第六話-目を閉じた日・後編
「それは……」
アタシは言葉を詰まらせた。確かにほぼ無理難題。そもそも近距離の標的を撃ち落とす迎撃システムが生きてるか死んでるかすらも分からない。
かなりの賭けであることに間違いない。声を詰まらせるのも当然だ。
でも、どのみちアイツを倒さないと詰む。
この辺をざっと見た感じ、逃げ道になるような路地も見当たらないし、ここから浮島の端までは相当の距離がある。流石にそこまでジェットは保たない。
グダグダやってる間に撃ち抜かれて終わりだ。もうちょっとどうにかならなかったの、この街の構造。
「……っ」
そうこうしている間に、頭上から空を切る音がした。熱線が放たれたらしい。ズズン、と建物全体が鈍く揺れ動くのを感じた。ノゾミが珍しく、チッと舌打ちした。
「こんな時に実弾銃があれば良いのに……」
「あんな骨董品、見つかること自体稀でしょ」
「だよねえ」
実弾なら物理攻撃になり得る。つまり一撃で終わらせられるのだけど、そんなものは何百年も前に世の中から消えている。わざわざコレクションとして持っていた変わり者の家でも無い限り、手に入れることは難しい。
だから、結局何とかして近づくしかなかった。
「……石とか投げてみる?」
「は?」
「撃ち落とされたら近接防衛は生きてるってことになるし、普通に当たれば内部機構死んでるでしょ」
「なるほど……やってみようか」
「アタシに任せて」
へ? と困惑の声を漏らすノゾミを他所に、アタシは階段の踊り場に転がっていた手頃な瓦礫を拾い上げた。目下の兵器を見下ろして、ザックリと距離を確かめる。
このくらいかな、と確かめた辺りでグッと腕を引き、斜め下、兵器よりも少し上くらいを狙って小石をぶん投げた。
石は緩やかにカーブを描きながら地面に向かって落ちていく。五、六秒くらいして、それは兵器の数センチ横を通り過ぎ、コンクリートにコツンと音を立てて転がった。
「……ま、あの辺に落ちて反応が無いってことは迎撃は死んでるかな?」
「かな? じゃないっての。まぁ大丈夫そうかもね。それより早く降りるよ、今のでどうせバレてる」
「はいはい」
外をチラと見ると、アイツはまた、頭部から赤い光を放ち始めていた。
「シシキ、エンジン、あとどれくらい動く?」
階段を降りるのも焦ったくなってきて、器用に手すりの上を滑り降りながらノゾミは言う。
「……もって1分ってところかな」
アタシはこれまでにエンジンを動かした時間をざっくりと思い返した。目安としては、全速力を出し続けて大体3分くらい。
一度アイツの攻撃を避ける時に無茶な動かし方をしたから、実際に使った時間よりも多めに考えた方が良さそうだ。となると、多分残り1分。
使い所を間違えれば、途端に回避手段が無くなる。
かなり危険な状況ではある。
「……思いついたことがあるんだけど」
「何?」
声音はさっきゼロ距離射撃の事を言っていた時と似てたけれど、慌ただしく階段を駆け下りながらも覗き見たその横顔は、意を決したかのように強張っていた。
「アイツ、一度照準を合わせてから撃つまでに45秒くらいあるんだよ」
「あぁ、結構間があるね、確かに」
「……シシキさ、私のこと背負って窓から降りれる?」
「————なるほどね」
ノゾミの考えていることが、分かった気がする。アタシはニヤリと口角を上げて、得意げに返した。
「……出来るよ。でも大丈夫? アタシの背中からちゃんと撃てる?」
「さっすが、話が早い。……当たり前でしょ、私が外したことある?」
「十年くらい前に何回も」
「そういう話はしてない」
階段の踊り場から下の階まで二歩で飛び降りる。かなりの高低差があったから、足の裏がジリジリと傷んだ。そのまま、目の前にあった扉をバタっと開く。
と同時に、再び頭上で何かが通り過ぎた音が響く。古ぼけた建物が軋みを上げる。熱線が貫通するタイプだからまだいいものの、触れた場所が爆発するタイプとかだったらとっくに壊れてるだろうな、この建物。
「……で、本当にやる?」
「それが一番確実でしょ。どうせ逃げられないんだし――っ⁉︎」
ノゾミが言いかけると、今度はさっきまでとはまた違う音が聞こえてくる。アラート音じゃない、もっと別の何かの音。
「……まさか」
