病の正体
「だから最初のカードを思うようにしつこく言ったんだよ。人間、一つのことに集中すると他がおろそかになるからな」
幸いあのカードは白黒で、微妙な色の違いも出にくかった。それが幸いしたのだろう。
「よく分かった。勉強になったよ」
「練習して、女の子を口説く時に使え。ただし乱発すると、効かなくなるぞ」
「凪が力石さんに借金させてもらえなくなってるのと同じだよね」
晶がそう言うと、雇い主は無言で顔をそむけた。
☆☆☆
「うう……気が重い」
大した重量ではないはずなのに、背中のリュックが妙に重く感じる。そこには、王太子の血液が入っているのだ。しっかり保冷バッグに入れたのを確認しても、緊張は緩まない。
(今、警官に会いたくない……)
挙動不審なところを見つかったらアウトだ。交番に連行されるイメージと戦いつつ、晶はなんとか目的地に到着する。
「うわあ……」
大学と聞いていたから、無機質なコンクリートの建物を想像していた。しかし目の前にあるのは、緑の芝に囲まれた純白の校舎だ。S字を描いたようで、造りもおしゃれである。
これから実験なのか、白衣姿の女性たちがかしましく喋りながら建物に入っていく。晶は彼女たちについていった。
玄関ロビーにも煌々(こうこう)と明りがつき、立派なカーペットがしいてある。もちろん、エレベーター・エスカレーター完備。
ここが特別なのか、それとも大学全てがこうなのか。区別のつかない晶は、しきりに目をしばたいた。
「えーと、製剤……三階か」
似たような名前の研究室が多いのに戸惑いつつ、晶はエレベーターに乗った。
三階は、大きな窓がある廊下からたっぷりの日光が降り注いでいる。備え付けの机の上で、皆レポートを書いたりネットをしたりして気ままに過ごしていた。
晶はそれを横目に、該当教室の横引きドアを開ける。
「失礼します。お約束していた火神ですが、萩井千秋助教授はいらっしゃいますか」
雑談をしていた学生たちが、一斉にこちらを向いた。
「お客さん?」
「あら可愛い」
「こないだの凪さんといい、助教授って美形の知り合い多いですよねー。なんでだろ」
学生たちが囁きあうのを聞きながら、晶は部屋の中へ進んだ。
円陣の中央に、でっぷり太った女性が腰を下ろしている。卓上のフラスコを握っている指まで丸かった。
「来たね。じゃあ、こっちで話をしよう」
彼女が立ち上がると、背後でフラッシュが光った。晶はとっさに目を閉じる。
再度瞼を持ち上げると、全身黒ずくめの痩せた男が、満足そうにデジタルカメラをのぞいている。
「ご協力ありがとう。お礼にこれをあげよう」
男は口腔消臭菓子のケースのようなブツをくれた。
「この人は……?」
「助手の池亀だ。狂信的なカメラ好きでね。一種の病気だから止めようがない」
「分かりました……」
ここ、変な人しかいないのかしら。晶はそう思ったが、凪の知り合いなのだから仕方無いと気付いた。
研究室のすぐ横に、教授のための個室がある。六畳ほどの部屋の壁面は、全て本棚で埋まっていた。
椅子に座ってから、萩井が口を開く。
「で、分析してほしい試料ってのは?」
晶はバッグを萩井に渡した。さっそく中を改めた彼女が、つまらなそうに鼻を鳴らす。
「普通の血液か。あの男が頼んできたにしては、面白みがないね」
おかしな期待をされていたらしい。
「血液検査をしてほしいだけなんです。ただ、依頼主が特殊な立場の方で……」
萩井の目が光った。しかし彼女はすぐに、その好奇心を引っ込める。
「ま、若いのを虐めるのはやめとこう。古狸に、覚悟しとけって伝えて」
「はあ……」
凪、頑張れ。
「どれくらいかかります?」
「うちじゃわかんないねえ」
「そうなんですか?」
「ここは薬剤設計がメインだから、分析は生化学の研究室に頼まなきゃ」
生化学分野の部屋なら、自動分析器があるのでできるのだという。
「すみません、お手間をかけて」
「そうでもないよ? あそこのジジイには弱みがあるからね」
萩井はにやつきながら、指でカメラの形をつくった。何故彼女が池亀を助手にしているか、その全てが飲み込める。晶は彼の方を向いて言った。
「さっきのは盗聴器ですか?」
「人聞きの悪いことを言うな。暗いところでも相手の顔がよく見えるライトだよ。言い逃れができなくなるね」
「弱みを握る前提なんですね」
流石、凪の知り合いである。
(……長居しても、いいことなさそう)
晶は上着のポケットにもらったライトを入れ、腰を浮かした。それを見て、萩井が笑いながら言う。
「何だ、もう帰るの? 紫外可視分光光度計とか、ガスクロに興味ない?」
追いすがる萩井をようやくかわし、晶は廊下へ出た。ようやく荷物がなくなった安心感で、空間が広く感じる。
何の気なしに、実験室を覗いた。白を基調にした大きな機械が、いくつも並んでいる。
(これがあればすぐ分かることが、向こうの世界では永遠の謎になる)
頼もしい機械を眺めながらも、晶の胸に苦いものがこみ上げてきた。
☆☆☆
解析が終わった、と報告があったのは、それから三日後のことだった。今日は非番の力石と、暇だという初穂がついてきた。
「はい、頼まれてた結果。子供のだって言ってたね?」
萩井が晶に聞く。
「ええ。十二~三歳くらいだったかな」
記憶を探りながら、晶が答える。すると、萩井の目がつり上がる。
「悪いことは言わないから、すぐ病院につれて行きなさい。この子は、糖尿病だ」
「え?」