切り抜けた先にも
こいつらはどれだけ偉そうなことを言っていても、今まで何の成果もあげていないのだ。それなら、パーチェの説も検討してみるべきだろう。なのにこのオッサン共はひたすら「汚らわしい」だの「信じられない」だの、感情論しか言わない。
「……こうなるって分かってたの?」
「ああ。サリーレ博士とパーチェの理論は進みすぎてる。凡人の脳味噌じゃ、理解できない。与太事にインヴェルノ卿が乗って恥をかいた、くらいにしか思われないさ」
脅威に思われなければ、大鉈を振るわれることもない。その理論に納得しつつも、晶は腹が立っていた。
「この人たち、いいトシしてなんでこんなに馬鹿なの」
「怖がってるからさ」
晶がむくれると、凪があっさり答えた。
「怖い? 何が?」
「今までやったことない、知らなかったことに手を出すのがさ。常識に従っていれば、怪我することも火傷することもない。上手くいかなくても、自分の生活がつつがなく過ぎればそれで満足だ──下手な年の取り方をしたオッサンによくある思考だよ」
「……僕、こっちの世界に生まれてよかった。データがあれば、みんなが納得してくれるもの」
晶が言うと、凪が苦み走った表情になった。
「そうとも限らん。こっちでも、オッサンたちを笑えないことが時々起こる」
「似非科学とか?」
確かに、「ありがとう」で水の結晶が変わるだの、水素水が体にいいだの眉唾ものの話はいくらでも出回っていた。凪はよく、そういう特集に悪態をついている。
「ああ、それは完全にアホの所行だから無視しろ。悲しいのは、専門家同士のあげつらいだ」
晶は自分の耳を疑った。自分が目指す研究者という立場の人々は、何よりもデータと検証を重んじると信じていたからだ。
「それは昔のこと?」
「最近でもゴロゴロあるわ。有名なので言えば、ピロリ菌の発見あたりか」
凪の話が聞きたかったので、晶は動画を止める。
「ピロリ菌は知ってるよな」
「うん。胃がんの原因になる菌だよね? こんな形の」
晶はメモ用紙に、ペンを走らせた。ソーセージに三本の毛が生えたような形が、ピロリ菌の特徴だ。
「そうだ。今や除菌のための薬剤セットまで売ってるくらいメジャーな存在だが、発見当初は散々馬鹿にされた」
「なんで」
「胃の中ってのは強酸性なんだ。そこで生きていられる菌なんているはずがない、という主張が多数派だったからな。胃がんの原因はストレスだとされていたし」
「だからって……」
「発表者がお偉いさんじゃなかったこともあって、批判の声はだいぶ経っても消えなかった。そこで、彼は行動を起こす」
凪は目を伏せた。
「発表者は実際にその菌を飲んで、自分の説が正しいと証明しなければならなかった。──笑えるだろ、これは中世でもなんでもなく、たった四十年前の話だぞ」
晶はその近さに、息をのむ。
「人間ってのは、残念ながらあんまり進歩しない生き物だな。何十年学んでも、新しいものには馴染まない。どこか外から来た人間がいて、初めて風穴があくのかもしれん」
凪はだるそうにソファに転がりながら続ける。
「そう考えると、黒猫が再び地図を作った気持ちも分かるな。俺たちに世界を変えてほしいわけじゃない、新たな芽を見つけて欲しかった」
良い物がすぐに脚光を浴び、表舞台に立てるわけではない。その芽を逆風から守り、徐々に賛同者を増やしていける息の長い支援が必要なのだ。
「英雄じゃなくて、その守護者が欲しい──か。分かる気がする」
「さて、これで王の興味も尽きたはず。さし当たっての問題は、パーチェがどうなるかだ」
晶はうなずいて、地図に見入った。
「……よく分かった。皆、そこまでだ」
王が制止をかける。その顔には意外なことに、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「言いたいことは多々あろうが、彼女は全てを公開した。私は、許そうと思う」
「しかし、陛下っ」
「何も今すぐ、オーロに与えようと言っているわけではない。研究の不完全さは、彼女自身が認めている。今後の展開に期待したい」
寛大な言葉をかけられて、パーチェの頬にわずかに赤みがさす。インヴェルノ卿は、相変わらず拳を握っていたが。
「パーチェよ。もう少し、精進を重ねてから来るのだな」
「は、はい。ありがとうございます」
パーチェが慌てて頭を下げる。王との謁見は、ここで終わった。彼女と卿が王宮を出るのを見届けて、晶の胸に安堵が広がる。しかしその思いの中に、ほんの少しだけ割り切れないものが混じっていた。そのわずかな引っかかりが、晶を苦しめる。
(なんだろう……)
一から作戦を練り直さなければならないからだろうか? いや、それは違う気がする。感情をうまく言葉にできなくて、晶は宙をにらむ。すると、凪が不意につぶやいた。
「……明日、予定あるか?」
「ないよ」
そう答えた晶に対し、凪は険しい顔で言った。
「じゃあ、ここに泊まれ。一緒に、異世界に行くぞ」
晶は身を震わせた。何かが起ころうとしている。それだけは確かだった。