22話 街医者の話
よぼよぼのおじいちゃん――黒いもやについてこの街で一番詳しいという超がついてしまうほど高齢に見える街医者のベーグは、少年に付き添われて扉を開けてくれる。少年の方はベーグのもとで見習いをしているらしく、中に入ると他にも五人ほどいた。
「五人も見習いがいるなんてベーグのおじさんは相当腕が立つんだろうな」
「そりゃあ実力は折り紙付きよ。けれどこの街にはベーグさん以外にお医者さんはいないからってのもあるのでしょうね」
「はっ⁉ この広い、下町を支えている医者がたった一人⁉ そんなことがっ⁉」
「そんな驚くことか? オレの村じゃ一人もいないぞ。大抵は婆がやってくれたし」
心底有り得ないという表情を浮かべるルルメヌォットだが、人は早々死ぬもんじゃないし、そんなに虚弱なら育つまでに死んでしまっているので、生き残って村で成人を迎えたような大人たちは頑丈なのだ。確かに、オレを育ててくれた治泉ばあちゃんが風邪をひいているところなんて見たことがない。オレも風邪をひいたことがないので、そういう村なのだ。
するとルルメヌォットとナナが口を揃えて言う。
「馬鹿を風邪をひくとかひかないとか」
「なんだとうぉっ‼ 馬鹿って誰のことだ‼ 馬鹿って‼」
「そんなのアンタに決まってるでしょうが。風邪をひかないってなら馬鹿なのよ。だからこんなにうるさいしはた迷惑なのよ‼」
「ぬおおおおおっ‼」
何か言い返したかったけれど、ロロの「訪問した要件は何だったか?」という言葉に押し黙ってしまう。村にもいなかった図体のデカさが恨めしい。
「えーっと、話に入るよりも先に紹介しておくわね。彼らはそこの神殿の神官様。縁あってうちの宿に泊っているんだけど、黒いもやについて知りたいらしいの。神官様だけれど、他の土地からやって来たみたいで黒いもやについては詳しくないみたいなの」
「なんてぇー?」
ベーグおじいちゃんは全く話が聞こえていないようだ。よぼよぼの手を耳に当てて頷いているが、今は誰も何も言っていない。それを見兼ねて、側にいた見習い少年が一歩前に出てくる。
「所長が知っていることなら大方知っています。医学の知識はまだまだですが、所長の下で手取り足となり汗水たらして働いているのです。どうぞ質問などは私にしてください」
「おお! それは助かる。オマエのことは何と呼んだらいい?」
「ヒヒとお呼びください。神官様の貴いお名前を呼ぶことは無礼かと思われますので、神官様とお呼びすることをお許しください」
こういう場面ならルルが口を挟んできて何か言いそうだが、何も言わないと言う事はこの見習いの少年――ヒヒの言う通りにしておいた方が良いのだろう。オレは回りくどいく質問する方法など知らないので、単刀直入に聞く。
「黒いもやの正体はなんだ? 突然現れて人を襲っていくその黒いもやはなんだ?」
黒いもや。それ自体を見たわけではないので、想像もつかない。けれどオレの中で黒いもやは凄く不気味で嫌なものにしか思えないのだ。きっとナナも同じ気持ちなのだろう。家族を、愛するものを奪われて嫌な気持ちにならない人なんていないからだ。
ヒヒはどこか視線をさまよわせて、はっきりとこちらを見て言った。
「はっきりとした正体は分かっていません。どこからやってきて、どうして発生したものが黒いのか。判明も説明もできませんが、黒いもやが発生する原因は分かっています」
「なんだと⁉ 先程ナナから聞いた限りじゃどこにも原因と思わしきものはなかったが⁉」
「ナナさんがおっしゃっていたことが何かは存じませんが、発生する原因は魔女に魂を抜かれたからだと考えられます」
一瞬、空気が凍った。見習いたちに変化がないということは、魔女がこのまちに現れたことは知らないと言うことだろう。
けれど、昨日魔女にオレたちは会った。それもかなりがっつり会った。手も触れた。
だというのに、それが人々を死に追いやる、苦しめる存在だったとは露にも思っていなかった。いや、本当のことを言うならばルルメヌォットには言われていたから分かってはいるのだ。
「ルル、そんな険しい顔をしないで! ナナもだよ。全部が全部の魔女が魂を抜くって決まったわけじゃないだろう? たった一人の魔女が魂を抜いている、なんて可能性もあるじゃないか。昨日会ったぐらいで……」
「昨日会ったぐらいで……? ぐらいで?」
まずい。何か、ナナの地雷を踏んでしまった気がする。どれだけ言葉を重ねても怒るって本能が警告を出している。