ノゾミが苦虫を噛み潰したような顔をして、すぐそばの窓から身を乗り出した。勢いがそのまま落っこちていってしまいそうな程だったので、アタシは慌ててその腰をガッシと掴む。
「ちょっ、あっぶな」
「まずい」
「え?」
ノゾミの肩口から、アイツのいる方を覗き込む。ノゾミの方が背が高いから、こういう時に背伸びをしなくちゃいけなくて大変――とか言ってる場合じゃ、どうやらなさそうで。
一体どこから出してきたのだろうか。目視できるだけでも実に七、八発はあるだろう、真っ白に塗りたくられた弾頭が、一斉にアタシたちのいる建物に向かって押し寄せてきていた。
スピードはそれほどでもないけど、ノゾミに全部撃ち落としてもらう暇もない。
流石に痺れを切らしたってことだろうか。
ともかく、あれが全部直撃すれば、いよいよビルそのものが倒壊する。
「——飛ぶよ、ノゾミ」
気付けば、そう口に出していた。
「……いや、飛ぶって」
「いいから!」
アタシはサッとノゾミのそばで屈んで、ノゾミの膝裏と腰とに手を回す。意図に気付いたらしいノゾミは、何故だか焦った手振りで空をつかみ続けていた。
「えっ、え、あ、待っ」
何かを言おうとしているのは分かったけど、今は悠長に話を聞いている暇も無かったから、特に構う事なくヒョイとノゾミの身体を抱き抱えた。
「待っ――‼︎」
「行くよ!」
両手が塞がっている上に足元が見えなかったから、適当に勘でスイッチを踏み抜いた。どうやら一発で上手く行ったみたいで、足が地面から離れていくのを感じる。
「喋ったら舌噛むからね!」
アタシの腕の中に収まっているノゾミのことを見下ろして、呼びかける。
「……ん!」
すると、ノゾミは覚悟を決めたと言わんばかりに目と口元を頑なに引き結んで、手はアタシの胸元の布をぎゅうっと握りしめて縮こまっていた。緊張しているのだろうか、その頬は赤みが差していた。
え、何それ可愛い。
そう言えば、こういう移動の仕方はスクーターをゲットしてから十年はやってなかったっけ、なんてことを思い返す。
いや、だからそういう事言ってる場合じゃなくって。
「よいしょっ」
アタシは窓枠にノゾミをぶつけてしまわないように気をつけながら、ビルの外に飛び出した。冷たく埃っぽい風が、顔に打ちつける。
私はそれに少しだけ目を細めて、足元のその先を見下ろした。
上空、大体三、四十メートルから見やる朽ちた道路の上には、点のように小さいながらも、確かにそこに兵器が突っ立っている。あんな小さいヤツがあんな恐ろしい攻撃を放ってくるとは、その見かけからじゃ判断できないだろう。
そんな「ヤツ」は、飛行機雲を眺める子供みたいに、呆然とした様子でこっちに首を向けていた。やっぱり気付くか。ビルをこうしてちまちま渡りながら逃げるのも無理そう。
あと二、三回やったら、先に充電が切れてしまう。
後方から爆発音が追いかけてくる。
振り向くと、ビルの上半分に集中的にミサイルが撃ち込まれて、木っ端微塵になっているのが確認できた。これまたあと数秒遅かったら死んでただろう。何というギリギリの人生。金輪際勘弁させて欲しい。
視線を前に戻すと、道路を挟んだ向かい側のビルが目の前に迫っていた。それなりに大きめの窓を見つけて、その中心を思いっきり蹴り抜いた。ガラスの割れる音がやかましい。
「ふぅ、危ない危ない」
出力を極限まで下げてから、スイッチを弾く。靴の裏が、ビルの床にピッタリと付いた。これで充電は残り四〇秒ってところかな。そろそろ余裕ない。
それに、ここでモタモタしていたら次にアイツが何をしてくるかも、これで読めなくなってしまった。早めにカタを付けないと、アタシたちがジリ貧状態に陥るだけになる。
ふむ、と、アタシは少し考え込んだ。その間ずっとアタシに抱き抱えられたままのノゾミが、やっぱり何故か頬を赤らめたまま、不安げに瞳を揺らす。
「あ、あの……私はいつまでこうしてればいいの?」
「ノゾミさ」
ん? と、ノゾミは背を丸めたまま、自然と上目遣いになる形でアタシの方を見上げる。
「その体勢のまま、撃てる?」
「…………ハァ⁉︎」
ノゾミは目を丸くした。久々にこんな大きい声聞いたかもしれない。
「背中に乗った状態で撃つんじゃないの⁉︎ このお姫様抱っこのまま⁉︎」
