第八話-背を向けた日
「今から一二〇六年前、西暦二〇六〇年の一年間だけ、産まれてくる人間の遺伝子操作が合法になったことがあったんだ。遺伝子操作ってのは要はこう……髪や肌、目の色を好きに設定できたり、最終的な身体や頭脳の発達度を自由に設定できたり。そういうのが、『あくまでも一般常識的な倫理観の範囲内で』可能とされた、はずだった」
見せたいものがある。そう言われて、アタシとノゾミはアヤさんの後を追いながら、居住地区の通路をジグザグに進んでいた。
まるでゲームのダンジョンみたい、なんてノゾミははしゃいでたけど、アタシはあまりゲームに詳しくない。こういう感じのゲームがあるんだろうか。
「けどま、結論から言えば問題が起こりまくった。政府が想定してた以上に人間ってのはバカばっかだった。自分の子供にありとあらゆる理想を詰め込みまくって、『異常個体』とすら形容出来るほどの過剰な遺伝子操作児が沢山産まれた。一流アスリートに育てる為に不相応なほど筋力を増強させたり、一流大学に入れる為に脳細胞を極端に弄ったり。美しさを求めた人工アルビノから、変異病を元にした寿命の延長まで」
通路を進んで行く途中、何度か住人らしい人とすれ違った。その度に軽く挨拶をする。みんな快く返してくれた。
住人には男の人も女の人もいた。けど見た限り、歳はせいぜいアタシたちより少し上がいるくらいで、あとはほとんどそれよりも下みたいだった。
さっきの会話の中でアヤさんの言っていた「孤児」という言葉が頭をよぎる。
どうやら十二年前のあの日、生き残った人類は、小さな子供の方が圧倒的に多かったらしい。
その身体の小ささ故に落石を免れただとか、母親、父親に守られていたおかげで無傷だったとか。
ケースは様々なんだろうけど、いずれにせよ、みんな何かしら心に傷を負ったままここまで生きてきたんだろうな、と考えてしまう。
もしもあの日、私たちが町の外れに出かけていなかったら。
それでもしも、目の前で潰されていく町のみんなを目の当たりにしていたとしたら。
そして、もしも生き残っていたとしたら。
……想像するだけでも身の毛がよだつ。
きっと旅なんかする気力も起きないほど打ちのめされていたに違いない。
そういう意味では、まだ不幸中の幸いだった……のかも。
「ま、医療は十分進歩してたから事故とかは起こらなかったけど、あまりにも状況が悪化したもんだから、たった一年で遺伝子操作は禁止になった。その一年の間に生まれた遺伝子操作児は、世界におよそ三〇〇万人。『二一世紀の科学技術最大の失敗』なんて呼ばれる人たちだ。そのうちの一人が私ってこと」
「……それで、アヤさんはどういう操作をされた人なの?」
律儀に話を聞いていたらしいノゾミが、ふと口を開いた。
やば、ちゃんと聞いてなかった。
何か難しそうな話だなーとは思ってたけど。
アヤさんはこちらを振り返ろうともせず、前を向いたまま「あー、まぁ私の場合は……」と切り出した。
「正確には遺伝子操作の範疇すら外れてるんだが、そうだな……『寿命の上限撤廃』。平たく言えば永遠に生きられますよって話だな」
「永遠にって……」
さっきの年齢の話もそうだけど、この人はさらっと凄いことを言う。まるでその話の内容に興味が無いみたいに。自分の話をしているとはとても思えないような、平坦な喋り方だ。
「とは言っても流石に身体の限界を千年も引き伸ばすことはできないから、定期的に研究機関にクローン体を作ってもらって、前の身体が死にそうになったら乗り換える……みたいなのを繰り返しながら生きてるな」
成る程、それで今の身体がアタシたちより歳下に見えるのか、と、心の中で手をポンと叩いた。
……いや、確かに理解できなくはないけど、やっぱりさらっととんでもないことをしてるような気がする。
「父親が随分と有名な研究家だったらしくてな。頭のおかしい親を持つと大変だよ、全く」
「……千年以上生きてて、もう生きてなくてもいいやって思ったことは無いの?」
ふと頭に思い浮かんだ疑問を、そのままアヤさんにぶつけてみる。
「ん?」と言いながら、アヤさんは急に立ち止まる。その奥は行き止まりになっていて、でも壁の代わりに、両開きの扉がそこにあった。
「いや、無いね。生きてると何だかんだ面白いことあるし」
扉のすぐ脇にあったボタンをポンと押す。即答だったその口調は、やっぱりどこか他人事のようだった。
関係者以外立入禁止と書かれたエレベーターの扉は待ち時間も無く開き、アタシたちは促されるままにその中へと入っていく。扉が閉まり切ると、ガクンと一度大きく揺れて、更に地下へと潜っていった。
「……そっか」
アタシは小さく頷いて、俯きがちに顔を伏せる。
