7話 西海殿へ
「もー、起きろよー! 確かに、静客の核に触れたくて眠らせるようなことをしてしまったのはぼくだよ? だけど、もう朝だって言うのになんで起きないの! ってか普通に、昼じゃない?」
一夜明けて。
静客の核に触れることは阻まれてしまったが、法力は貰っている。
――――なので、元気ピンピンなすっごくすっごく偉い上位精霊ことジェスターニは、未だに起きない主、静客の体を揺すっている。というか、揺すったところで全く起きないので脚で蹴っている。
静客の半分もないほどの小さな体で蹴っているが、何せジェスは自称『すっごくすっごく偉い上位精霊』である。
それなりに痛いはずなのだが――――
「あー、駄目だやってらんない! 起きない。すっごくすっごく起きない!」
ぶつくさと言いながらも、ジェスは静客を起こそうと全身を揺する。
それでも、どうしても起きない静客を起こすための案を考えることにしたジェスは、一つ一つ口にしていく。
「一つ目、法術で頭から氷をぶっかける。二つ目、纏っている衣を炎の法術で燃やす。あ、法衣って燃えないための不燃の法術が掛かっているのか。三つ目、法具でめった刺しにする。四つ目――」
そして、五十一つ目――――ここでは到底かけないような過激な方法――を思いついていると、まるで反応のなかった体がゆすゆすと動き始めた。
「おおっ! やっと起きたか?!」
嬉しさに頬を緩ませるジェス。
しかし、そんなことは知らない静客は――
「まだ眠い。朝ご飯はいらない」
「いや、ぼくは静客のお母さんじゃないんだよ!? さっさと起きてよ! 西海殿へ向かって武神官としての職務を果たすように佳幻から言われているんでしょ!? ぼくとしてはあいつに従うのは嫌だけど……むぐっ!」
ジェスの口が閉ざされる。
「佳幻様の悪口は言うな。ジェス、オマエが佳幻様にどのような想いを抱いているとしてもオレは別に気にしないが、口にするのは違う。分かったな?」
口に手をあてられながら、無言でコクコクと頷くジェス。
従順――今回ばかりは――な精霊に満足したように、もう一度眠りの体制を取ろうとする。
「だ! め! さっさと起きてよ! ぼくだって久しぶりの外の世界でわくわくしているって言うのに、こんなところでのんびりしていられるほど気長じゃないんだ! ほら、早く早くっ!」
「わーかった、わーかった」
すっごくすっごく偉い上位精霊の使い魔に急かされる、なりたて神官の静客。
少しちぐはぐな主従関係は、たった一日でそれなりに仲が深まりつつあった。
自分の頑張った甲斐があったと言わんばかりに、起き上がった静客と散らばっている戦利品や法具を片づけながらジェスは鼻歌を歌う。どれも聞いたことのない曲だったので、天界の曲か? と尋ねた静客に、知らないと素っ気なく答えるジェス。
支度を終えると、二人は法術で飛翔していく。
「さあ、しゅっぱーつ!」
すっごくすっごく偉い上位精霊ならぬ、すっごくすっごくご機嫌な上位精霊ジェスを先頭にして、静客は後に続く。
しかし、ご機嫌もそう長く続くものでもなく、ジェスの提案でそれぞれの話をすることになった。
静客は下界での村の話を、ジェスは静客が気になっていた聖天海武についての話を。
「うーん、それじゃあオレの話からしてもいいか? オレがいた村はな――」
下界。神が作り、神官が管理し、人が住む『神区』のどこかにあるのが、静客がいた内竜山脈の村だ。
村に名前はなく、周辺の人は「竜の村」と呼んでいた。
といっても、竜がいるわけではない。
ただ、数千年に一度、周辺の山を壊し、木を薙ぎ払い、川を枯らし、嵐を呼ぶと言われている竜が眠っている、という伝承が残っているだけの村だ。
そこに住む村の人々は、他の村となんら変わらない生活をしている。
「でもなあ、オレの村は他の村とは違うところがあった。何だと思う?」
「静客の強さとか、考え方から見れば……うーん、独自の武術があったとか?」
