5、見張り
いつものように工場の鍵を閉め、親方は一階の棚の陰に椅子を置き、そこにまるで置物のように収まりました。肩まで毛布をかぶって、顔だけ出しています。実に不気味な置物のようですが、それなりに室内の調度に馴染んでいます。
まだ時間が早いからと、腹ごしらえにパンを食べています。置物と化しているのに口だけもぐもぐ動かしていてちょっと異様でした。きっとこの姿を見たらピノは笑いが止まらなくなることでしょう。
2階でもピノとポンが腹ごしらえをしていました。
敷物の上にピノがいそいそとお弁当を広げていて、とても楽しそうです。
「お母さんが作ってくれたんだよ」
夜に見張りをすると聞いたピノのお母さんが、わざわざ差し入れを届けてくれたのです。ピノはそのお弁当を、ポンにわけてあげました。
「ピノのお母さんはお料理上手だねえ。とっても美味しいよ」
木の実を甘く煮たものをパンに挟み、ポンは嬉しそうに頬張りました。こうしていると、まるで夜のピクニックのようです。
だけど、明かりは点けず、今はまだ薄暗くなった夕日が入る部屋で静かにしていなければいけません。だんだんと部屋が暗くなり、空気も少しずつ冷たくなるようでした。
「そろそろちゃんと毛布をかぶって隠れよう」
「うん」
ポンがそう言うと、二人は口の周りを拭き、広げていたお弁当を片づけました。
そうして、ピノは機織り機のそばに、その少し後ろの布が積んであるところにポンが座りました。少し離れていますが、暗くても顔が見えるくらいの距離です。
毛布をかぶるとピノは嬉しそうでした。
「ねえねえ、なんか楽しいね」
「そう? 静かにしていなくちゃダメだよ?」
「はあーい」
ピノは夜の工場にいることも、物陰に隠れていることも楽しくてしかたがないようです。あまりにも緊張感がなく、毛布がゴソゴソと擦れる音がひっきりなしにしています。
「もう、お日様は沈んじゃったみたいだね。そこから、窓の外見える?」
「少しね……ピノ、もっと小さい声にならない?」
「あ、そうだね」
そう言ってピノはクスクス笑いました。
「こおら、ピノ! 静かにしろい!」
1階から親方の怒鳴り声が聞こえました。それでピノは思わずケタケタと笑ってしまいました。
「笑いごとじゃねえぞ!」
「はあ~い」
一生懸命口に手をやって笑いを耐えていますが、ピノは怒られてもまだクスクスと笑い声が漏れていました。
少の間、ピノは口をつぐんでいました。そわそわと首を伸ばして、機織り機の陰から向こうの部屋を見たり、反対に窓の方を向いて外を見たりしていました。
それでもすぐに飽きてしまいました。
「ねえねえ、親方ってさあ……」
「ピノ、しぃ~」
「ポンは親方に習ったんでしょ? 厳しかった?」
ポンに“しぃ~”と言われて少しは声を落としましたが、ピノは話し続けていました。
「そりゃ、親方だからね」
ポンも小さな声で答えました。
「やっぱりそうだよねー。僕だったらきっと毎日泣いちゃうよ。だって、なかなか上手くできないしさ。そんな時に叱られたりしたらきっと辛いだろうなあ。ポンはどうだった? ポンも最初の頃は上手くできないこともあった?」
ピノはなるべく小さな声で話しましたが、それでもお喋りをやめることはできないようでした。こんな夜だから、暗くてあんまり顔が見えないからこそ、話したくなるのかもしれません。
「親方は厳しいけど、僕のためだからね。一生懸命やっていればちゃんと認めてくれたし。できるまで根気よく教えてくれたよ」
ポンは苦笑いをしながらも、ちゃんと答えました。
「ねえ、親方の親方はどうだったんだろうね。昔の人は厳しかったって言うし、親方だって泣いちゃったりしたのかなあ。ちょっと想像つかないよね」
「聞こえてるぞ、ピノ! 静かにしないか!」
「きゃはははは」
どんなに小さな声にしても、やっぱり親方には聞こえていました。ピノは楽しそうです。
「ピノ、少し黙っていないと」
「うん」
これ以上喋っていると、親方につまみ出されてしまいそうです。ピノはやっと口を閉じました。
「まったく、ピノは」
と、親方の小さな呟きが暗闇に溶けました。
ピノがやっと静かにしてから、時間はゆっくりと過ぎました。3階にある、親方用の置時計の音がカチコチと聞こえてきます。
しばらく落ち着きなさそうに毛布でモゾモゾ動いていたピノも、まるで寝てしまったかのように静か……いえ、本当に眠っているようでした。静かな寝息が聞こえてきます。
ポンはふふと頬を上げ、そして窓の外を見ました。
今夜は大きな月が出ていて、空を静かに照らしていました。星もたくさん光っています。森の上の空には星の橋がかかっているように見えました。
月は窓の端から見えていたのが、かなり移動してもう窓の中心くらいに見えます。きっともう真夜中でしょう。
ポンも少し眠くなってきました。
親方のいる1階はとても静かです。親方は眠らずに見張っているのでしょうか。ポンが気になって身体を起こし、物陰から出ようとした時でした。
―― ひたひた
とても静かな音ですが、何かがポンの耳に聞こえました。
1階からです。
親方が起きて、様子を見るために歩いているのでしょうか。それにしては、何か空気がシンと落ち着いているような感じがします。
誰かが起きているような空気の震えではなくて、もっとピンと張っているのに、足音のようなひたひたという音だけがするのです。
(あの音、なんだろう)
聞いたことのない音に、ポンは神経を集中するように耳をすませました。
カサ、とポンの毛布が擦れた音が、やけに大きく聞こえました。
首を伸ばして階段を見ると、ほんのりと明かりがともっているように見えます。
ポンはハッとして息をのみました。
親方が明かりを点けるとは思えません。誰かがいるのです。
(来た!)
ポンはドキドキと心臓が高鳴りました。無意識に毛布の端を握りました。そして衣擦れの音がしないようにゆっくりと持ち上げて、顔を隠して目だけを出しました。
親方はどうしているでしょう。あの光りに気づいて、誰が工場に入り込んだのかジッと棚の陰から見ているでしょうか。それとも、まさか眠っていて気づいていないでしょうか。あの親方に限ってそれは考えにくいですが。
1階は仄かに明るいだけです。そしてひたひたという音がやっと聞こえるだけです。本当に誰かがいるのか、もしかすると夢かもしれないとポンは思いました。
「ピノ、ピノ」
ポンはそれが夢であるかもしれないと、少し心配になったので、ピノに声をかけました。
ピノはよく眠っているように見えましたが、ポンが声をかけると垂れていた頭をハッとあげました。
そのまま大きな口を開けて話しだそうとしました。ポンが慌てて口の前に指を立てて「し!」としてみせると、ピノは自分の手で口を押えました。
ポンは声に出さず、目線だけで1階を示しました。
その視線の先を見ると、階段から仄かに明かりが漏れています。ピノはそれに気づくと目を見開きました。それでも、静かにしなければならないことはわかっています。グッと声を出したいのを我慢して、ポンの方を向いて何度も頷きました。
ポンもピノと目を合わせるとゆっくりと頷きました。
そうして、ふたりはそれぞれ毛布をかぶり、物陰に小さくなって待ちました。こんな暗い物陰にジッとしている小人など絶対に気づかれないとは思いますが、それでもふたりはできるかぎり小さくなって待ちました。