何故、今アタシはこんなことを聞いたんだろう。
……さっきから、胸の奥に違和感みたいなものを抱えているような感覚があった。
アヤさんのことを信用していないわけじゃない。ここが安全なんだろうなってことも、理解してるつもりではある。
だけど、今アタシがこうして生きてるということに、やっぱり現実感がない。
心が浮ついて落ち着かないって言うか、夢を見ているみたいな気分が抜けないって言うか。
これまで長い間過ごしてきた環境から何もかもが急に変わりすぎてて、何処かで「受け入れられない」と思っている自分がいる……のかも知れない。
ポーン、とチャイムが鳴って、扉が開いていく。その先には、暗闇が続いていた。
「さ、着いたぞ」
「着いたぞって……真っ暗じゃ」
「今電気点けるから」
アヤさんは白衣のポケットからいそいそとチップみたいなものを取り出して、カチリと押した。ウインドウがポンと出てきて、それを指で叩いていく。暗がりの中から、青白い光がいくつも浮かび上がり始めた。
どうやら機械の電源が点いたことにことによる灯りらしい、と気がついた頃には、視界一面が星のように瞬く光で覆い尽くされ、部屋全体の輪郭を淡く映し出していた。
「……ここは」
「……まぁ、何だ。信用の材料ってとこかな」
言いながら、アヤさんはコツコツと踵を鳴らして、部屋の中を進んで行く。その後に続いて部屋の中に足を踏み入れると、床には何を繋いでいるのかもよくわからないコードが蜘蛛の巣みたいに張り巡らされていた。
「私の研究施設の中枢みたいなもんだ。大体いつもここで作業してる。んで、何で連れてきたかっていうと、これな」
部屋の奥にぼんやりと照らされていた作業台みたいなテーブル。その上に、見覚えのある靴がそっくりそのまま置かれていた。
「あ! アタシのスニーカー!」
何処かへ行ってしまったと悲しむ暇も無く、すっかり記憶の隅に追いやってしまっていた形見。
よくよく見ると、なんだか綺麗に整えられているような気がした。
「どんだけ使いこんだのか知らんけど、内部機構がズタズタだったから直しといた。もしコイツが万全の状態だったらアレからも逃げられただろうってくらい素の性能は高いみたいだったし、もしこれから先アレと出くわしたとしても直したコイツなら逃げられる可能性は高くなる。多分な」
「……あ、ありがとう」
作業台からアヤさんがヒョイとスニーカーを持ち上げ、「ほれ両手」とぶっきらぼうに言う。
言われるがままに両手を皿みたいにして構えると、ポンとその上に置いてくれた。こうして持つと意外に重みを感じられ、アタシは思わず「おぉっと」と声を漏らした。
そっと靴を地面に置いて、その空洞の中へと足を通す。履き心地は特に変わってない、アタシが愛用してたスニーカーそのまま。
けど、外側は丁寧に磨かれていて、下手したら貰った時よりも輝いているようにすら見えた。もうほとんど当時のことなんて覚えてないけれど。
レバースイッチの感覚も確認する。こんな場所でエンジンを点火するわけにもいかないので、三つあるうち真ん中のやつを倒した。
カチリ、と滑るようにスイッチが下りて、瞬時に靴裏から棘が飛び出し、アタシの身長が少しだけ伸びる。この辺も調整してくれたらしい。今まで感じたことのないような爽快感があった。
確かにこの感じなら、アイツとの戦闘ももっと楽に――
「――ッ」
不意に、頭痛が走る。
さっきから、一体何なのだろう。事あるごとに変な汗が噴き出てきたり、膝が震えそうになったり。怪我が原因ってわけでもないだろう。
「……シシキ? もしかしてまだどこか調子悪いんじゃ……」
「いや、大丈夫、だと思うけど」
喉の奥に何かがつかえるような感じがして、思うように声が出なかった。変に掠れた息ばかりが、堰を切ったように溢れていく。
「体調が万全じゃないのであれば先に戻っててもいいぞ。渡したかったものは渡したし、あとは……ノゾミだったか。そっちにも一つ渡したいもんがあるってだけだから」
「……分かった」
「渡したいものって?」
「ああ」
疲れているのかもしれない。色々あったし。そういうことにしておこう。
アタシはアヤさんに背を向けて、エレベーターの扉の方に歩いて行こうとした。
「あの兵器の核、欲しいんだろ?」
「あ、はい! いいんですか?」
アタシは振り向いた。
ほとんど反射みたいなものだった。
「――待っ」
アヤさんの言葉に顔をパッと明るくさせて、部屋の奥へと駆けていこうとするノゾミの袖口を、ギュッと力強く掴んでしまった。
「……シシキ?」
困惑した顔で、ノゾミはアタシのことを見る。
……何が起こった? 今、どうしてアタシはノゾミのことを引き止めようとした?