「あははっ! それは、ジジイのせいだな。昨日も話しただろう? ばあちゃんに剣を習いたいって言ったら、一週間と経たずに遠く離れた都まで行って、都の剣術士を連れて来たって話」
「あー、確かにそんな話をしていた気がする」
「でも、それじゃあないんだなー」
ちっちっちっと人差し指を立てて音を鳴らす。
「じゃ、じゃあ何なんだよ!」
「ここだよ」
そう言って、静客は胸を叩いた。
「心……優しさって、ことか?」
肯定するように首を盾にうなずいて語った。
内竜山脈は、その神区の中でも限りなく田舎、辺境に近い場所で、そこへやってくるのは都での夢に破れ、行く当ても財産もなくなったような無一文のだめな大人たちばかりだ。
どこかに行く当てがあるわけじゃない。
だから都を出て、神区の端の端で野垂れ死ねれば――――そんな風に考える大人は少なくなくて、その途中にあるのが内竜山脈なのだ。
さまよっている人や身なりが綺麗でない人を見つけては、村人たちはおせっかいを焼く。
何故自分たちにしてくれたのか。
そう絶望の淵の客人が問えば、村人たちは言う。
――――この村の人にそうされたから。
今では、両親が健在という子供も多いが、昔――それこそ、静客のおばあちゃんが若かった頃は、孤児なんてのは当たり前だったし、妻や夫がいる人は少なかった。
だから、助け合ってきたのだ。
村の外では見放された人たちが集まる場所。
絶望の淵の客人が最後にたどり着ける家。
それこそが、静客の育った内竜山脈の村だった。
客人たちは村人たちのやさしさに触れる。
貰ってばかりじゃ、と都やそれぞれの故郷での経験を活かして村で暮らすようになる。
生活に溶け込んだ頃合いには、また新たな客人がやってくる。
そして、客人だった村人は問われれば言うのだ。
――――この村の人にそうされたから。
「そんないい話すんなよおおおお! 涙が止まらねえよおおおおお!」
昨日、静客の出自を聞いた時と同じように、ジェスは涙をこぼしていた。
静客はなんとなく思った。
この涙は嘘じゃないんだろうな、と。
もう山を八つ越え、川は十以上越えたころだった。
静客の話もひと段落し、今度はジェスの番になった。
「ぼくが話すのはね、この海のある聖天の住人なら誰でも知っている聖天海武のお話……って、なんだよ手を上げて。質問でもしたいことがあるの?」
「海のある聖天って、他にも聖天があるんですか!」
「げっ、そんなところから話さなきゃいけないのかよおー! まあ、いいだろう。なにせぼくは、すっごくすっごく偉い上位精霊であり、すっごくすっごく優しい上位精霊であるからね!」
偉そうにのけぞり返りながら、ジェスは話し始める。
世界は三つに分けられる。
神の住まう世界、神官の住まう世界、人間の住まう世界。
それぞれは、神界、天界、下界と呼ばれている。
神界については、神ですらも多くは語らないため、多くの伝承や逸話は残っているが詳しい全容は知られていない。
天界は、その中にある三つの「聖天」の総称を指す。
海のある聖天、大陸聖天アルヴァラ、浮遊する聖天ジットヴェーナ。
静客やジェスのいるこの聖天は、海のある聖天と呼ばれていて、他の聖天のように名前は付けられていない。
敢えて言うのなら、海。
その一文字が、この聖天の象徴であり、特徴を示していると言っても過言ではない。
そして、最も広いのが下界だ。
下界は、神々が作った「神区」に人が住み、神官が管理している。神区はいわば、大陸であり小さな世界であるような場所で、その神区の中にはいくつもの国や種族が棲んでいる。
神区は、創造した神の影響を強く受ける。
例えば雨の神が創った聖天では、一年中、どこの場所でも雨が降り続いている、など。
「ほへえ! なるほど。じゃあ、オレのあった内竜山脈はどこの神区なんだ?」
「内竜……竜に関する神区にはいくつか心当たりがあるけど、すっごくすっごく数が多いうえに、眠る竜の神区についての情報には心当たりがないな……なんか、ごめんね」
明らかに目に見えてしょんぼりとする静客。
