わずかな希望
「できぬだろう、できるわけがない。自分の学費すら用意できない小僧だからな。それで救世主気取りなど、おこがましいわ」
カタリナの目尻がつり上がった。
「所詮お主がオーロにこだわるのは、自分が関わって情が移ったからというだけよ。善人面して、やっていることはただの依怙贔屓ではないか」
晶はその言葉に対して、何一つ言い返せなかった。
「ああ、後から言われても困るので伝えておくがの。『インスリン』の概念を、こちらから教えて回るというのも理に反するぞ。これに関しては、黒猫も異論はあるまい」
「どうして? それをきっかけに、新しいものが生まれるかもしれないじゃない」
晶がようやく言うと、カタリナが鼻で笑った。
「晶よ、人間の本性を教えてやろうか。『楽できるなら、いつまでもどこまでもサボりたい』じゃ。わざわざ便利なものを教えてくれる連中がいるというのに、汗を流そうという奴などおらん」
カタリナはさらにたたみかける。
「まあ、お主が便利だとわかれば戦くらいは起こすかもしれんがな。そうなれば今度は、そのために大量に人が死ぬ。それでもいいなら、やれ」
この時、晶は父と交わした会話を思い出していた。
父の会社は慈善事業として、アフリカへの技術提供をしていた。しかしそれがうまくいかないと、落ち込んでいたのだ。
『トラブルって何? 材料が届かないの?』
『いや、機械自体は無事に完成したんだよ』
『なんだ。だったら、成功じゃないの』
そう言った晶に向かって、父は寂しそうに笑ってみせた。
『いや……かえって良くなかった。ひとつの村にだけ機械があるのを羨まれて、逆に略奪にあってしまったんだよ』
『え』
『晶、よく覚えておきなさい。与えるなら、最後まで責任を持つこと。放り投げて去ってしまっては、結局何も残りはしない』
父の言葉の意味が、今になってようやく分かった。
カタリナは、固まった晶をよそに姿を消す。晶は壁にもたれかかり、ため息をつく。
「もう帰れ」
凪が声をかけてくれたが、このまま壁に落ち込んで消えてしまいたかった。
☆☆☆
結局自分には、何もできなかった。
晶は気力をなくして、休日だというのにぼんやりとベッドの上でまどろんでいた。
(助けてあげられると思って、勝手に行動した結果がこれだよ)
自己嫌悪で頭がいっぱいだった。最低限のけじめとして、セータには真実を告げなくてはならない。そして結果的に騙すことになってしまった王妃にも、償いをしたかった。
(……できるわけ、ないのに)
自分はあの世界で、何の地位もない。凪ほどあちこちに行ってもいないし、コネもなかった。あくまで、ただの高校生なのだ──
(ん?)
晶の胸に、何かひっかかるものがあった。
「あるじゃないか、コネ」
オットーとレオの兄弟、それにクロエ。彼らの力を借りれば、うまい手が見つかるかもしれない。
晶は自転車を飛ばし、店まで駆けつけた。合い鍵で中に入ると、着替え途中の凪と鉢合わせする。
「なんだ休みの日に。金なら貸さないぞ」
一文も出さないぞ、と身構える凪に、晶は詰め寄った。
「金はいい。体を貸して」
「お前……どこでそんな言葉を……」
「労働力って意味だよ。異世界まで、一緒に来て」
凪は渋っていたが、とうとう折れた。そしてすでに見慣れた、ゴルディアの大門前に立つ。
「お前なあ。現代服のまま来るなよ」
「あ」
急ぎすぎて、そこまで気が回らなかった。仕方がないので、装飾品だけ外して凪に預ける。またカタリナに嫌味を言われるに違いない。
そんな憂鬱な思いも、街に入ると吹き飛んだ。市場は、アルトワ統治の時より活気に溢れていた。このところ暗いニュースばかり聞いていた晶は、ようやく気持ちが明るくなる。
「オットーさんの統治、うまくいってるみたいだね」
「ああ。もうすぐ祭があるそうだ。昨年とは違って、盛大なものになるぞ」
商人たちの景気の良い声を聞きながら、晶たちは中央広場までやってきた。するとそこに、明らかに金がかかった馬車がとまっている。車体にはしっかりと、獅子の紋が刻まれていた。
「あれって、まさか……」
晶が凪の袖を引っ張ると同時に、馬車の扉が開く。そして中から、金色の塊が飛び出してきた。
「アキラ!」
「レオ様!」
塊に見えたのは、金髪の少年が金細工の鎧を着ているからだ。しかし、そのセンスを指摘するほど晶は無粋ではない。
「待ち合わせは屋敷のはずだぞ? まさか、わざとここで待ってたのか」
「そうだ。会うなら早いほうがいいからな」
若い貴族の登場に、民衆が一斉に食いついた。その連れである晶にも、容赦ない視線が降り注ぐ。立つ瀬が無くて身をよじっていると、レオが笑った。
「相変わらず、目立つのが嫌いだな」
「……意地悪ですね」
「当たり前ではないか」
しごくあっさりレオが言った。
「なんで」
「来いとあれだけ言ったのに、無視し続けた仕返しだ」
「ご用もなく、お邪魔する身分でもありませんので」
「ほーお。言うか。そういうこと言っちゃうか」
レオは半目になって晶をにらんだ。
「じゃあ、召し抱える」
「権力の乱用です」
「……おい、オットー、弟が勝手にうちの従業員を盗ろうとするんだが」
「すまないね、躾が悪くて」
凪がようやく止めに入った。嫌味を言われて、ようやく兄が馬車から降りてくる。
若くて華やかな領主の出現で、広場が大騒ぎになった。娘たちだけでなく、おじさんやおじいさんたちまで一目見ようと身を乗り出す。
「話には向かない雰囲気だね。乗ってくれ、屋敷へ行こう」