アタシは今、何を思い浮かべた?
「いやっ……ごめん、何でもない。気にしないで」
頭の中をぐるぐると巡る景色を振り払いながら、アタシはそっとノゾミから手を離した。
思い描いていたのは、先の二度と同じ、意識を失いかけたあの時の光景。
届かない手の先に、血を流して動かないノゾミの姿があって、彼女の息の根を今にも止めようと、鋭く閃光が研ぎ澄まされている、あの光景。
それだけじゃない。
あの時感じた痛みや苦しさまでもが、克明に、生々しく、アタシの眼前に広がっていた。
外にはあんなに恐ろしい世界が待っているのだと、思い知らせるように。
――あぁ、そういうことか。
怖がってるんだな、アタシ。
暖かみの残る色味に照らされたダイニングと、そこに置かれた長方形のテーブル。
先に研究室から抜けさせてもらっていたアタシは、ダイニングの出入り口から一番近い面の椅子に座っていた。
ずっと、考えていた。
これから先、また旅を続けるアタシたちのことを。ここから外に出て、あの廃れた街を歩くアタシたちの姿を。
それは、心の底から望んでいることのはずだった。怪我さえ回復してしまえば、すぐにでもここから出て、また二人で、今までと同じ旅を続ける。そのはずだった。
はずだった、のに。
「………………ダメだ」
考えただけで、吐き気が込み上げてくる。
運動もしていないのに、気づけば息は上がっていて、ふと見た腕には鳥肌が立っていた。汗が止まらない、血の気が引いていく。
外に出ることが、怖い。旅を続けることが、怖い。
またあんなヤツと出会って、アタシも、ノゾミも、今度こそ死んでしまうかもしれない。それが、何より堪らなく怖い。
今まで、こんなこと考えたこともなかったのに。
「何で……」
「……あ、シシキ、ここにいたんだ」
ガチャリ、と扉の開く音と聞き慣れた声がして、アタシは思考を強引に断ち切った。
振り向いた先に、黒髪をふわりと揺らしながら心配そうにアタシの顔を覗き込むノゾミの姿があった。
「えと……大丈夫? やっぱりまだ具合が悪いんじゃ」
「……いや、平気だよ。ただちょっと、疲れちゃったみたいで」
咄嗟に、嘘を吐いた。
こんなことを急に言ったら、ノゾミがどう思うか、考えるまでもなかった。
ノゾミは安心したような表情をして、ほっとため息を吐く。
それを見て、アタシは罪悪感を募らせた。
「……そっか。まぁ分かるよ。私も急にこんなことになって、正直受け入れきれてないもん。あ、隣座っていい?」
「うん」
ガタガタと、不器用に椅子を引いて、ノゾミは隣に腰を下ろす。天井を仰ぎながら、「なんだか不思議な場所だよね」なんて呟いた。
「向こうはあんなにいろんな機械が並んでて、いかにも研究室って感じなのに……こういうところは、普通の家みたい」
そう語るノゾミは穏やかな口調だった。アタシが嘘を吐いてるなんて、疑ってもいないみたい。
いつだってノゾミはアタシの言うことを信じてくれて、着いてきてくれていた。
そんなノゾミの誠実さを、今、よからぬ方向に利用しているのは、他でもないアタシだった。
「……だね。ちょっと懐かしい気がする」
行き場のない両手をテーブルの上で絡ませながら、アタシはなるべく明るい声を作る。
最後に家と呼べる場所に帰ったのは、もう遠い昔のこと。こんなにゆったりした空間で過ごせるのなんて、随分久しぶりだ。
……そんな安心に溺れれば溺れるほど、あの外の世界が、一層恐ろしいものに思えて仕方がなかった。
ずっとここで暮らせたら、どんなに平和な日々を送れるだろうか、なんて。
小さな子供が画用紙に描き殴ったような稚拙な妄想に思いを馳せてしまうアタシが、心の奥底に巣食っていた。
けど。
アナタは、違う。
「……ね、ねぇシシキ。これからどうする?」
