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僕の薬庫は異世界に続く  作者: 刀綱一實
罪人を愛す木偶人形
58/110

怒る農民

 翌日。なぎからメールが入っていた。なんとか警察から携帯を取り戻したようだ。


「よし、行こう」


 校門で待ち構えていた黒猫を自転車の籠に入れ、凪に指定されたカフェに向かう。あきらが到着したときには、もう晴海はるみが店内にいた。


「今、お渡ししてたとこだ。前金ってことで一万だけもらった」


 凪が札をひらひらと振る。晴海はもらった茸を、真剣な目で見つめていた。


「じゃあ、さっき言った通り、とりあえず一週間食べてみてくれますか。淡泊なので、何と合わせてもいいですよ。煮ても焼いても食えます」

「あ、ありがとうございます」


 晴海は、こちらが恐れ入るくらい頭を下げた。ここまでされるとなんだかやりにくい、と思いながら、晶はあいまいに笑う。


「しかし、本当に百万出しますか? 今は保険診療で、食欲を抑える薬を出してもらうこともできますよ」


 凪が札をテーブルに置き、依頼人に念を押した。一応、ぼったくりを少しは気にしているらしい。


「……病院なんて」


 だが、彼女は頑としてそれを拒む。どう考えても病院の方が安上がりなのに、つくづく変な人だなあ。晶がそう思っていると、晴海が急に立ち上がった。


「あの、私はこれで。ありがとうございました」


 相変わらず、こちらを少しも信用していない様子だ。しかし希望が出てきたからか、最初に事務所で見たときよりも柔らかい表情になっている。


 彼女が立ち去った後には、ほとんど手をつけていないアイスティーのグラスだけが残されていた。凪はまだ、目の前のクリームまみれのパンケーキにかぶりついている。しばらく席を立つ気もなさそうなので、晶は凪の横に座り直した。


「ねえ、さっきの話なんだけど」

「百万ならもらうぞ。ちゃんと忠告したからな」

「いや、そのことじゃなくてさ。痩せる薬なんて、ほんとにあるの?」


 晶が聞くと、凪は口元をふきながら答えた。


「今、一種類だけ保険がきくのがある。ただし、BMI三十五以上の重度肥満じゃないと使えないが」

「BMI?」

「体重を身長の二乗で割った値な。肥満の判定に使う、簡単な目安みたいなもんだ。試しに計算してみろ」


 晶は鞄からノートを出し、凪に言われた通りの計算式を書き込む。


 身長百七十センチ、体重五十九キロの場合。身長はメートル換算のため、式は59÷(1.7×1.7)となり、結果は約二十、と出た。


「この値が高すぎると太りすぎ、低すぎると痩せすぎってことだ。お前は普通よりちょっと細いな」


 基本的には、二十五以上を肥満とするようだ。しかし、それだといまいちぴんとこない。


「さっきの三十五って、具体的に言うとどれくらい?」

「お前と同じ身長だと、一○二~三キロってとこじゃないか」

「うわ」


 ほぼ倍だ。確かに、それはかなり太い。想像以上に太らないと処方はしてもらえないようだ。そこまで世の中、甘くない。


「ま、全ての基本は食事と運動ってことだな」

「えー、身も蓋もない」

「バカ。食った分身にならなきゃ生物としておかしいだろうが。痩せない痩せない言う奴の大部分は、食い過ぎプラス動かなさ過ぎなんだよ」


 凪が言うと、周囲の女の子たちが若干動きを強ばらせた。耳の痛い話である。……しかし、当の凪は呆れるくらいの大食らいなのだが。


「じゃあさ、そのやせ薬はどうやって効くの?」

「お、じゃあ講義二回目といくか」


 凪は空になったパンケーキの皿をよけて、テーブルの上にスペースを作る。そして紙ナプキンを広げ、フラスコのような三角形を連ねていくつも描いた。


「これなに?」

「神経の端っこ」

「え、嘘。ブチブチ切れてるじゃん。大丈夫なの?」


 晶は首をかしげた。神経とは、もっと綺麗につながった一本の糸のような物だと思っていたのだ。


「神経はこういう風に、間をおいて配置されてる。この端っこの神経終末から、化学物質を出して次の神経へ情報を伝える」


 そう言いながら、凪は三角形の下……受け手の方の神経に、四角い箱を描く。


「この受け手の四角は受容体。ここに化学物質がくっつくと、情報が伝わる。興奮したり眠くなったりってのは、こういう反応の繰り返しで起こる」


 凪は自分の頭を軽くつつく。


「実は〝満腹〟っていうのにも、神経が関係している。食いたくなるアクセル系と、押さえるブレーキ系。この薬は、ブレーキに働きかけ、その働きを助ける物質を増やして食欲をなくす方へ持っていくことができるんだ」

