炎の蹂躙
「……凪、できたよ」
えらく重装備の鎧を身につけ、晶はため息をもらした。
「どっかきつくないか」
「大丈夫だよ。でも、戦にでも行くの?」
「似たようなもんだ」
凪の答えに不安を感じつつ、晶は魔方陣をくぐる。前と同じ場所に出た。
夜が深まっているため、ピンクの岩も灰色っぽくくすんで背景にまぎれている。日中とはまるで違う、神秘的な眺めだった。
「パーチェに会いたいの? それなら、もっと屋敷の近くにすればよかったのに」
彼女と顔見知りになった今、わざわざ蜥蜴に会うリスクを冒すこともない。
(今日の凪は、やっぱりどこかおかしい)
考えながら、晶は何の気なしに岩に手をついた。
「ひゃっ!」
突然ぬるっとした液体が手に絡みつき、晶は声をあげる。雨にしては粘り気があるし、生臭い。
おそるおそる自分の手を見つめた。暗がりの中でも、血でべったり汚れているのがわかる。
「……っ」
大声をあげそうになるのを、辛うじてこらえる。凪が無言で、水で濡らしたタオルを渡してきた。
手をぬぐいながら、晶は周りを見る。よく見ると、首を切り裂かれた蜥蜴たちの死体があちこちにあった。
(一体、何が)
切断面に、無駄なためらい傷はない。明らかに玄人の犯行だ。先日追いかけ回されたとはいえ、こんな姿を見ると同情心がわいてくる。
前方から、勝ち鬨が聞こえてくる。凪の目がつり上がった。
「晶、岩に登れ。奴らの動向を探るぞ」
晶は手近なくぼみに指を引っかける。体を押し上げ、岩を蹴って走り、飛ぶ。晶たちは足音に気を配りつつ、刻一刻と大きくなる話し声に耳をそばだてた。
「止まれ。伏せてろ」
凪がひやりとするほど冷たい声で言う。晶はそれに従った。
「よし、追い詰めたぞ」
「これで最後か」
「さっさと片付けるぞ。掃除役はもう飽きた」
焦げ茶色の衣服に身を包んだ男たちが、わずかに残った蜥蜴を追い立てている。男たちは少なく見積もっても数十人おり、全員が血にまみれた武器を手にしていた。
それに対して、生き残った蜥蜴はわずかに数匹。黒い大岩に挟まれた狭い場所に追い詰められている。しかし彼らも抵抗する意思をみせ、にらみ合いが続いていた。
「おい、火矢の準備はまだか」
流石にこの状態の蜥蜴に、刃物で切りつけるのは危険だ。男たちは装備の変更に大わらわだった。
「どっちも俺らの味方じゃねえが……あの男たちは気にくわねえな」
凪のつぶやきに、晶も同意する。無駄な殺しを楽しむ奴に、ロクなのはいないと経験的に知ったのだ。
どうにかならないか、と周囲に目を走らせた結果──あることを思いついた。
「凪。あれ、まだ持ってるよね」
晶が言うと、凪の目がきらっと光った。
「なんで知ってる」
「あ、やっぱり持ってたんだ」
「ハッタリかよ!」
「師匠に似たんだね」
無言で拳が飛んできた。晶はそれをよけ、そろそろと立ち位置を変える。
一斉に、火矢が弓につがえられた。蜥蜴の子供が、親の足元で悲鳴をあげる。
「晶、行け」
凪からゴーサインが出た。晶は油の匂いがする包みを開け、内容物を水たまりめがけて放り投げる。わずかな水音は、蜥蜴の鳴き声にまぎれ男たちの耳には入らない。
彼らが異変に気付いたのは、水から次々と破壊音と白煙が上がり始めてからである。
「なんだっ」
「か、雷か!?」
衛兵たち同様、彼らも爆発音に慣れていない。矢を放つのも忘れて、ただ怯えていた。
この衝撃からいち早く立ち直ったのが、蜥蜴たちだった。今までの恨みをこめて、男たちに突進する。
「ぎゃあっ」
「がはっ」
近い者は体格差に押し潰され、離れていた者は棘がたっぷりついた尾になぎ倒される。刺客たちは全員たたきのめされた。
晶たちは岩肌をつたって、地面に降りる。蜥蜴たちは屋敷に向かって、大きな背びれを立てていた。
「あれ……」
屋敷の方が、オレンジに光っている。不吉なものを感じて、晶は凪を呼んだ。
「ちっ、行くぞ! 走った方が速い!」
息を切らして辿り着いた屋敷は、変わり果てていた。赤い炎が一階をなめ尽くし、二階の窓から黒煙が噴き出ている。
晶の足が震えた。白や灰色ではない、本当に真っ黒な煙を見たのは二度目だ。腹の底から、冷たいものがせり上がってくる。
「パーチェ、いるのか!? 返事してくれ!」
凪が何度も呼びかけるが、一向にパーチェは現れない。ついに彼も、腹をくくった。
「……晶」
「今更帰れとは言わないよね」
「ああ。庭から梯子を持ってこい。火元は一階だ、上から入るぞ」
晶は走り出した。明らかに放置された納屋が見える。
「あった!」
幸い、納屋の後ろに大きな梯子が放り出されていた。晶はそれを引きずりながら、凪のところへ戻る。彼は柵の鉄棒を引っこ抜いて、片っ端から木戸や硝子を割っている。
「何してるの!?」
「煙を逃がしてる」
凪が口早に言った。
一つ、煙を外に逃がしてパーチェを発見しやすくするため。
二つ、煙と一緒に発生している可能性がある有毒ガスを飛ばすため。
「三つ目は、ホットフラッシュを防ぐためだ。ドラマでもよくあるだろ? 扉を開けた瞬間に、炎が吹き出してくるやつ」