「だって、おんぶだと速度上げた時に落ちそうで怖いから。……これお姫様抱っこって言うの? 可愛いじゃん」
「――はぁ〜、もう……」
抱え方にいちいち名前があるとは知らなかったから純粋に聞き返しただけなんだけれど、ノゾミの中の何かに触れてしまったらしい。拗ねたように口を尖らせながら、肩掛け紐を手繰り寄せて、ライフルを手に取った。
そのまま、スコープを覗いたり色んなところをガチャガチャ動かしたりし始める。アタシには何をしてるのかさっぱり分からない。
けど、何か意味はあったみたいで、十秒くらいガチャガチャやった後、ノゾミはさっきまでの拗ねた顔が嘘のように、真っ直ぐな目でアタシのことを見た。
「……大丈夫、行ける」
「ん、ありがと」
その返答を聞いて、アタシは今一度窓の外の様子を確認する。兵器の首はこっちを向いていた。アタシの顔を見つけると、途端にまたアラート音が鳴りだす。
「じゃ、アタシが何とか隙を見て突っ込むから、ノゾミはアイツの頭にぶっ放してやって」
「分かった」
ガチン、と、ノゾミがライフルの何かのレバーを下ろした音がした。
「あ、でも一つ」
ノゾミはアタシに向かって、ピンと人差し指を立てた。体勢が体勢なせいか、どちらかと言うとちょこん、みたいな効果音が聞こえてきそうだった。
「もしもこの子で仕留められなかった場合」
構えているライフルをアタシの目の前で掲げた後、ふと、自分の肩に掛けたもう一丁の長銃に目をやった。
「もう一段、出力の強いのがあるから、それを使うことになるけど……多分、反動がとんでもないことになると思うから、覚悟しといて。私もするから」
お願い、と語るノゾミの表情は、いつになく決意に満ちているように見えた。アタシはそれを暫くポカンとした顔で見ていたけど。
「……うん、分かった」
アタシは精一杯笑顔を作って、得意げに言った。
「でも大丈夫、アタシは絶対ノゾミの事離さないから」
言い切った途端、ノゾミが鼻で笑った。
「どうだか」
「え〜、ひど」
「ほらそろそろ来るよ、行こ」
「……そうだね」
アラート音の間隔が短くなっていく。そろそろなり始めてから四十五秒が経ちそうになっていた。
「ほっ!」
スニーカーのスイッチを入れてから、片足を窓枠に引っ掛ける。
アイツが熱線を撃ってくるのと同時に飛び出す。そうすれば、少なくとも四十五秒以上の隙が出来るはずだ。人ふたり相手にさっきみたいなミサイルを撃ってくるとも考えづらい。賭けには違いないけど、それでもやらなきゃいけなかった。
アラート音が、途切れる。
「今!」
「分かってるって」
ほとんど0に近かった出力を一気に最大まで押し上げて、ビルから飛び出した。
直後、視界の中に真っ赤な星が瞬いて、一瞬全ての音が置き去りにされる。
文字通り光の速さで直進して行ったその熱線を横目に、目指すはただ一点。
ミサイルを撃ってくる気配はない。行ける。確信した時には、何も考えず出力を上げていた。とっくに最大だったつもりだけど、それよりも速く動けていた。
数秒とかからず、兵器が目と鼻の先に迫り来る。
アタシは身体を反転させて、足の先を兵器の胴体に向ける。
「――これでも、喰らえぇぇぇえっ!」
爪先から数えて二つ目のスイッチを、バギン、と踏み下ろした。
スニーカーの裏面に無数の棘が現れる。
アタシはそれをもって、思いっきり兵器を踏み抜く。少しでも足しになると思った。
兵器は衝撃をある程度吸収したらしかったけど、目論み通り、多少はダメージが入ったらしい。
バチバチと音を立てて、兵器の中身が部分的に破損しているようだった。
「――ノゾミッ!」
「はいよっ!」
ノゾミが銃口を直接兵器の頭に当てる。覗く必要がない距離だからだろう、スコープは使っていなかった。
射程計算も狙い合わせも何もかもをかなぐり捨てて、ただ力任せに、ノゾミはトリガーを引いた。
バァン、という破裂音が耳をつんざく。
手応えはあった。
兵器を目に見えるほど強烈な電流が襲い、頭部の赤い光は徐々に暗くなっていく。
スニーカーの面がゴムで良かった。そうでなけりゃ感電してる。
「――ダメだ」
ノゾミはふとそう漏らした。
