スパイにしては緊張感のない
「それは……大変でしたね」
「あいつ一人が清廉ぶるのは勝手だがな。『金に溺れて人民の健康を害してはならない』などと抜かしおって。城下でどれだけの者が首をくくったかも知らずに」
王とインヴェルノ卿の仲は最悪のままだ。晶の横で、セータが居心地悪そうに体をよじる。
「被害はそれだけじゃないでしょう、インヴェルノ卿。もっとまずいことがあるはずだ」
「その通り、話が分かるな。そもそも、あいつは昔から……」
凪がうっかりインヴェルノ卿に合わせてしまってから、話が過去にさかのぼり始めた。主に見えないよう、ラクリマが目配せをしてくる。この好意をうけて、晶たちは部屋を抜け出した。
卿の声が聞こえなくなると、セータがようやくしゃべり出す。
「助かった。父上があの話になると、長くて」
「性格も政策も合わんなら、仕方ないさ」
凪が後ろを気にしながらつぶやく。
「しかしお前、なんでオーロと仲がいいんだ? 親がこれだけ対立してたら、普通はすり込まれるだろ」
凪が聞くと、セータはうつむいた。
「昔はこんなんじゃなかった。俺が病気になってから……ファンゴ王との関係は急に悪くなったんだ」
セータは伏せっていたため、詳しい経緯は知らない。しかし、周りの対応が変わったことにはすぐ気付いたと言う。
「それまではひっきりなしに貴族が来てたけどな。うつされるのも王に睨まれるのも嫌なんだろう、ぱったりなくなったよ。俺も、友達が誰もいなくなった」
その中でただ一人、交流を続けてくれたのがオーロだったという。
「今は病気だから全然だけど……昔は木登りだって走りだって、あいつの方が上手だった。家臣の目を盗んで、遊びに来てたよ」
セータは遠くを見つめながらつぶやく。
「俺はいつの間にか元気になったけど、今度はあいつがどうにもならなくなった。他の連中はこう思ってるだろうな、俺からうつったんだって」
晶は、セータがオーロの元に通い続ける理由が分かった。
一回起こったことなら、二度目もある──今度は自分が、オーロの病気をもらい受ける気なのだ。
「晶。俺のこと、危なっかしくて見てられないって言ったな」
「……ああ、言ったね」
「でも、止まれない。あいつが元気にならないと、俺は心から笑えないんだ。だから……少しでも気になるなら、協力してほしい」
肩を落としたまま、セータが懇願する。晶が諾と答えると、何故か凪がそっぽを向いた。
☆☆☆
昼間はさわやかな水色の町も、夜の闇の中では深青の底に沈む。急に冷たい風が吹いてきて、晶は上着の前をかき合わせた。
この辺りは周りより標高が高い。山からの地下水がたっぷり使えるのはいいが、朝と夜が寒いのが欠点だ。
そう晶に教えた凪は、早足で前を歩いている。彼の横に、ラクリマが添っていた。分かりにくい通りをいくつも曲がったが、老執事の足取りに迷いはない。
「相当通い詰めてるな」
凪がからかったが、ラクリマは足を止めなかった。
「……そこに、いるかなあ」
一通り説明を受けて納得したものの、そう都合良くいくだろうか。晶は、似顔絵の束を見ながらつぶやいた。
「いるに決まってる」
凪がやたら自信たっぷりに言う。それと同時に、ラクリマが立ち止まった。
「ここです」
彼が指さしたのは、何の変哲も無い一軒家だった。ただ、居酒屋になっているらしく料理の匂いが漂ってくる。
看板は出ていない。ただ時々、落ち着かない顔をした男女が出入りしていた。
晶たちが足を踏み入れる。中は意外に広い。日本なら鰻の寝床と呼ばれる、縦に長い造りだ。客は壁に向かっているテーブルか、カウンターで食事をとる形になっている。座っている客はわずかに三人だった。
(さっき入った数と合わない)
晶は店内に目を走らせながら、そう思った。
ラクリマはカウンターに腰を下ろす。凪と晶も同じようにした。
「注文は?」
髭を生やした店員が、ぶっきらぼうに聞いてくる。
「シンゴラレはあるかね」
「あいにく、さっき出ちまいまして」
「そりゃ残念だ。……もう店主の姪っ子は手伝いに来ないのかね?」
「先月、嫁に行きましてね」
「じゃあ、景気づけにウーノをもらおうか。三人分だ」
ラクリマがそう言うと、店員の視線が鋭くなった。
「子供もいるじゃないか。やめときな」
「中身は大人だよ。私が保証する」
「あんたに言われてもねえ……店主に聞いてみるから、待ってな」
店員が頭をかきながら、奥へ消えていく。凪と晶は苦笑いした。
一連のやり取りが、賭場へ入るための合い言葉なのだろう。ラクリマだけでなく余計な荷物もくっついているから、店が及び腰になったのだ。
しかめ面のまま、店員が戻ってくる。
「仕方無い。出してはやるが、全部食えよ」
「すまんね」
許可が出た。パチンコ店にすら入ったことのない晶は、賭場と聞いてわくわくしてくる。しかしラクリマはどこにも移動せず、ただ出された飲み物をあおるだけだ。
晶のところにも同じ物があったので、飲んでみる。──ただのお茶だった。日本のものより甘いが、それ以外に特別なことはない。
飲み干して空のグラスを観察しても、何も浮かんでこない。あまり露骨な動きもできないので、晶は困った。