「なるほどね。じゃ、食べても太らない体になるわけじゃないんだ」

「そんな簡単に変わるかよ。しかもこの薬、最大で三ヶ月程度しか使えない。一生これを飲む、なんてことはできないぞ。副作用もあるしな」

「……結局、頼れるのは自分のみってことだね」


 晶はつぶやきながら、カタリナの顔を思い出す。この前、彼女も同じようなことを言っていた。


 ことの大小が全く違うので怒られるかもしれないが、意外と成功の秘訣なんてシンプルなものなのかもしれない。


 凪がそこで、ぱたんとナプキンをたたんだ。


「神経物質やホルモンは、単独でも結構面白い。機会があればまた教えてやるよ」


 店内が混んできたので、二人は荷物をまとめて立ち上がる。


「あの茸で、うまくいくといいね」


 晶がつぶやくと、凪が振り向いた。


「今はそっちより、放火犯が気になる。早くそいつが捕まらないと、苛々して眠れやしない」

「それもそうだね」


 晶はうなずいた。今日、警察に出向いて正式に証言してきた。ただ、犯人の特定に役立ったかというと疑問だ。


 街中のカメラ数カ所に黒パーカーの姿が残っていたが、顔はマスクとサングラスで隠れていた。しかも、雑居ビルに入ってからの足取りが途切れている。


「顔が割れてないからな。トイレで着替えて他の客と一緒に出てしまえば、区別がつかない」


 刑事はそう言って、肩をすくめた。正直、お手上げらしい。ただし放火は重罪、決して捜査の手を緩めることはないとも付け加えた。


「しばらく、身の回りには注意しようね。眠ってる間に死んでた、とか洒落にならないよ」

「へいへい」


 分かっているのかいないのか。凪が適当に手を振った。晶はため息をつきながら、黒猫とともに帰路につく。


「今日は退屈だったでしょ。こっちの世界じゃ、どこの店にも入れないし」


 晶がねぎらうと、黒猫は「そうでもない」と言った。


「どこへ行ってもかわいいかわいいと人が寄ってくる。この世界は実に猫に甘いね。大変よろしい」

「……へえ」


 どうやら楽しんでいるようだ。安心した晶は、目の前に見えた角を曲がる。すると、それと同時に黒猫がひくひくと鼻を動かした。


「臭うぞ。煙だ」

「えっ!!」

「悪い予感がする。私が言う通りに車を動かせ」

「うん!」


 自転車が動き出した。黒猫は言葉少なに、「右」「直進」などと、方向だけを告げてくる。晶はその指示に従った。


 進むにつれて、晶の手に汗が浮かぶ。どんどん自転車は、我が家に近づいていくのだ。


(どうか、この予感が外れますように!)


 晶は真剣に祈る。しかし、それは叶わなかった。人だかりができ、消防車が止まっていたのは、晶の家の前だった。



☆☆☆



「昨日の今日で、また会うとはな。坊主、元気出せよ」

「まあ、家は無事で良かったな」


 力石をはじめ、駆けつけた刑事たちが慰めてくれる。晶は悲しみ半分、怒り半分の宙ぶらりんな気持ちのまま、うなずく。


 幸い、晶の家そのものは無事だった。犯人は庭のあちこちに火をつけて去って行ったからだ。しかし、晶にとっては手放しで喜べない。


「そりゃ、家がなくなったり、隣に飛び火しなかったのはよかったです。でも、種から育てた野菜が全滅なんて!」


 晶は珍しく、頭をかきむしった。植物は一日では育たない。毎日マメに様子をみて、愛着が芽生えたところにこの仕打ちである。


「犯人、必ず捕まえてください」

「……収穫前に田んぼ焼かれた農民の顔だな」


 横から凪の声がした。力石りきいしから連絡がいって、様子を見に来てくれたのだろう。隣には、高橋もいる。



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