やっぱり放っておけなくて
「……礼を……言う……」
ようやく自分の黒歴史を消すことに成功した凪が、息を切らしながら晶に告げる。
「うん、大変だったね。しばらくあっちには行かないでしょ?」
「いや、近いうちにまた行く。あの国には二度と行かないが」
一応学習しているようだから、よしとしようか。
「綺麗なところだけど、やりにくそうだよね」
晶はそう言いながら、地図に目をやる。その時見えた景色が、脳裏に焼き付いた。
「どうした?」
体を強張らせる晶に、凪が聞く。
「な、なんでもない」
晶はとっさに誤魔化したが、凪の目をあざむける自信はなかった。
「それより凪。不在中のことなんだけど……」
仕事の話をすることで、凪が忘れてくれるのを願うばかりだ。
☆☆☆
一週間が経ち、また凪がいなくなった。留守を任された初穂に黙って、晶は地図の中へ潜る。今回は牢屋でなく、青い町の外れに降り立った。
すぐ見えるのは、なだらかな丘だ。この前のテンゲルのように、切り立ったところはどこにもない。子供でも登れそうな、椀状の突起の上に黄と白の花が咲いている。気温もちょうど日本の春くらいで、吹いてくる風が心地良い。
(物盗りがいなかったら、昼寝したい気分だな)
穏やかに見えても、異世界には危険が沢山ある。晶は足を止めずに進んだ。
晶は街中をそぞろ歩く。ブルーの階段に白い壁、そこに彩りを添えるようにピンク色の鉢がかかっている。日本人が好むような淡い桜色ではなく、目に刺さるような激しい色だ。しかし、ゆったりとした白と青の中にいるとそのきつさが中和され、むしろなくてはならない物に見えてくる。
(しかし綺麗な色だ……水色の染料なのか、石の色なのか)
材料が特定できれば、少し持って帰ろうか。凪も喜ぶかもしれない。
晶が考えていると、建物近くに立っていた大工が動いた。そして手にした刷毛で、壁面を水色に塗り始めた。つんと鼻をさす匂いがして、晶はそこを離れる。
荷をかついだロバが、ゆっくり隣を通り過ぎた。よく見ると、同じようなロバが何体も行き来している。晶はその行列を追いかけた。
すると、露店ひしめく通りに出る。ちゃんとした屋台を持っている者ばかりでなく、地面に絨毯をひいて商売する家族もかなりいた。
どの店も、物が多い。帽子でもスリッパでも織布でも、親の敵のように積み上げてあって、その中をかき分けるようにして探さなければならない。好きな人にはたまらないのだろうが、晶にそんな気力はない。
(さて、どこにいるのかな)
しばらく通りに立ち、鮮やかな民族衣装に身を包んだ人々を観察する。しかし、この中から目的の人物を見つけるのは容易でなかった。
(さすがに読みが甘かったな)
後悔し始めた時、横道から三人組が走り出てきた。全員、子供である。
「おばちゃん、メイラの実ちょうだい」
「いくつだい」
「買えるだけ全部」
大きなテントに陣取った露天商は、じろりと子供たちをねめつけた。彼らの服は薄汚れており、とてもそんな買い方ができるようには見えない。
「冷やかしなら帰っとくれ」
露天商はあからさまに冷たい声を出す。しかし子供たちが懐から銀貨を出すと、目の色が変わった。まじまじと検分した後、赤い実が盛られた籠を丸ごと渡す。
首尾よく果物を手に入れた三人組は、歓声をあげて走っていった。晶は彼らと入れ替わるように、店の前に立つ。
「あら、いらっしゃい」
そこそこ見栄えのする格好をしているからだろう。さっきとは違って、露天商が猫なで声を出す。晶は彼女に向かって、左手を伸ばした。
「子供たちに返す物があるよね?」
それを聞いた途端、露天商の顔がさっと青ざめた。
「言いがかりはよしとくれ」
「看板にはメイラの実、銅貨二枚って書いてあるね。さっきの籠だと、入っても三十個前後。銀貨一枚で銅貨百枚換算だから、お釣りが出るはずだけど」
晶は右手で剣を握ったまま、笑顔で露天商につめ寄った。日本以外では値段などあってないようなものだと分かってはいても、文字が読めない子供を騙す現場を見たら黙ってはいられない。
「あんた!」
店主が奥に向かって叫ぶと、頬に傷のある大男が出てきた。
「……坊主。どこの誰だか知らんが、大人の商売に口出しするもんじゃねえぞ」
男は晶を威圧してくる。しかし凪やテンゲルの傭兵を腐るほど見ていた晶は、たいしたことないなあと思っただけだった。
男が一瞬気を緩めた隙に、晶は素早くかがんで股間に蹴りをぶちこんだ。男は晶の剣ばかり見ていたため、驚くほど綺麗に決まる。
崩れ落ちた男を見下ろしながら、晶は言った。
「この程度で大人のつもりなの?」
周りの客がざわつき出した。晶にいいようにあしらわれた用心棒を、嘲笑する声も聞こえてくる。
露天商は悔しげに唇をかんだが、すぐにテントをたたんで引き上げていった。後には悶絶する、邪魔な大男だけが残される。
(あれ、こいつどうしよう……)
晶が困っていると、周りの商人たちが話しかけてきた。
「お兄ちゃん、放っときな。もうすぐ衛兵が来るから」
「あ、ありがとうございます」
「うちの若いのが、すぐ詰め所まで走ったのになあ。兄ちゃん、あっという間に片付けちまうんだから」
「すみません」