そんなバカな、と目を見張る。けどたしかに、暗くなる一方だと思っていた閃光は点滅を続けていて、今にも暴発しそうになっている。
「……あぁクソッ‼︎」
ノゾミが乱暴に怒鳴り散らす。
背負っていたもう一丁の、さっき撃ったライフルの二倍近い長さのスナイパーライフルを構え直した。
「ホントに撃つよ!」
「うん!」
「ホントにホントに良いね⁉︎」
「良いって‼︎」
さっき撃った電撃の弾ける音が聴覚を妨げる中、アタシは縋るみたいな大声で、ノゾミの問いかけに答える。
ノゾミが、ふっと目を閉じた。
「――上手い具合に受け身取ってよ」
それだけ呟くと、ノゾミは瞼を開ける。
トリガーに掛けていた指に、力が入る。
カチンという乾いた音が、聞こえた気がした。
次の瞬間、何もかもが真っ白になった。
自分がどこでどんな状態でいるのかも分からない。
結局吹っ飛んだのか。アタシは今立ってるのか、横たわってるのか。
それすら、何も分からない。
けど、その答えは呆気なく突きつけられた。
気がつくと、世界が横倒しになっていた。
アタシが横になってるのだということに気がつくまで、少しだけ時間がかかった。
「――ゔ……」
声は出る。アタシのとは思えないくらい、低くて呻いてるみたいな声だった。
手探りでコンクリートに手を付いて、ようやく頭を起こした。
何がどうなったんだろう。アイツは倒せただろうか。
いや、それよりもまず先に。
「ノ、ゾミ、は……?」
辺りを見渡す。見渡しているうちに、段々と全身に鈍い痛みが回っていることに気が付いた。視界がやけに狭いような気がして、右目の近くを擦ると、生温かい何かが手についた感触がした。気味が悪くなって指を離す。
真っ赤な液体が、そこにべっとりと付いていた。
「そりゃ、痛い、わけだ、よ……」
軋む身体を強引に持ち上げて、震える膝で立ち上がる。
思考のぼやけた脳を無理やり回転させながら、当てもなく歩き回る。
程なくして、ノゾミの姿を見つけた。
瓦礫に頭を打ちつけたのか、ぐったりと頭をもたげていた。
「ノゾミッ……!」
駆け出そうとしたのが良くなかった。
さっきの今でまともに動けるはずもなく、アタシは足をもつれさせて転んでしまった。
「痛っ、たぁ……」
いつもならすぐ立ち上がれるはずなのに、身体が言うことを聞いてくれない。
それでも、どうしても、ノゾミのそばに行きたくて、アタシは無様に手を伸ばしながら、這いつくばったままズルズルと近づいていく。
その先に見えたものに、アタシは目を疑った。
いる。
まだ、アイツが壊れてない。
ボロボロになりながら、ほとんど頭だけになりながら、それでも確かに、赤い光が、あの光が、ノゾミの事を捉えていた。
「待っ、て……!」
動け、動け、動け。
さっき言ったばかりじゃないか。絶対に離さないって。
それでも、足に力が入らない。立てない。
足掻くように、アタシはノゾミに近づこうとする。
でも、分かっている。
間に合わない。
「やめ、てよ……ッ!」
何もできなかった。
「今まで、ずっと、一緒にいた、のに、なん、で、こんなッ……」
アタシには、何もできなかった。
「やめてッ……! お願いやめてぇっ……!」
ただ、泣くことしか、出来なかった。
「とら、ないでよ……アタシの、大切な――」
目の前が滲んでいく。
せめて、その瞬間を直接見まいとするかのように。
アタシの慟哭なんて、あの無情な兵器が聞き入れてくれるはずもなく。
途切れ途切れに聞こえていたアラート音が、ピタリと止んだ。
「やめっ――――」
タァン、と、乾いた銃声が、灰色の街に鳴り響いた。
赤い光が見えなくなる。
何が起こったのだろう。
……熱線を放つ音が聞こえてこない。
助かった、のだろうか。
今のはたしかに銃声だった。
でも、こんな一発でアイツが動かなくなるなんて、そんな。
いや、それとも、まさか。
「実、弾銃…………?」
ざくり、ざくりと、地面を踏みしめる。
一体、誰が。
ふと、アタシの周りに影が落ちた気がして、動かない身体の目だけをなんとか動かして、頭上を見上げた。
――人影が、揺らいでいた。
「……だ、れ――――」
言葉すら碌に紡げないまま、世界が闇に染まっていく。
闇に抗う術すら見つけられないまま、アタシはアッサリと、意識を手放した。