる心根を!思考停止に近いほどの憐れみの心を!なんの役にも立たない、そして決して害にはならない、あの無力さとか弱さを!僕には癒しが必要だ。そして、君と僕だけでは、遠からず智と計略に溺れて自滅しかねない。愚かな人間のまっさらな視点というものが必要だ」
「……でん、か?」
この男は本当に、私の愛した美しい王子なのだろうか。驚くほどに酷薄で、残虐な目をしているこの男は。冷酷な眼差しに捕らえられ、私はまるで魔物に魅入られた気分だ。息をすることも危うかった。
「そして僕は無論、君のことも愛しているよ」
愕然としながら見つめていれば、再び愉快そうに目を眇められた。まるで気に入りの玩具を見つけた残酷な幼児のように、食うこともせず甚振るためのウサギを見つけた猟犬のように。
「君は、僕の知る誰よりも気高く、誰よりも強く、誰よりも美しい。まさしく国母たるにふさわしい最高の女人だ!」
すっ、と手が差し出される。剣を振るうことに慣れた、硬い掌だ。私はその手を知っている。何度となく手に手を重ね、舞踏会でともに舞ったのだから。
「さぁ、僕の手を取ってくれ。この国を守り導く、僕の同志よ。いつか生まれる僕らの子が、この国の未来を続けていくのだ」
私はまるで催眠術にでもかかったかのような心地で、差し出された手に己の手を重ねる。
触れ合った瞬間に、ぐっと引き寄せられ、抱きしめられた。その逞しい腕に、香り立つほのかな汗に、すぐ近くにある麗しき顔に。私は魅了され、敗北を自覚した。この最低男の手から、結局私は離れたくなかったのだ、と。
「君は自ら選んだ。僕の隣に立つことを。ふふ、後悔はさせないよ」
エリオットの満足げな微笑が目の前にあった。私を手に入れたことに満足して、エリオットはゆるりと目を細める。獲物を手に入れた美しい狼のように。
「……愛してくださらないくせに」
まるで小娘のような恨み言をポツリと呟けば、エリオットは愉快そうに喉の奥で笑う。
「僕は君のことも、ちゃんと愛しているんだがなぁ」
「信じられませんわ」
拗ねてそっぽを向けば、大きな手に顎をとらえられて顔を戻される。この世で一番好きな顔から、至近距離に凝視され陶然としてしまう私に、エリオットは余裕ある声で囁いた。
「それでもいいさ。だが、安心したまえ。僕の子を産むのは、生涯君一人さ」
厚くて熱い唇が、私の呼吸を止める。
そして私は、そのまま狼に喰らい尽くされることが決まったのだ。
あぁ、本当に。
残酷なこの人は、どこまでも美しい。
最悪の男だ。