驕る王家も久しからず
ファンゴは隠そうとしていたが、各国の情報網はそう甘くないようだ。
今の王太子が死ねば、子供は女児ばかり。外部から婿か養子を迎えなければならないが、インヴェルノ卿が嫌がらせをすれば縁組みの阻止くらい容易だとクロエは言う。
「国内で非難の声が大きくなったら、その時出て行けばいいのよ」
つくづく、政治の世界は闇だ。セータはその中でやっていけるのだろうか。
「意地の悪い奴だな、インヴェルノ卿は」
兄がいて気楽な立場のレオは、素直に怒っている。
「……この件に関してはそうも言えないのよ。インヴェルノ卿の息子も数年前に病気になったんだけど、その時に王はもっとえげつないことをやってるわ」
「セータもそう言ってましたけど……」
「あら、何よ。インヴェルノ卿の息子を知ってるの?」
「ちょっとだけ、遊びに付き合ったことが」
隣のレオから向けられる視線が痛い。
「じゃ、分かると思うけど。今のあの子は、健康そのものよ。でも数年前は、起き上がれないくらい体調が悪かったの。親族総出で大騒ぎよ」
「跡取りの男子であれば、そうでしょうね」
オットーが厳しい顔で言った。
「その時、現国王は……大胆な手に出たの。学者たちを解放したのよ」
「解放?」
晶が首をかしげると、クロエはさらに続けた。
「建前はこうよ。今まで国内に縛られていた有能な学者たちに、広く学ぶ機会を与えたい。そのため、諸国を巡回できる制度を作ろう」
当初は、どこからも反論が出なかった。この世界、旅というのはえらく手間がかかるものなのだ。
何個も関所を抜けるため、様々な許可証を携えていかなければならない。馬車は高価なため、ほとんどの者は徒歩だが、動きの遅い彼らは夜盗のいいカモであった。
それがエテルノでは、「全ての関所で共通して使える許可証の発行」「宿や護衛兵の手配」など、破格ともいえる支援がつくことになったのだ。初めは学者をかたって申請する者が続出したというのも、うなずける。
「しかし、その流れは長くは続かなかった。有能な学者や医者がほぼ強制的に送り出され、しかも誰も帰ってこないことに、皆が気付き始めたから」
実に丸々二年。制度を利用した学者たちは、故郷の地を踏むことはできなかった。おざなりな手紙だけが家族の元に届くも、詳しい生活は全くわからない。学者たちの家族は、日に日に不満を募らせていった。
そしてそれ以上に困ったのは、病人たちであった。
「国内が絶対的な医者不足になった影響は大きかったわ。ゴルディアの密偵たちも、エテルノ王の真意を本気になって探り始めた」
その結果、王の真意は「解放」ではないと誰もが気付いた。
「学者──特に医者の、『国外追放』。王が目指したのは、それだったのよ」
証拠はあった。出国した医者にだけべったりと衛兵がはりつき、どこへ行くにも決して離れない。これは明らかにやり過ぎだった。
「そこまで見れば、馬鹿にもわかるわな」
凪が茶々を入れる。クロエは彼をひとにらみした。
「王の目的はひとつ。政敵の息子が死ぬまで、手当を受けさせないこと。それだけだな」
巻き込まれた人はどうなる、と言いかけて晶はやめた。この時代、国民などいくらでも湧いてくると思っている君主の方が多いのだ。
「それにしても、国内の貴族はどうしたの? 流石に彼らに反対されたらまずいでしょ」
「そこは王も分かってた。ちゃんと特例があったのよ」
貴族は必ず、お抱えの医者を持っている。彼らに限り、申し出て許可がおりれば国内への残留が許された。
「『許可がおりれば』ってのが重要だな。その決定権を握ってるのは、王だろ」
「ええ。インヴェルノ卿お抱えの医者だけが、何故かバンバン申請を却下されたわ。後に残ったのは、本当に使い走りの若いのだけ。あの時は卿も、本気で謀反を考えたでしょうね」
しかし嫡男が病に倒れ、先が見えている家に加勢する者などない。インヴェルノ卿は孤立し、養子も来ずこれまでか──と思った時、奇跡が起こった。
「卿の息子、セータが突然回復したの」
ほとんど食事もとらず引きこもっていた彼が、堂々と公式行事に姿を見せるようになった。そしてとうとう、これはどうやっても死にそうにないなと皆が思い始めた時。王とインヴェルノ卿の立場が、ついに逆転した。
「今度は王の息子オーロが、同じ病に倒れたの」
その時のファンゴ王の心境は、一体どんなものだっただろう。放ったはずの呪いはいつしか方向を変え、自分のすぐ側まで戻ってきていたのだ。
「王はインヴェルノ卿から治療法を聞き出そうとしたが、彼はそれをはねつけた。当然よね」
いくら何でも虫が良すぎる。晶でも同じ立場だったら、卿にならっただろう。
「貴族たちも怯え始めた。インヴェルノ卿に奇跡が起こったということは、彼に荷担しなかった自分たちには罰が来るかもしれないと考え始めたの」
結局、ファンゴ王は人生で初めての敗北を体験することになった。国外追放した学者たちを、呼び戻さざるを得なくなったのだ。
「戻ってきた人数は、出たときより大分減ってたけどね」
クロエが言うと、オットーが眉間に皺を寄せた。