手品には種がある
「……必ず、戻ってくるのですよ」
「はっ」
王妃は凪に道を譲った。術士たちはぞろぞろと部屋を出ていき、市街地まで辿り着いたときにやっと安堵の息をこぼした。
「ああ、生きてる……」
緊張が解けて、晶はつぶやく。術士たちは、道にへたりこんでいる。
「お前はいいよ。呪われてないんだから」
さっき叫んでいた男が、腕をつかみながら食いついてきた。
「呪いなんかあるか、阿呆」
それを凪が切って捨てた。そして、男に向き直る。
「一日もすれば元通りだから心配するな」
「え」
意外な言葉を告げられた男は、子供のように口をすぼめる。
「呪いじゃ……ないのか?」
「本気で信じてたのか。俺の芝居は絶品だな」
憤怒の表情で凪に殴りかかろうとする男を、仲間が総出で止めた。
「凪、どういうこと? 何が原因なの?」
「ははは。晶、薄々気付いてるくせに」
「……自分でクリーム、塗らなかったね」
晶が言うと、凪は白い歯を見せた。
「あれ、毒?」
「人聞きの悪いことを言うな。麻酔だよ」
「マスイ?」
「薬に触った部分を、一時的に痺れさせてるだけだ。今、仲間に体を摑まれてる感覚はあるだろ」
「あ……」
暴れていた男が、急に静かになった。
「なんだ、偉そうなこと言ってたけどそれだけか」
「あの音はどうやったんだ?」
「うるせえ。用は済んだから、お前らとはお別れだ。くれぐれも俺のことを言いふらすんじゃねえぞ」
凪が言うと、呪術師たちは連れ立って路地へ消えていった。
「……血液は取れたの?」
「おう」
凪は注射器の中身を、試験管に移し始めた。血まみれの注射器は、何重にも布で包んで再びケースにしまわれる。
「うまくいってよかった。ちゃんとしまってね。今からブン殴るから」
晶は感情を殺しつつそう言った。凪がうろたえる。
「待て。話せば分かる」
「それは死亡フラグだよ」
「ぎゃー!」
晶は凪がわめいても、追求の手を緩めなかった。
「何なの、あの爆発は! 僕に爆弾でも持たせてたの!?」
「人聞きの悪いことを言うな。あれは金属ナトリウムの固体だよ」
金属ナトリウム、と聞いて、晶の頭が回転し始める。
常温では銀白色の固体。水との接触で水酸化ナトリウムと水素を生じ、その時生じた大量の熱により容易に爆発する。
科学の知識として知ってはいても、現実のインパクトとは比べものにならない。たったあれだけの量で、あんなに派手な反応になるとは思わなかった。
「炎の色が変わった仕掛けは……」
「それは分かったよ。炎色反応でしょ」
中学高校のうちに、一度は体験する実験だ。花火もこの原理を利用して、鮮やかな色を出している。
物質は高温になると、原子という小さな単位になる。すると、一時的にエネルギーが高い特殊な状態になり、これを励起という。
しかし、この状態は非常に不安定なため、物質は常に元の状態へ戻ろうとする。その際に放出されるエネルギーが、色のついた光となるのだ。
ちなみに何色の光が出るかは、物質によって決まっている。紫ならカリウム含有物──ミョウバンか何かだろう。
「じゃあ、今回の呪術は全部、高校レベルまでの科学の応用なんだ」
怒るだけ怒って発散した晶は、ため息をつく。凪がうなずいた。
「『高度に発達した科学は、魔法と区別がつかない』──誰の台詞だったっけなあ。俺たちの世界はここと比べて、進みすぎてるんだ」
「そうだね。それが良いことかは、分からないけど」
人は動物の中で、飛び抜けた進化をとげてきた。しかし、昔より幸せになったとは言えないだろう。
「晶」
うつむく晶に、凪が声をかける。
「俺は、人類は幸せになってると思う」
晶は驚いた。凪は普段から言質をとられないよう、断言を避けるきらいがある。その彼がここまで言うのだ。
「どうして?」
凪は何かを言いかけて、やめた。
「いずれ分かる。嫌でもな」
晶の背筋を、寒気が駆け抜ける。凪の言葉の深淵を覗いたら、もう戻ってこられない。そんな気がした。
だから逃げた。そんなことをしても、後が辛くなると分かっているのに。
「凪。王妃様のカードは、どうやって消したの?」
「そんなことかよ。ありゃ単純な手品だ」
「消すべきカードすら教えてもらってないんだよ? 手品でそこまで特定できる?」
「特定なんてしてねえ」
凪はあっさり言った。晶はわからなくなって、首をひねる。
「正確に言えば、する必要がなかった」
「どういうこと?」
「俺は一枚だけ消したんじゃない。束ごと、ごっそり取り替えたんだ。全部別の絵柄の束とな」
晶の喉から、あっと声がもれた。確かにそれなら、特定できなくてもカードを消せる。
「いつすり替えたの」
「指を鳴らした時。一瞬でも右手に注目してくれれば、誰も左手は見ないからな」
晶は嘆息した。
「カードを買って行ったの?」
「地図から王妃の部屋を覗いた。贈り物で子供をモチーフにしたカードがあったが、王妃はろくに触ってない。忙しいからな。これは利用できるってんで、初穂に頭下げてプリンターで作ってもらったんだ。紙とか柄とか、細かいところは色々違ったと思うが」
「……よ、良くバレなかったね」
いくら見慣れていなくても、絵が丸ごと違うのだから微妙な違和感はあるはずだ。王妃に指摘されたら終わりである。