王の威厳
「でも、これだけ兵を養えるってお金持ちなんだね」
「無駄が嫌いな気性なんだ、現王は」
セータはぽつぽつ話し出した。
先代の王は金遣いがやたら荒く、借金の証文を山のように残して流行病で死んだという。
「その病も、遊女からうつされたと言われてな。誰も真面目に悲しんでなかったよ」
王の悪口ゆえに、セータは声をひそめる。
「現王は、そんな中から立ち上がった。数少ない有能な臣下を集め、産業を育てて海上貿易で利益を得た」
「すごい人だね」
凪への仕打ちから、もっと暗君なのかと勝手に思っていた。晶は反省する。
「ああ、為政者としては今のところケチはついていない。本人も長身かつ美形で、子供の頃からできないことなどなかったそうだ」
「へえ」
それはまた、癪に障ることだ。
「女性にだらしないとかは?」
「王妃と、身元の確かな側室が数人。それだけだ。先王の噂があるからな」
「部屋が汚かったり、食い意地が張ってたりしない?」
「そういう話は聞かんが」
「……凪より上だな」
首をかしげるセータを置いて、晶は本題に戻った。
「一旦帰ろうか。これじゃ、無理だよ」
「冗談を言うな。せっかくここまで来たのに」
「あっ、待って!」
解決の糸口をつかみたいセータは、一人で飛び出してしまった。遅れた晶は止めに入ろうとしたが、その前に衛兵がセータを取り囲む。
「誰だ」
「物々しいな。賊でも入ったか?」
「名乗れ、小僧」
「先に事情を教えろ。俺もここを行き来する身、こう騒がしくてはたまったものではない」
セータは困っているはずだが、それでも態度に揺らぎはなかった。敵には弱みを見せないという、帝王教育の成果だろう。──だが、読みが甘かった。
「捕らえろ」
「うわっ! ディアマンテ家の次期当主が聞いているのだぞ」
「嘘をつけ。供もつけずに歩いている貴族がどこにいる」
「離せ!」
両側から腕をつかまれて、セータが悲鳴をあげる。足を突っ張って抵抗するが、大人の力に敵うはずがない。
(あーあ……)
晶は煙玉をつかみながら立ち上がった。二人が逃げるくらいの時間なら、これで稼げる。
「待て」
しかしそれを使うには至らなかった。凜とした声が、一帯に響く。
普通、野外では発した言葉が空気によって拡散されてしまう。だが、この声は少し離れた晶の耳にも届いた。衛兵たちがたちまち、居住まいを正す。
声の主が、庭の奥からゆっくり姿を現す。
(ライオンだ)
晶はとっさに、そう思った。それほどに、声の主の豊かな金髪は人目を引く。伸ばした髪は腰の辺りまで伸びているが、女々しさは微塵もない。衛兵たちより一回り大きな体は、まさに筋肉の塊だ。
「陛下」
両腕を捕まえられたまま、セータも男に向かって礼をする。
(これが、国王……)
晶はじっと王の彫りの深い横顔を見つめた。凪のような若さはないが、その分苦み走った大人の魅力がある。瞳の中心が、炎を放ったように赤く光っていた。
「セータよ。お前の父上がいつも嘆いているぞ。このところ、勝手に出歩いているようだな」
「…………」
セータは唇をかんだ。やはり、息子の動きなど親にはお見通しだったらしい。
「牢から囚人が逃げたゆえ、警備を強化している。万が一があってからでは遅いぞ」
「お気遣いありがとうございます」
セータが深々と頭を下げる。それを確認してから、王は衛兵たちに向き直った。
「離してやれ」
「かしこまりました」
「逃げ出した囚人の行方は分かったか」
「いえ、まだ……」
「そちらに全力を注げ。いいな」
「はっ」
王が檄を飛ばすと、衛兵が散っていく。後に残ったのは、セータだけだった。
「陛下。ひとつ、お聞きしたいことがございます」
「申せ」
「オーロの具合はどうでしょうか。最近、会っていませんゆえ」
平然としていた王の顔に、その時初めて歪みが生じる。しかし、風に撫でられた草のように、すぐに元に戻った。
「……難しい。が、いずれ回復するだろう。それは確かだ」
王はやけにきっぱり言い放った。セータが言っていたことと正反対だが、その自信はどこからくるのだろうか。
「では、またお会いできる日を楽しみにしております」
「うむ」
うなずく王の前から、セータが後ずさりでいなくなる。通りに消えた彼の背を見て、晶は安堵の息をついた。
(追いかけなきゃ)
そっと動き始めた晶の耳に、ふと王の声が飛びこんできた。
「──あの子は、生き残らなければならぬ。国のために、俺の息子にしたのだからな」
晶は振り返る。その時の王の顔には、狂気がへばりついていた。
☆☆☆
「無事で良かった。これからどうする?」
「一旦帰る。腹も減った」
セータに言われて、晶も自分の腹をさすった。市で何か買うつもりだったのに、色々あってすっかり忘れていた。
それを聞いたセータは、事も無げに言う。
「ああ、じゃあうちで何か食べていけ」
「いやあ、そんなワケには……」
「親父がいないから、俺の意見が通る。ただし、日没までには宿に戻ってくれ」
よほど父親が怖いのか、セータは派手に身をすくませる。晶は笑い出したくなったが、なんとかこらえた。