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少女は一件のあばら家に連れ込まれた。どうやら空き家らしく、住人の気配はない。
「安心しな。ここの奴らは盗賊に殺されて、今は誰も住んでねえからよ」
何を安心すればいいのか謎だが、髭面の武士はそう言ってガハハと笑うと、ようやく少女の腕を放した。
「……!」
ここぞとばかり、少女は武士の脇を駆け抜けて表へ逃げようとする。
「おっと、逃げられると思ってんのか?」
だが武士の手が伸び、引き戻されて板間の上に突き飛ばされた。そこに丁度、穴の空いた天井から月明かりが差していて、少女の顔が露わになった。
武士の口から思わず感嘆の息が漏れた。
「よく見りゃあ、かなりの上玉じゃねえか」
舌舐めずりをする。
太刀を鞘ごと抜くと、板間の上に無造作に置いた。
少女は震えて動けない。恐怖のあまり固まってしまったようだ。その小動物のように怯えた瞳が、却って武士の嗜虐心を刺激した。
「待ってな。すぐにいい気持ちにさせてやっからよ」
「や…やめて下さい……」
少女が懸命に言葉を発した。あまりにもか細い声だったが。
「へへ」
武士が少女の小袖に手を伸ばす。
「!」
少女が目を見開いた。
武士にとって、少女が本当に娼かどうかなど、もはやどうでもよかった。目の前に女がいて、己れの股ぐらが疼いている。ならば、やることはひとつしかない。
だが少女の視線の先は、武士ではなく、その背後にあった。
「んん?」
妙な気配を感じて、武士は振り返った。
「!?」
その瞬間、息を呑んだ。
土間の入り口に、黒い影が立っていたからだ。
「誰だ!」
武士は身を翻すと、太刀を手に取り素早く抜き放った。
影が一歩、土間に足を踏み入れる。月光が差し込んで、不意の闖入者を照らした。
「な……」
武士は己が目を疑った。
ボサボサの髪に、伸び放題の髭の男。ボロのような小袖。風体だけなら、どこにでもいる乞食にしか見えない。
だがその目は赤黒い。血と墨を混ぜたように。
「アア……」
半開きの口からは、唾液と腐臭のような息が漏れている。武士は思わず空いた手で鼻を押さえた。
「北条ノ匂イガスル」
男が呟いた。背筋が寒くなるほど掠れた声だった。
両爪が異様に太く、膝の辺りまで伸びていた。その先から、ぽたりと雫が垂れた。水ではない。血だ。
「異形……」
少女が呟いた。
「異形だと」
武士が少女の言葉を繰り返す。
「北条ノ匂イガスル」
じり、と異形と呼ばれた男が近寄ってくる。
「く…来るな、儂は御内だぞ!」
「北条ノ……」
武士は、あっと息を呑んだ。
御内ということは、北条の縁者だと自ら明かしたようなものだ。もっとも彼の場合は、あくまで御内に仕える従者に過ぎず、その威光を笠に着ていただけなのだが。
「くそ」
武士の額に、じっとりと脂汗が滲みでていた。
先程までの威勢は欠片もない。異形の眼窩の奥にある殺意に触れ、太刀の切っ先がガタガタと震えている。
「こ…この化け物が!」
恐怖を振り払うように、武士は異形に斬りかかった。
「いけないっ」
少女が声を上げる。
鈍い音とともに、武士の太刀が異形を切り裂いた。確かな手応え。武士は引きつった笑みを浮かべた。
化け物は倒れ伏すはずだった。だが。
笑っていた。殺意を含んだ目で。
ドスリ。
「え……」
腹部に生ぬるい衝撃。
恐る恐る視線を下ろすと、異形の爪が腹を貫いていた。
何が起きたか理解することができず、武士は白目を剥き、その場に崩れ落ちた。
「う……」
血と死の匂いに、少女は思わず口元を押さえた。
臓腑から込み上げてくるものを必死で堪える。この程度で根を上げていては、己が目的など果たせるはずもない。
「北条ノ匂イガスル」
異形が少女の顔を向いて、もう一度言った。武士に付けられた傷はすでに塞がっていた。
「あ…あなたは……」
少女は、ありったけの勇気を振り絞り言葉を紡いだ……紡ごうとした。
その刹那。
「待ちな!」
威勢のいい掛け声と共に、小柄な影が家のなかに飛び込んできた。