23話 トラウマ再び?
「魔女と接触しちまったのは全部、オレのせいだよなあ。どうしたらいいんだよ……」
ナナが起きる気配を全く見せないので、静客は一人、診療所の外をほっつき歩いていた。
たった数日のうちに経理役になったルルメヌォットからもらった少しのお小遣いを持って、屋台で串焼きを買ったり、果実水を買ったりしていた。
「どういう経緯で魔女が魂を抜くかどうか分かっていないと言えど、絶対と言っていいほど魔女に接触したら魂を抜かれることになるんじゃないのか……?」
ニ十本目の串焼きに手を差し出した瞬間。
串焼き屋の店主がさすがに食い過ぎなんじゃないか、お金は払えるのか、そう思った瞬間。
甲高い悲鳴が鳴り響いた。
「すまねえおっちゃん、お金はこれで足りるか? ってか、見たら分かると思うけど、この街で神官やってるからさ、もしお金が足りなければ神殿に来てくれよ。そうしたら絶対にはらうから!」
「承知致しました。五感上の方は大丈夫ですから、どうぞお行きください」
神殿に一介の市民が入るようなことはできない。
神殿とは神に仕える神官たちのみが出入りを許されている場所であって、神や神官に奉公する立場である街の住人が入ることなど断じて許されることではないのだ。
――くいっぱぐれるってことだな。
店主がそう解釈したと思えば、もうそこに神官・静客の姿はなかった。
(どこだ……どこから聞こえてきた? 神官の服を身に纏って、悲鳴が聞こえた瞬間に走っているからあちこちにいる人が聞こえてきた方を指さして案内してくれるが、全く見えてこない)
そしてほとんどの人は高位な存在である神官が走っていることに驚きを隠せていないのだが、静客がそんなことに気付くわけはなく、ぐんぐんと悲鳴の聞こえてきた方へ行く。
「おい! そこを退くんだ!」
人だかりができる場所があった。
――というか、中心にいる『黒いもや』を避けるようにして、人だかりは一目散に逃げ出しているような雰囲気だった。
悲鳴に――黒いもやに近付くにつれて、人の流れは静客の反対を行く。
診療所で教わった、黒いもやは伝播すると考えられており、という街医者の言葉が静客の頭の中を駆け巡っていた。
石畳の地面に獣のように吠えるのは人型の黒いもや。
ナナたち街の住民から黒いもやの人間と聞いたときはそんなもの想像できない、と一蹴していた静客だったが、実際に目で見てしまえば違う。
本当になんとも形容しがたい、黒もやの人間なのだ。
しかし、人の形をしているとはいえ、理性はとっくに忘れ去り、ただ傍若無人にあちらこちらに破壊の力を浴びせていくだけに過ぎない。
「大丈夫ですか? 足に力が入らない? それじゃ背負うので。行きますよ!」
逃げ遅れた人間を次々と逃げていく人だかりの中でも助けようとしている男たちに手渡して、静客は法力の環を自身の法力で満たしていく。
法術。
それを習得するのには一日とも千年とも言われている。
つまりそれだけ、才能が物を言う術であり、それだけ本気度によって左右される術であるということだ。
(大丈夫だ……ジェフは短い時間だったが、オレが法力の環や法具を使えるように色々教えてくれた。法力の環はまず法力でしっかりと満たしたら、自分が扱る武器の形になるように細部まで頭で思い描く)
法術とは簡単に言えばイメージを具現化する。
考えているイメージの解像度が高ければ高いほど法具や法術の練度は上がっていき、扱いやすくなる。
ジェフターニが言外に伝えたことを勘と本能で手繰り寄せた静客は息を吐く暇もなく黒いもやに法力を浴びせていく。
「おら!」
建物の倒壊が、人命の救助が、そんなことを考えている暇は静客にはなかった。
目の前にいる黒いもやが誰かの愛する人だと思うとそれを解放してあげたいと心の底から思ったのだ。
ナナは言っていた。
黒いもやに覆われたナナの母親は苦しみもだえながら死んでいったという。
静客はそのような惨劇を二度と起こしてほしくない、とそう心から思って、黒いもやに法術を浴びせていく。
「竜巻」
風が吹き荒れ、黒いもやの体を削っていくがすぐに回復する。
黒いもやの発生原理は分かっていない。
つまり、どこが弱点なのか、どこが有利なのかということが分からず、使う法術には慎重にならざるを得ない。
けれど、静客が知っているのは竜巻と業火の二つだけだ。
法術を彼に教えてくれた師匠ジェスターニは、派手でかっこよくて、視覚的に分かりやすい法術ばかりを習得していたので、弟子――にあたる、静客もそれを受け継ぐ羽目になってしまったのだ。
「業火」
火も風も黒いもやには効かない。
何度も何度も根気強く黒いもやに対して攻撃してみるが、静客の攻撃は当たってもすぐに回復してしまう。
もうだめだ、そう思った瞬間。
ロロの笑い声がした。
「パパランタ、パパランタ! 全く持って愉快な男だな静客、お主という奴は。我が来たからには安心するがよいぞ。我は純粋な法力の殴り合いで負けたことなどないのだから」
「ロロ……」
大巨漢は法力の環から作りあげたなぎなたを振りながら、黒いもやに攻撃を加えていく。
空中を舞いながら黒いもやとの戦いを繰り広げていた静客は次第に視界が落ちていくような気がして、ふわりと宙に戻った。
「ッチ。なンでこの俺が、手前みたな愚図の世話をしなきゃなンねエンだよ」
「す、すまない……」
静客の体を浮かせるシンの顔は不機嫌そのものだが、その瞳には心配の色も宿っていた。
ルルメヌォットが一番張り切りやがってるぜ、という言葉に静客は悪寒を感じた。
「アラ。ウチの可愛い静客チャン泣かせて何しとんのじゃワレェ?」




