これで、終わり?
長身の兵は口をへの字にした。
「お偉いさんからのご指名を断ったのか?」
異世界、人権はないが男色は普通にあるようだ。
「いや──」
「それなら、まだ良かったんだけどな」
いきなり凪が、会話に参加する。かわいそうに、兵士たちは完全にのまれてしまった。
「それなら受けといて、相手が素っ裸になったところで金的かまして逃げられた。あの野郎、隙がねえったら」
まだ口がきけない兵士たちと違い、凪は絶好調だ。
「俺は元々、化粧品や食品を売ってた。そのおかげで、基礎医術くらいならわかるのさ」
凪は格子ぎりぎりまで近づいて、兵をにらむ。そして大きく両手を広げた。
「もちろん独学だ。しかし、俺が天才かつ美しすぎたせいで、試した奴の症状が改善していった」
「美しすぎたのくだり、必要?」
晶のつっこみは、凪に届かなかった。
「その評判を聞きつけたのが、ここの王様だ。俺を呼びつけて、開口一番こう抜かしやがった。『息子の病を治せ。それまでは決して城から出さん』とな」
長身の兵士と同時に、晶も驚いた。
「本当に無実の罪だったなんて……」
「お主、優しそうに見えて結構ひどい男じゃの」
背後からカタリナが刺してきた。晶は彼女をねめつける。
「……全部知ってた、よね。この状況」
「当然よ。世界の番人に知らぬことなどない」
カタリナは胸を張る。
彼女の言っていることは、妄想でも誇張でもない。カタリナは世界の秩序を守るべく任命された「番人」であり、晶や凪のような世界をまたぐ連中を監視するのが仕事だ。
晶にだって分かっている。理を乱しているのは自分たちの方で、カタリナが助ける道理などない。しかし、もたげてくる被害者意識は確かにあった。
(いや、ダメだ)
その思いを口に出さぬよう、歯を食いしばる。とにかく一度、凪に会って対策を考えなくては。
「でも、地図が……」
店は閑古鳥が鳴いているのでどうにでもなるが、困るのは「地図」の管理だ。放置していて盗まれたら、目も当てられない。
迷った末、晶は階下の初穂に声をかけた。
「初穂さん……」
「ああ、坊やか。なに?」
「凪が危ないんです。事情を説明させてください」
初穂はそれを聞くと、じっと晶の目を見つめる。品定めは、たっぷり一分ほど続いた。
「……やっぱり、辰巳先輩の息子だわ。言い出したら聞きゃしない」
にらみ合いに終止符をうったのは、初穂だった。晶は言い返す言葉もなく、黙ってうなだれる。
「はい、じゃあさっさと本題に入って」
初穂に促されるまま、晶は全てを打ち明けた。初めは馬鹿馬鹿しい、と相手にしなかった初穂も、地図を見せると徐々に異世界に引き込まれていった。子供のように目を輝かせる初穂を見ていると、晶も少し気持ちが和む。
「うわー、凪の奴マジで捕まってんじゃん。待って待って、写真撮ってネタにするから」
その写真、何に使うつもりですか?
「……写真は構いませんから、この地図の保管をお願いしたいんです。もし僕が戻らず店から帰るときは、クローゼットにしまって鍵を」
「この店、前に放火されたじゃないの。夜は持って帰るわよ」
「え」
「これでもインテリアデザイナーですからね。資料ってことにすれば家族も怪しまないでしょ。凪が帰ってくるまで、仕事はここでするから店番もやるわ」
流石フリーランスで稼いでいるだけあって、飲み込みが早い。晶はありがたく、その案を受け入れることにした。
きっちり現地風の衣装を身につけ、時計など電子機器は全て外す。そして隠してあった長剣を持てば、準備完了だ。
「じゃ、行ってきます」
「はいはい」
初穂は熱心にシャッターを切っている。仕事は進むのだろうか、と晶は心配になった。
☆☆☆
晶は目を開き、軽い頭痛がおさまるまで待った。何度か異世界に来ているが、最初の時に見た化け物は現れない。
(あれは、なんだったんだろう)
首を振って、魔方陣を抜け出す。会わないなら、それに越したことはないのだが。
光る陣の先は、闇が広がっていた。格子と、囚人たちがぼんやり見える。牢獄なので魔力よけがしてあるかと思ったが、すんなり入り込めたようだ。内部に見回りもいないので、作戦成功である。
「……まあ、この人は」
目の前に凪がいる。囚われているというのに、彼はいびきをかいて寝ていた。本当に殺しても死にそうにない。
「起きて、凪」
魔方陣の光が見つかったら終わりだ。半寝ぼけの凪を無理矢理立たせ、一緒に陣の中へ飛びこんだ。
こうして二人、無事に現実世界へ帰ってきた。初穂が眉間に皺を寄せて、出迎えてくれる。
「なによ。留守番頼んだくせに、すぐじゃない」
「すみません。もっと苦労するかと思ったんですが」
「んあー……あ?」
凪はぼんやりしていたが、初穂の顔を見ると途端にしゃきっとした。
「お前、来てたのか」
「自分で呼んで何よそれは。薄情者。割増料金とるわよ」
「その手のカメラを渡したら考えてもいい」
しばらく凪と初穂は、激しい攻防をくり広げた。