正論オブ正論
「お前は誰なんだっ。いきなり入ってきて、でたらめ言いやがって」
「私は、ここの店主の腐れ縁。留守の間は様子見てくれって頼まれたから来たのよ」
女は客に向かい合い、見せびらかすように長い足を組む。
「あと、でたらめって言うのやめてもらえる? ちゃんと根拠のあることなんだから」
「調子に乗るなッ」
「議論すら放棄するなら、とっとと出て行きなさい。負け犬」
丈治の怒りのメーターが、ここで振り切れた。彼は顔を真っ赤にして、立ち上がる。
(まずい!)
晶は反射的に床を蹴り、丈治を取り押さえようとした。しかしそれより先に、待ったがかかる。
「……ちゃんと聞いたら、教えてくれるの?」
美沙が、ゴス女に聞いた。
「そうよ。あんた、名前は?」
「美沙……高口美沙です」
「私は桝岡初穂。初穂でいいわ。頭の良い子は好きよ」
初穂と名乗った女は、客の顔をじっと見た。美沙はそうされるのに慣れていないのか、視線をさまよわせる。
「……だったら分かってるでしょ? その父親とそっくりな鼻と歯と顎のこと」
初穂が言うと、かわいそうなくらい美沙の顔が歪んだ。図星をつかれた時、人間はこんな表情になる。
「メイクでどうにかなる子って、目だけが小さいとか一重で地味とか、そのレベルよ。動画とか見たことあるでしょ?」
初穂が言うと、美沙がうなずいた。
「悪いけど、その上向きで丸い鼻とホームベースみたいな顎、それにガッタガタの歯並びは隠せないわ。ずっとマスクしてるってなら別だけど」
美沙はちらっと丈治を見た。親子の顔パーツは、コピーして貼り付けたようにそっくり同じだった。恨みのこもった視線に耐えきれないのか、丈治が顔をそらす。
「全く、なんで似てほしくないとこばっかり似るのかねえ」
初穂は険悪な親子をよそに、のんびり言った。
「ま、その辺にしときなさい。今から胎児に戻るわけにもいかないから──いっそ整形したら?」
「え……」
「いい時代になったわよね。金と腕のある医者さえあれば、顔だって変えられるんだもん」
「ちょっと待て」
ここでようやく、丈治が戦線に復帰した。
「メイクでもけしからんのに、整形なんてダメだ。絶対に許さん。親からもらった顔が気に入らないからって、そんな」
「なんで? 胃が悪かったら胃を切る、腫瘍があるなら取り除く、それと同じでしょ。なのにどうして顔だけ別枠なの?」
「う……」
丈治が言葉に詰まった。しかし、すぐ反論を再開する。
「胃とか腫瘍は、放っておいたら体に悪いじゃないか。顔はそんなことないし、どんな造形だってよく見れば味がある」
「と、オッサンは言ってるけどね。実際、どう? それで納得できる?」
問われた美沙の顔には、「否」と刻まれていた。
「お前はまた……」
「そりゃそうよね。当事者と周りでは、意識の差があるもんよ」
初穂はふっと笑った。
「ブスに害がないなんて思ってるのは、頭が幸せな連中だけよ。街を歩けば指さされ、笑われて陰口たたかれる。それのどこが害がないっての」
丈治がぎょっとした顔で、美沙に向き直った。
「……言われたのか、そういうことを」
美沙は無言でうなずく。丈治が急に青ざめた。
「雑な扱い受けたのは、ふられた相手だけじゃないでしょ。街中、クラスメイト……さすがに父親にはそこまで言いたくないから、黙ってたのよね」
「はい」
「結論出たわね。ブスはどこまでいっても不利。慣れるとか味が出るなんてのは、全く嘘ね」
初穂は満足そうに、長い指を自分の顎に当てる。その余裕が腹立たしかったのか、丈治が美沙の腕をつかんだ。
「クラスの男子が、お前をからかうのか」
問いかけられた美沙は、ぷいと父から顔を背ける。それでも父は、娘の後頭部に向かって話しかけ続けた。
「いいか、それはお前が悪いんじゃない。違っていて当たり前の外見をネタにして笑う、そいつらの性根が腐ってるんだ」
美沙の体がぴくりと動く。しかし、完全に父の方を向くまでには至らなかった。
「そんな奴らの言うことを気にしたら負けだ。『ああ、可哀想な連中ね』と笑い飛ばしてやれ。お前は強い子なんだから、それができるはずだ」
丈治の声に、だんだん熱がこもってくる。晶はなるほど、とうなずきながら話を聞いていたが、ふと違和感を抱いた。
父親が熱っぽく語れば語るほど、娘は彼に背を向けていくのだ。──まるで、「そんな話は聞きたくない」と言いたげに。
「あっはっはっはっはっ」
突然、初穂が大口を開けて笑い出す。あまりに大胆な声に、丈治も驚いて口をつぐんだ。
「いい加減にしてよ。私を笑い死にさせる気?」
目にうっすら涙を浮かべながら、初穂は腹を抱える。
「な、何がおかしい」
いきりたつ丈治が、とうとう初穂の胸ぐらをつかむ。それでも、彼女はびくともしなかった。
「俺の言ったことのどこが間違っていると言うんだ。文句があるなら、この場で指摘してみろ」
「正論よ。あんたの主張は、このまま教科書にのせたっていいくらい。でもね」
摑まれたまま、初穂は男をにらむ。それは明らかに、捕食者の目だった。
「それじゃ、あんたの娘は救われないのよ」
丈治が息をのみ、手を離した。美沙がじっと初穂を見つめる。