父も怒っている
「ねえ、いいじゃない。その子の容態は? もう診察はさせてもらったの?」
「誰がそんな面倒なことするか。最初に断って、そのまま牢屋行きだ」
「だったらもう一回……」
「絶対に嫌だ」
凪は意地になっている。
「お前の師匠、子供みたいだな」
本当の子供に言われていれば、世話はない。
「王様に投獄されたのが、そんなに嫌だった?」
「投獄自体は、こっちじゃよくあることだ。俺は、あの野郎そのものが気にくわない」
「あれほど評判の良い方が合わないと。あなたも、ひねくれていますね」
茶のおかわりを注ぎながら、ラクリマが言う。
「あなた『も』?」
「ははは。裏がありそうな匂いがします。同類は分かるという奴ですな」
「……実は僕も、嫌な感じがした。ねえ、オーロって王様の実子じゃないの?」
「まさか。出生の時には、乳母が何人も付き添った」
「誰かが噛んでいれば、入れ替えもできるんじゃない?」
「それをやってどうする。晶、お前何か知ってるのか」
凪に聞かれた。晶は王のつぶやきを皆に伝える。
「なんだ、オーロを物のように」
怒るセータの横で、ラクリマが静かに口を開く。
「残念ですが、入れ替えの可能性は低いでしょう。王のあの特徴的な緋色の瞳は見られましたか?」
「はい」
「王子にもそれが伝わっています。余所の子を連れてきたところで、ああは似ますまい」
晶は思い出してはっとした。確かに、あの瞳は印象的だった。カラーコンタクトもない世界では、とてもごまかせないだろう。
「しかしそれでも、不自然な物言い。ナギ殿は、どう思われます?」
「……凪?」
凪は実に、楽しそうに笑っていた。彼の長い指が、人形を操るように机の上で踊っている。
「晶」
沈黙の後、凪が口を開く。
「その子供、診察してもいい」
「本当?」
凪が何か腹に抱えているのは間違いない。しかし、横にいるセータが嬉しそうにしているのを見てしまい、結局晶は何も言えなかった。
「じゃあ、王に連絡を」
「それなら、うちの父からしてもらおう。手柄になる」
「待て。俺は一度牢から逃げた。王の感情は最悪のはずだ。そこから話を聞いてもらうには、相当な手土産がいる」
理不尽だが、この世界では権力者の意向が全てに優先される。
「少なくとも、病気の原因くらいはハッキリさせないと、その場で首を斬られる」
晶はその難しさを考えて、顔を歪めた。
「できるの?」
「できてたまるか。現役の医者だって誤診はあるんだぞ」
「ダメじゃない」
「お前は頭が硬い。もっとずるく考えろ」
凪は猫のように笑いながら、顔を近づけてくる。
「ズルって……」
「王の前では失敗できない。だから、それより先に患者に接触して情報を集める」
凪はさらに声をひそめた。
「血液がとれれば一番いい。俺たちの世界に持ち帰って分析すれば、原因はすぐ分かる。……こっちの人間と同じような組成してりゃ、の話だが」
「カタリナが怒らない?」
「『持ち出す』分にはあいつはうるさく言わねえよ」
「内緒話をされているところ、申し訳ありませんが」
ラクリマが割り込んできた。
「接触するといっても、相手は王太子です。セータ様について壁登りでもなさいますか?」
「いいや。大人ってのはもっと賢いもんだ。ラクリマ、今晩付き合え」
「おや、積極的ですね」
軽口に構わず、凪は先を続けた。
「あと、この屋敷の中で一番絵が上手い奴を呼んでくれ」
一通り話が終わって、晶が茶をすすった時、壁の呼び鈴が鳴った。途端にセータが、落ち着かない表情になる。
「父上だ」
全員がその認識を共有すると同時に、すさまじい足音が廊下から聞こえてきた。歩いているというより、力任せに地面を蹴っていると表現した方がいい。腹まで響く威圧感だ。
「○△□×○△」
「お帰りなさいませ、インヴェルノ卿」
とても表現できないような悪口雑言と共に、セータの父──インヴェルノ卿が入ってきた。美食に明け暮れているのか、彼の腹は風船のように出ている。しかし顔に肉がついていないため、奇妙な男前が完成していた。
「ち……父上、お帰りなさいませ」
セータが別人のように体を固くして、父を迎える。インヴェルノ伯もさすがに息子は可愛いらしく、やっと普通の言葉遣いになった。
「セータ。体は大丈夫なのか」
「はい。武術・体術の習得に励んでおります」
どこでやった、とは言わないのがセータの処世術である。しかしインヴェルノ卿は不敵に笑った。腹の中で色々思案している顔だ。
「ならば良いが。ラクリマ、あまり無茶をさせるでないぞ」
「かしこまりました。さて、御酒になさいますか茶になさいますか」
「子供の前で酒でもあるまい」
茶と菓子がそろうと、ようやくインヴェルノ卿は息をついた。
「──実に下らん話し合いだった」
貴族とは思えぬ大胆な手つきで菓子を噛み砕きながら、ぶつぶつ愚痴をこぼす。
「儂があれだけ丁寧に、酒がもたらす利益について教えてやったのに。あの大馬鹿者め」
それが誰を指すかは明らかだ。晶たちは黙って目を見合わせた。