きっと、場の雰囲気が重くなっていることを察して、明るい話題を振ろうとしてくれたのだろう。ぎこちなく、けどあどけなさの残る笑みを浮かべながら、ノゾミはそういった。
「さっきアヤさんとも話したんだけどね、ここって服も沢山保管してるみたいなの。頼んでみたらくれるって言ってたから、そしたら、このままもっと北を目指せるかもしれない。冬のうちにこの国の北端まで抜けて、春くらいには大陸に渡れるように動けると思うんだけど……」
観光旅行に出かける前の日みたいに、計画を話し始めるノゾミ。
その横顔は楽しそうで、またズキリと、罪悪感が痛みとなって、アタシの心を突き刺した。
「……シシキ?」
気付けば、アタシは俯いていた。
ノゾミは、何も悪くない。ただ、いつも通りのノゾミなだけ。
けど、今だけは、そんなアナタを前にすることが、少しだけ辛かった。
「ごめん」
俯いたまま、ノゾミと顔を合わせることもできずに。
「アタシは……もう、いいんじゃないかな、って……」
そっと左手で、包帯の巻かれた右腕をなそる。鈍い感覚が走った。
言ったな、と。
アタシを責め立てる声が聞こえてくるようだった。
「……それは、どうして?」
たどたどしいノゾミの言葉に、アタシはギリっと下唇を噛む。
本当に、どうしてなんだろう。
あの兵器とは、これまで何回も戦ってきた。怪我だって沢山してきた。いつかこの前みたいなことが起こることだって、分かっていたはずだった。
なのに、今更あんなものを怖がって、だから旅を終わらせたいなんて、わがまま過ぎるじゃないか。
……いつの間に、アタシはこんなに臆病になってしまっていたのだろう。
自分でも、自分がわからなくなっていた。
「……いや、何でもないや。ごめん、忘れて。……本当に、ごめん」
口の端から、乾いた笑いが出た。
アタシは椅子から立ち上がって、無理矢理話を終わらせる。
「ぁ、ちょっと……」
呼び止めるノゾミの声を振り切って、目を床に向けたまま部屋の扉を開けた。
半ば逃げるみたいにして廊下に出て、パタンと、扉を静かに閉じた。
ダイニングと比べると肌寒く感じる気温が、アタシの肌をぬるく刺し続ける。
……最後まで、ノゾミの顔を見ることはできなかった。
あんなことを言い出したアタシを、ノゾミはどんな顔で見ていたのだろう。
失望しただろうな、幻滅しただろうな。
思い返せば、旅に出ようなんて言い始めたのだってアタシだったのに。
今まで十二年も続けてきた旅がこんな形で終わるなんて、本当はアタシだって、嫌で嫌でたまらないのに。ずっと、二人でいっしょに生きていくんだって、あの日決めたのに。
それでも足を竦ませて震えてしまうアタシが、自分でも許せなかった。
「最っ低だ、アタシ……」
暗がりの通路をフラフラと、覚束ない足取りで歩いていく。
身体に上手く力が入らない気がして、段々と立っているのも億劫になってきて、アタシは冷たい壁に全体重を押し付けながら、ズルズルと座り込んだ。
諦めたくない。
震える足を力任せに殴りつけた。
それでも、壊れたおもちゃみたいに、足はガクガクと揺れて治らない。
何度も、何度も、止まれ、止まれと言い聞かせて、殴りつけた。
それでも、意味は無かった、
「――何で、こんなことに、なっちゃった、のか、なぁ」
いつしか、声は震えていた。
頬を、冷え切った何かが伝っていた。
こんなに泣き虫だったかな、アタシ。
もう昔のことなんて覚えてないや。
押し殺した嗚咽と、どこか遠くから聞こえてくる機械の駆動音が、閉鎖的な狭い空間の中に虚しく響いていく。
その空間が、不思議と、十二年前のあの日と重なっているような気がして。
……けど。
あの日と違って、アタシのそばに、ノゾミはいなかった。