始まった大勝負
「おお、お嬢さんをびっくりさせてしまったな。お詫びにもう数年したら食事でも──」
「旦那様、この前もそれで痛い目にあったはずですよ」
ラクリマに釘をさされて、インヴェルノ卿が顔をしかめた。
「つくづく欲望に正直な男だな、あんた」
「そうかもしれん。こんなことを言うのもなんだが、儂は楽して美味いものを食うときが一番幸せだ、と思う。そこに金品と、美女がつけば言うことはない」
インヴェルノ卿は、飾り棚を開けた。そこには、ずらりと酒瓶が並んでいる。
「あいつがいくら吠えたところで、人は一旦覚えた快楽を忘れられはせん。悪も毒も、この世にあるのが当然。肝心なのは、それとどう付き合っていくかということだ」
インヴェルノ卿は宙をにらむ。そこにいない王の姿を見ているのだろう。
「戦を起こすつもりですか?」
晶はどうしても気になって、卿に聞いてみた。すると彼は、あっさり首を横に振る。
「いや?」
「え、そうなんですか。てっきり、王になりたいのかと」
「誰がやりたいもんか、あんな面倒な仕事。儂は今のままの地位で、楽しく元気に富を積み上げたい」
あまりにも正直すぎる物言いに、凪が肩をすくめた。
「流石にゴルディアがやってきたら戦うがな」
インヴェルノ卿は口をへの字に曲げた。
「戦になれば、税制も港の様子も変わる。せっかく慎重に抜け穴を見つけたのに、全てやり直しだ」
「徹底してんな、おっさん」
とりあえず、早急にことが起こることはなさそうだ。顔見知り同士が戦争する羽目にならなければ、晶はそれでいい。
「では、早速奴にかまをかけてみる。少し待ってくれ」
晶たちはうなずき、話がまとまった。
「それでは皆様、本日はゆっくりお休みください」
ラクリマに案内されて、晶は豪華な寝台付きの部屋に入った。体が柔らかい布を感知した次の瞬間には、晶は眠りに落ちていた。
☆☆☆
何故今は長期休みではないのか。晶は学校制度を恨んだ。現実世界のカレンダーが月曜になったため、帰還せざるをえなくなったのである。
後ろ髪を引かれる思いで帰国し、晶は勉学に戻った。
クラスでは、文化祭の準備が始まっている。晶のクラスは怠け者が多く、屋台や劇の類いは早々に却下となった。結局、教室を暗くしてお化け屋敷っぽくすればよかろうとまとまったところまでは覚えている。
今回は、本番で使うセットや衣装の打ち合わせだ。しかし、教室の中には気怠い空気が漂っている。
「めんどくさいなあ。黒いカーテンとライトがあれば、セットいらなくね?」
「衣装もレンタルしようよ。どうせ誰も見てないし」
やる気のない発言の連発だ。学年中から面倒くさがりを集めたような集団だから、仕方無いが。しかしこの一致団結などありえないゆるさは、バイトに精を出す晶にとって助けだった。
「着ぐるみ借りる?」
「やだよ、あれ暑いし前見えねえし」
「でも、一応目玉がないと」
「女子がメイクすれば済むじゃん」
「できる奴がいると思う?」
「あ、プロジェクター置いてホラー映画流せばいいじゃん」
「それだ」
「……お前ら、少しは真面目に考えろ」
流石にそれは、担任から待ったがかかった。まただらだらとした話し合いが始まり、晶は眠気をおぼえる。
ホームルームが終わると、晶は教科書を鞄に詰め込む。早く地図の中へ入りたくてたまらなかった。
しかしそんな時に限って、担任教師が晶を呼び止める。
「火神。またバイトか」
「はい、テスト前は入れないので今のうちに」
この学校では、バイトは絶対禁止でなく許可制である。無論何でもいいわけではない。生徒の素行から、つく職種まで全て問題ないと初めてゴーサインが出るのだ。晶は両親がいないし、教師に反抗したこともないのでさして障害はなかったが。
「そうか。奨学金のパンフレット、また新しいのが入ったから取りに来なさい」
「ありがとうございます」
晶は話の途中から、じりじり後ろに下がる。それを見た担任は、ため息をついた。
「……大変なのは分かるが、少しは付き合いもしろよ。金のことなら、みんなで相談に乗るから」
「は、はい」
「社会人になると、なかなか難しいぞ。友達と会うのも」
少々、晶の胸がうずいた。遊びの誘いを何度か断ったのは事実だ。家庭の事情を知っているクラスメイトはすぐに引き下がってくれる。──しかし、本当にそれで後悔しないだろうか。
この事件が終わったら、久しぶりに遊びに行こう。晶はそう決めた。
冷たくなってきた風を顔にうけながら、自転車をこぐ。店の扉を開けたが、凪はいなかった。かわりにカタリナが本棚を物色している。
「凪は?」
「今日はずっと二階じゃな」
「そう。あ、その隣の本がおすすめだよ」
カタリナに声をかけて、晶は二階へ向かう。そこで、凪がじっと地図に見入っていた。彼には珍しく、真剣な表情である。
「今、王との謁見?」
「ああ。お前も見てろ」
晶は凪の横に座った。タイルの間に、インヴェルノ卿とパーチェが跪いている。王は漆黒の椅子に腰掛けたまま、彼を見下ろしていた。
王の周りには、しかめつらしい顔をした男たちがひしめいている。パーチェは無遠慮に見つめられ、とても居心地が悪そうだ。
「インヴェルノ卿。そしてサリーレ博士の息女、パーチェ。顔を上げよ」
「はっ」