賢者は山奥に住まう
「そのような目に遭わされて、戻ってきたいと思う者もおるまい」
「ま、生きてただけ運がいいぞ。俺は監視を振り切ろうとして殺された奴が結構いた説に賭けるな」
凪が言う。レオが肩をすくめて、オットーに寄っていった。
「とにかくこれが、現王とインヴェルノ卿のいざこざよ。分かった?」
「いや、助かった。私たちだけでは、とてもそこまでは無理だっただろう」
「……でも、今の話をまとめると……王とインヴェルノ卿を両方満足させるのは、無理じゃないでしょうか」
オーロの病気を治せば王は喜ぶが、彼の政治は続いていく。失脚を狙っていたインヴェルノ卿は面白いはずがない。
「そうでもないわよ。言ったでしょ? インヴェルノ卿は現実的だって。そういう手合いは、一番欲しかった結果が得られれば、過程にはそうこだわらないの」
インヴェルノ卿の望む結果。晶は想像してみた。
(王になりたい……というより、酒が禁じられていたことを怒っていたな)
彼にとって何よりも大事なのは、自分に不都合な政策が無効になること……それとオーロが回復することを結びつけると。
「オーロの治療を、インヴェルノ卿に任せればいいのか」
オーロの疾患は、Ⅰ型糖尿病。臓器が壊れてしまっているので、一生治療が必要だ。治療はするが、その方法はインヴェルノ卿にしか教えない。それを盾にとって、現王を揺さぶれば良い。
「簡単に言うがな。やるとなるとそうじゃねえぞ。王とインヴェルノ卿、両方を納得させるだけの確実な治療法を見つける必要がある」
凪に言われて、晶はうなずいた。それを見つけるために、骨折る覚悟はできている。
「まとまったかしら。ここまでのお代は血でいただくわ。領主殿、こっちへいらっしゃい」
「あ、兄上の代わりに僕が」
「孝行な弟ね。私はどっちでも良くてよ」
「……クロエさん。僕の血を吸ってもいいから、もう一つ調べて欲しいことがあります」
「あら、何かしら」
「追放された学者に、会うことはできますか?」
晶が聞くと、凪の目がきらっと光った。
「探せば何人かは見つかると思うけど。条件はある?」
「できるだけ、顔が広い人がいい。他の人の行方や研究内容を把握していれば最善です」
晶がせがむと、クロエは興ざめした顔でこちらを見つめる。
「学者って基本、変人が多いからねえ……あんまり期待しないでよ」
「よろしくお願いします」
「ということで、お題は先払いよ」
「やっぱりそうなりますね、ギャー!!」
抵抗しても、クロエに噛みつかれてしまう。段々晶の目の前が暗くなり、そして完全に落ちた。
☆☆☆
クロエの調べがつくまで、晶と凪はレオの屋敷に滞在することになった。べったりと張り付くレオにも困ったが、問題はそれだけではない。
晶にまで使用人がつき、何くれと世話をやいてくれるのだ。
「体をお拭きしましょう」
「靴下をお持ちしました」
「その奇妙な服より、こちらがお似合いですよ」
「髪を整えますので、もう少し首をこっちに」
無論自分でやる、と言った。しかし、そう言うと使用人たちは決まって泣き出しそうな顔になる。
「お世話の仕方が稚拙でしたでしょうか」
「仕事ができなければ、暇を出されてしまいます」
「どうかお申し付けください。うちは子供が五人いるんです」
そこまで言われてしまうと、断りにくくなる。結局、学校へ戻る時ですら彼らの見立てた貴族風の服で出かける羽目になった。魔方陣を晶の自宅に張っているから、知り合いに目撃される心配がないのだけが救いだ。
「ダメだ。こんな生活してたら、自分じゃ何もできなくなる」
晶は部屋で、凪とやってきた黒猫に向かって愚痴った。
「贅沢な悩みだね、若者よ」
「黒猫が手伝ってくれたら、早く片付くんだけど」
「にゃんにゃん」
黒猫はやる気がない。本能のまま、窓から入ってきた生物を追い回していた。追われた小さな塊が、晶の肩に乗る。
「な、なんなのこの猫。どこから入ってきたの」
コウモリが、黒猫に向かって毒づく。
「クロエさん、お帰りなさい。何か分かったんですか」
「……あまり期待しないでって言ったでしょ? やっぱり、学者たちはお互いに関心なかったわよ。衛兵の監視をくぐり抜けてまで交流しようって猛者はいなかったわ」
クロエはここで飛び、晶の頭上にとまった。
「ただ、学者たちが口をそろえて言ったことがあるの。『サリーレはどうしてる?』って」
「誰なの、それ」
「変人中の変人、でも有能でみんな知ってたらしいわ。誰もやらない研究ばかりしてたみたいだから、目的にはかないそうだけど」
その人に会ってみたい。治療の糸口がつかめるかもしれない、と晶は思った。
「……そいつの消息は?」
同じ事を考えたらしい凪が聞く。
「三年前から行方不明よ」
「なんだ、手がかりなしか」
「話は最後まで聞きなさい」
クロエがぴしゃりと言った。
「最近、エテルノ東部の山中に奇妙な研究者が住み着いたらしいわ。誰にも会わないらしいから、こちらから出向くしかないけど──どうする?」
晶の心は、一も二もなく決まっていた。
☆☆☆
次の日がちょうど土曜にあたったため、晶と凪は登山に全てを賭けることにした。オットーに言って必要な物資を調え、地図から直接山に立つ。山頂付近に古びた館が建っているのが見えた。
「重いなあ、この袋」
「仕方無いよ。オットーさんたちは、本当に一から登ると思ってるんだから」
自分の荷物と、もらった物資で二重に膨らんだ袋を背負いながら晶はため息をつく。
「……つくづく、ずるい手だねえ」
「気にするな。国民的RPGの移動魔法より良心的だ」
館の前に直接降り立ってもよかったが、魔方陣に食いつかれても面倒だ。晶たちは数百メートル下から、歩いていくことにする。
晶は周りの赤と白が混じった岩に触ってみる。手に細かい破片が、たくさんくっついた。
「あんまり触るなよ。その岩、もろいぞ」
凪が顔をしかめる。
「それでこんな変わった形なのかな」
岩の先端は、まるで塔のように尖っている。その間に緑の木が生えているから、クリスマスのような色合いだ。
「アメリカみたいだな」
「そうなの?」
「柔らかい岩が風雨で削られると、こういう形になるんだ」
「ふーん」
「大学受かったら、海外一回は行っとけよ。就職しちまったら、長期は無理だから」
それもいいかも、と晶は思った。
「向こうには、モンスターもいないしね……」
晶は声をひそめて行った。目の前で、巨大な蜥蜴が昼寝しているのを見つけたのだ。
蜥蜴たちは薄桃色の体をしている。色だけならかわいいが、体を覆う頑丈そうな鱗は戦闘用そのものだ。全長は四~五メートル。本気を出されたら、人間に勝ち目はない。
「ちっ、昨日より上にいやがる。餌場を変えたな」
下調べの際はもっと麓にいたはずなのだが、いつの間にか移動している。ただ、全個体が眠っているため、静かに進めば抜けられそうだ。
「どうする?」
「わざわざ危険を犯すことはねえ、陣に戻って屋敷の前に出直すぞ」
「ぴ」
そうはさせない、と言いたげなさえずりが聞こえてきた。晶と凪は、目を見合わせる。