ついつい出てしまった謝罪の言葉に、ぼくはすっごくすっごく偉い上位精霊なんだ! という謎の喝をいれるジェス。
「ま、まあ! それはおいおい調べるとして……うわあ」
「調べられるのか! って、うおおおおっ! 危ねえじゃないかジェス!」
「静客が突然ぼくの手を握ろうとするからだ!」
ジェスに近付こうとして、ふたりして態勢が不安定なものになる。
一時、話を中断してすぐに立ち直す。
「もー、それでどこまで話したっけ。ああ、三つの世界について説明が終わったのか」
「おう! さすがのオレでもちゃーんと覚えたぞ!」
威張ることじゃないのに、という本音は口にせず、本題である聖天海武についての説明を始めるジェス。
「いつか来る、聖天と引いては三つの世界の全てに破滅をもたらすとされている帳軍勢。彼らがやってくる終焉の日には、神も人も神官も対抗できない。天帝様もできないと言われているんだ」
「て、天帝様って神様の頭だよな!? そんな人が勝てないなんてそいつらが来たら終わりじゃねえか!」
「だから、こっからが本題だっつーの! ちょっとぐらいぼくの話を聞いても罰は当たらないと思うんだけどなー!」
ジェスの思ったよりも鋭い言葉に、静客はおう! とだけ頷いて黙る。
「そんな帳軍勢に打ち勝てる唯一無二の存在が、聖天海武。唯一の海の神にして、彷徨深海の守護神の名前だよ」
「おおおっ! その、ホーコーシンカイってのはよく分かんねえけどすげえ!」
「よくわからないのに関心すな! って言う、ツッコミは置いておいて、彷徨深海は、神区が置かれている場所だよ。他にもリピリペ城、永年災禍砂丘とか色々あるけど、まあ、一番神区があるところだと思って!」
「おおー! なんか理解できてきたぞ!」
一々、説明するのが面倒くさい。
それがジェスの本心だったが、こうも目を輝かせて話を聞かれるとここで止める、というわけにもいかない。
妙な居心地の悪さを感じつつも、話を続ける。
「今、向かっている西海殿は名前の通り、西の方面にある海、西海に隣接する神殿なんだよ。これは理解できる? そして、この西海はなんと、彷徨深海に繋がっているとされているんだ!」
「おおっ! でも何で?」
「うん、そう質問が来ると思ってた! すっごくすっごく偉い上位精霊で、すっごくすっごく博識な上位精霊ジェスターニが回答しよう! ずばり、西海のどこかに彷徨深海へと繋がる『移動の渦』があるんだ!」
「移動の渦ぅ……? でもそれじゃあ、本当に繋がっているかどうかなんて分からねえじゃないか!」
それは、そうだ。
しかし、静客に指摘されるとなぜか少しイラッとくる。
――――一見馬鹿そうに見える静客に指摘されると。
「こっちから渦の場所を特定することはできないけど、彷徨深海からなら西海まで帰ってくるための渦が分かるそうなんだ。まあ、そうは言っても、ぼくは行ったことがないからなんとも言えないけど」
「海と海が不思議な渦で繋がってるってなんかわくわくするな!」
「そう? 天界じゃこんなのごまんとあると思うよ。例えば、すっごくすっごく偉い上位精霊のぼくとか……って、何その目。あ……ぼく、やっちゃった」
天界じゃごまんとある。
その言葉が静客の好奇心を誘ったのは言うまでもない。
ジェスの言葉が枯れるまで――そして、静客の質問が終わるまで根掘り葉掘り、天界の不思議について話は続いた。
言うまでもなく、静客の質問は終わりが見えず、西海殿に到着する方が先だったので終わっただけだが――――。
「あれは、人か?」
「そうみたいだね……」
西海殿の扉には三つの人影があった。
無事に到着した二人に待ち受ける人影とは――――。
ひゃっはーーーー! 無事に詐欺ることなく、西海殿に到着したぜっ!
なに? 西海殿へ、って西海殿に着くだけじゃなくて、ひと悶着させろって?!
そのつもりだったんだ! つもりだったんだけど……なんか、色んな言葉が出てきちゃったんだもん!
まあ、主張はこのへんで。
次回は、『8話 人影』ですっ! お楽しみに!!!!1