慧眼の正体
「……変な奴」
「なんで」
「パパのことを言うと、『大変だね』って口先だけで心配されたり、『そんなことじゃダメだ』って叱られたりするから」
「僕はしない。父さんが死んだとき、同じ目にあったからね」
晶が言うと、パーチェは瞳を大きくした。
「殺されたの?」
「ううん、病気。朝起きたら寝床でいきなり死んでるから、こっちの方がびっくりした」
自虐的なことが言えるのも、同じ境遇だからこそだ。
「……どうやって立ち直ったの?」
「立ち直れたかすら、今は分からない」
時々夢にも見るし、後悔することもある。完全に以前の精神に戻ることを「立ち直った」というなら、そんな日は永遠に来ないかもしれない。
「でも、きっと時間が解決するよ。それまではやり過ごすしかない」
波がおさまるまでは、ただ港でじっとしていればいい。無理に元気を出して出航しようとしても、ろくな結果にならないだろう。
「そうね」
パーチェはうなずき、ノートを閉じた。
「また、やり直してみるわ。パパの研究だもの、完全に間違ってはいないはず」
「そうだね。研究者が生きてる限り、終わりじゃないよ。頭の中のものまでは、誰のも奪えない」
それを聞いた彼女は立ち上がり、ついでのように口を開く。
「ああ、今晩は泊まっていってちょうだい。どこも埃だらけだけど、適当に使って」
その後に、小さく「ありがと」と聞こえた気がしたが、確証はもてなかった。
☆☆☆
晶はパーチェの言葉に甘えて、台所へやってきた。大根や蕪、アスパラに似た野菜が山と積まれているが、調味料の類いはない。素材のまま食べるのはきついな、と晶は思った。
「あ、そうだ。塩」
テンゲルに行った時に、少しもらったはずだ。晶は自室に引き返し、荷物をひっくり返す。
「……どうでもいいものしかないなあ」
くしゃくしゃのレシートやポイントカードが上着から出てきた。この前もらったライトを横に置き、紙類を全て細かく刻んで、クズ入れに放り込む。
「あ」
その途中で急に思い出した。凪に聞いてみればいい。彼は岩塩の産地テンゲルによく行っているから、塩を持っている可能性があった。
戻ってみると、凪は客間のひとつを占領していた。彼は埃が舞うのも気にせず、サリーレ博士のノートを読んでいる。
「凪、凪」
何度か声をかけても、反応がない。体を揺すって、ようやく視線が合った。
「凪、岩塩持ってない?」
「どこかにはある」
この人に、それ以上の答えを期待してはいけない。晶は、凪の荷物をかき回し始めた。
「晶。サリーレ博士だがな」
捜査を続ける晶の背中に、凪の声が降ってきた。
「うん。聞いてるよ」
「色物なんてとんでもない、彼は天才だ。独学だけで、他の医師の遥か先まで進んでる。これなら、今の段階でインヴェルノ卿に出資してもらった方がいい」
凪が、ここまで手放しで人を褒めるのは珍しい。晶は思わず顔を上げた。
「そんなに?」
「同時代の医者がひどすぎるってのもあるがな。内臓の役割を把握しようって奴が、ほとんどいないんだよ」
流石に、心臓が止まったら死ぬとか胃には食物が入る、くらいのことは周知の事実だ。しかし、神経や内分泌に関する知識はほぼないと凪は言う。
「内分泌?」
「ホルモンの話は覚えてるな」
「うん」
「そういう生命維持に欠かせない物質を作っている仕組みをまとめて、内分泌っていう。これが原因の疾患は多い。オーロや貴族たちの糖尿病もそうだ」
晶たちの世界ならすぐわかる。しかし、こちらの世界では誰も知らない。
「その中で臓器に目をつけただけでも偉いよ、サリーレ博士は」
「でも、博士は亡くなったって。それに、研究も途中だって」
晶は、パーチェから聞いたことをかいつまんで話した。
「ああ、そりゃしょうがないな。膵臓だったんだろう、彼が目をつけた臓器は」
「膵臓……」
「外分泌と内分泌、両方の作用を持った珍しい臓器だ」
そう前置いてから、凪は話し出した。
「膵臓は胃の後ろ側にある。横に長い、全長二十センチほどの臓器だ。膵臓の役割は、大きく二つある。食物の消化液を出す外分泌作用と、ホルモンの産生を行う内分泌作用だ」
「取り出せなかったのは、消化のせいだってパーチェが言ってた」
晶が聞くと、凪はうなずいた。
「そうだ。下手をうつと、自分で自分を消化してしまうからな。抽出どころじゃない」
「へえ……じゃ、現実世界ではどうやって取り出したの?」
「事前に仕込みをしたんだよ」
一九二○年代になると、膵臓に外分泌能があることはすでに周知の事実だった。よって、未知の成分を取り出すためにある処置が生み出される。
「外分泌管──消化液が出てくる管を縛っただけだがな」
「それでどうにかなるの?」
「生体ってのは合理的にできててな。使わなくなったものは、やがて退化し他の部位に吸収されるようになってる。そうやって邪魔な外分泌細胞をなくしてから、抽出したんだ」
正解を聞いてしまえば、子供でも分かる理屈である。しかし膵臓に注目が集まってからここまでに数十年かかったのだと凪は言った。
「だがサリーレ博士は勘が良さそうだ。あの子供がそれを受け継いでいるなら、実験を重ねれば気付くだろう。でも、タダではできない」
「……スポンサーがつくなら、早い方がいいってこと?」
「ああ」
凪は長いため息をついた。
「面会の場は俺が整える。そこに参加するよう、お前からあの女に言ってみろ。俺は嫌われたみたいだからな」
「みたい、いじゃなくて嫌いなんだと思うよ」
晶がつぶやく。途中で凪の厳しい視線に気付き、あわてて手を振った。