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冬王と鞠姫  作者: チゲン
第一話 冬王と鞠姫
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2頁

 少女は一件のあばら家に連れ込まれた。どうやら空き家らしく、住人の気配はない。

「安心しな。ここの奴らは盗賊とうぞくに殺されて、今は誰も住んでねえからよ」

 何を安心すればいいのか謎だが、髭面の武士はそう言ってガハハと笑うと、ようやく少女の腕を放した。

「……!」

 ここぞとばかり、少女は武士の脇を駆け抜けて表へ逃げようとする。

「おっと、逃げられると思ってんのか?」

 だが武士の手が伸び、引き戻されて板間の上に突き飛ばされた。そこに丁度、穴の空いた天井から月明かりが差していて、少女の顔があらわになった。

 武士の口から思わず感嘆かんたんの息がれた。

「よく見りゃあ、かなりの上玉じゃねえか」

 舌舐めずりをする。

 太刀たちさやごと抜くと、板間の上に無造作むぞうさに置いた。

 少女は震えて動けない。恐怖のあまり固まってしまったようだ。その小動物のように怯えた瞳が、かえって武士の嗜虐心しぎゃくしんを刺激した。

「待ってな。すぐにいい気持ちにさせてやっからよ」

「や…やめて下さい……」

 少女が懸命に言葉を発した。あまりにもか細い声だったが。

「へへ」

 武士が少女の小袖に手を伸ばす。

「!」

 少女が目を見開いた。

 武士にとって、少女が本当に娼かどうかなど、もはやどうでもよかった。目の前に女がいて、己れのまたぐらがうずいている。ならば、やることはひとつしかない。

 だが少女の視線の先は、武士ではなく、その背後にあった。

「んん?」

 妙な気配を感じて、武士は振り返った。

「!?」

 その瞬間、息を呑んだ。

 土間どまの入り口に、黒い影が立っていたからだ。

「誰だ!」

 武士は身を翻すと、太刀を手に取り素早く抜き放った。

 影が一歩、土間に足を踏み入れる。月光が差し込んで、不意の闖入者ちんにゅうしゃを照らした。

「な……」

 武士は己が目を疑った。

 ボサボサの髪に、伸び放題の髭の男。ボロのような小袖。風体ふうていだけなら、どこにでもいる乞食こじきにしか見えない。

 だがその目は赤黒い。血とすみを混ぜたように。

「アア……」

 半開きの口からは、唾液だえき腐臭ふしゅうのような息が漏れている。武士は思わず空いた手で鼻を押さえた。

「北条ノ匂イガスル」

 男が呟いた。背筋が寒くなるほどかすれた声だった。

 両爪が異様に太く、ひざの辺りまで伸びていた。その先から、ぽたりとしずくが垂れた。水ではない。血だ。

異形いぎょう……」

 少女がつぶやいた。

「異形だと」

 武士が少女の言葉を繰り返す。

「北条ノ匂イガスル」

 じり、と異形と呼ばれた男が近寄ってくる。

「く…来るな、儂は御内だぞ!」

「北条ノ……」

 武士は、あっと息を呑んだ。

 御内ということは、北条の縁者だと自ら明かしたようなものだ。もっとも彼の場合は、あくまで御内に仕える従者に過ぎず、その威光を笠に着ていただけなのだが。

「くそ」

 武士のひたいに、じっとりと脂汗あぶらあせにじみでていた。

 先程までの威勢は欠片かけらもない。異形の眼窩がんかの奥にある殺意に触れ、太刀の切っ先がガタガタと震えている。

「こ…この化け物が!」

 恐怖を振り払うように、武士は異形に斬りかかった。

「いけないっ」

 少女が声を上げる。

 鈍い音とともに、武士の太刀が異形を切り裂いた。確かな手応え。武士は引きつった笑みを浮かべた。

 化け物は倒れ伏すはずだった。だが。

 笑っていた。殺意を含んだ目で。

 ドスリ。

「え……」

 腹部に生ぬるい衝撃しょうげき

 恐る恐る視線を下ろすと、異形の爪が腹をつらぬいていた。

 何が起きたか理解することができず、武士は白目をき、その場に崩れ落ちた。

「う……」

 血と死の匂いに、少女は思わず口元を押さえた。

 臓腑ぞうふから込み上げてくるものを必死でこらえる。この程度で根を上げていては、己が目的など果たせるはずもない。

「北条ノ匂イガスル」

 異形が少女の顔を向いて、もう一度言った。武士に付けられた傷はすでにふさがっていた。

「あ…あなたは……」

 少女は、ありったけの勇気を振り絞り言葉をつむいだ……紡ごうとした。

 その刹那せつな

「待ちな!」

 威勢のいい掛け声と共に、小柄な影が家のなかに飛び込んできた。

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