「静客たちはこの街に来たばかりの神官様だから分からないと思うだろうけれど、下町の人々は毎日毎日、いつ自分の番が来るのだろうかって心配になってる。黒いもやが発生するのに法則性はないから、寿命ぐらいに捉えている人もいる。けれど、心の奥底では慣れてしまったとしても黒いもやを怯えているの。それが、それを生み出しているのがあんな奴みたいだったら怒っても不安がっても悲しんでも意味がないじゃん‼ 私にはかないっこない魔女が殺しているんだったら……」
急にナナの瞼が閉ざされていく。ひゅーと時間がゆっくりになる感覚に見まわれて、反射的に広げたうでに体が収まっていく。興奮のあまり意識を失ったみたいで、診療所の空きベッドに寝かせてもらえることになった。
「あんな風に感情的な人を見るのは初めてだわ……その、アタシは神官一族のムスメだから」
いや、ムスコだろという突っ込みは置いておいて、優秀な一族の子供の周りにいるのは同じく優秀な子供たちで感情を表に出すのが少ないのだとか。
思ったことはすぐ口にするし、それでいざこざが起こったとしても、次の日の朝には一言の挨拶で仲直りが出来る村の出身だったオレにとってナナの感情の発露は別に困惑するものじゃない。けれど、オレが困惑しているのは黒いもやの正体を明かさないベーグさんたちだ。
「なんで街のみんなにもやの正体を明かさないんだ? 皆、不安がっているんだろう?」
「――街に知らせたら終わりだ」
ただ席に座っていたはずのベーグが口を開いた。ヒヒが受け答えをしていたのでてっきり話を聞いていない、あるいは聞こえていないのだと思っていたけれど、そうではなかったようだ。突然、口を開かれてびっくりしても、ベーグは話をそのまま続ける。
「下町が神殿のすぐそばにあるということもあって、法術――我らにとっては奇跡のような技術を知っている。それが何をできるのかはよく分かっていないが、一瞬で遠く離れた場所まで行けたり、空を飛ぶことが出来るということは知っている」
そりゃあ確かに、法術は何でもできる凄い術だと思うだろう。
「魔女も法術を使っているんだろう? 使っているのが法力じゃないとか環がどうのこうのと説明されるが、結局のところ、我らには扱うこともできない不思議な奇跡の業を使えるという点では我らにとっては同じなのだ。その差異はどうでもいい」
魔女の使う術と法術とが同格に扱われることに眉をひそめるルルメヌォットとロロの様子を見るに、聖なる神官と呪われし魔女みたいな対極的な存在にあるのだろう。魔女と神官、法術と魔術というものは。
ベーグは法術と同じようにたった一瞬で大地を割れるほどの業を使える神官に畏敬の念は覚えど、親しみや愛着のようなものは湧かないと言った。そして、同じようなことができる魔女たちはもっと質が悪く、嫌悪する存在でしかないとも言った。
神官は神殿に仕え、それなりに身元が分かっている。が、魔女たちは違う。どんな目的なのかも分からない。善意なのか悪意なのかも分からない。分かっていることは神官たちに追われ、下町の人間は逃れる手段として幾度となく利用されたことがある、ということぐらいだ。
「それで聞くが、それでも街に知らせた方がいいと思うか?」
重みのある言葉だった。これまで生きてきた中で何よりも腹に来る言葉を投げかけられて、首を横に振った。
「下町の人間は法術と魔術を同列に扱うんだろ? ってことは、黒いもやが魔女の魔術によるものだって言ったら、『神官にも同じことができる。だから神官たちも同列だ‼』っていう思考になるな。聞く限りじゃ横暴とお噂の神官様たちに楯突く者がいないとも限らない。それなればこの下町は大粛清になってしまうかもしれないな」
「静客。手前、意外とすんげエ酷いこと言ってんぞ? まア、その通りだろうがな」
無駄な混乱を産むよりも、冷静な判断ができる人間が対処していけばいい。それがベーグたち街医者の意見だった。加えて聞くところによると、魔女は接触せずとも魂を抜くことができるらしく、対処法は今のところないため、広めたくないということだった。
ナナが起きてくるまで中の方でお茶をさせてもらえることになり、ベーグや見習いたちの話を聞いた。医者がいなかった村出身のオレはどうして医者がそんな風に考えるのかが分からなくてちんぷんかんぷんだったが、それなりに楽しかった。
ナナが目覚めたらどこへ行くのやら――――――。
次回、『感謝』




