ちょっと楽しい異世界ライフ
男たちが帰り着いたのは、草原の中にあるテント村だ。固まって立っている丸いテントは、軽く数百を超えるだろう。
人も多いが、それ以上に家畜も多い。大事にされているのか、人間以上に元気いっぱいで、家畜の鳴き声が途切れることはなかった。
女たちが軒先で毛糸をこねたり、家畜に餌をやったりしている。村を離れる仕事は男のもので、女たちはこういう細かい仕事を担当しているらしい。
どこからか肉が焼ける臭いがして、晶の腹が鳴った。口の中に唾がわいてくる。しかし、男たちの馬はそれを気にもとめずに進んでいった。
ひときわ大きく白いテントの前で、馬が止まる。晶はようやく、地上に降ろされた。縄は解いてもらえたものの、どんな扱いをされるのかが気にかかる。
「きょろきょろするな」
「今日は……あの……せめて、家畜小屋には泊めてもらえるんでしょうか」
あくまで軽く、晶は頼んでみた。すると、頭は大口を開けて笑い出す。
「異国の人間はモノを知らんな。ここでは家畜は、命の次に大事なのだ。どこの誰とも知らん奴と一緒に寝かせたりするものか」
そう言って、頭はさっさとテントに入ってしまった。残された晶は、仕方無く軒先に座り込む。外から来た人間が珍しいのか、若い娘たちが遠くから盗み見てくるのがわかった。
「あら、かわいい」
「異国の人間かしら」
「どうせすぐ帰っちゃうわよ、異国の人間なんて」
「そういうのってドキドキしない?」
「しないわよ。全く、あんたは子供ね」
背が高く、大人びた顔立ちの女が鼻を鳴らす。すると、その傍らにいた年下の少女が頬を膨らませた。
「なによ。お姉ちゃんだって、さっきの行商人にのぼせて、いらないものばっかり買ってたじゃない。後で父さんに怒られても知らないからね」
「いいじゃないのよ。お金持ってたって使うところないんだから。それにね、あんな綺麗な顔の人、そうそういるもんじゃないわよ」
「ええー、そうかなあ。都に行けば、案外たくさんいるかもよ」
晶はいつの間にか、その二人の会話に聞き入っていた。なんだかとてもよく知っている、アラフォーのふてぶてしい男を思わせるからだ。
「ち、ちょっと」
晶は勇気を出して、少女たちに話しかけてみた。しかし、彼女たちは露骨に後ずさる。終いにはきゃあきゃあ言いながら逃げてしまった。
「……異世界って厳しい」
彼女たちは単に「素性不明の男性」に慣れていないだけだろうが、ちょっとこたえる。晶が肩を落としていると、にぎやかなラッパの音が風にのってやってきた。
「さあお嬢さんたち、この見事な櫛はいかがかな。こっちの油は、塗って寝るだけで髪につやが出るよ」
聞き慣れた、調子の良い声がする。晶は即座に立ち上がり、声の方へ駆けだした。
「凪!」
「晶ぁ!?」
日よけのターバンをまくった凪と、目が合う。凪がこちらに来る前に、晶はへなへなとその場に崩れ落ちた。
「なんでお前がここに!? 前回でもう懲りたっつってたろ」
呆れている凪だったが、晶が水を要求すると、すぐに腰の水筒を渡してくれた。晶は中身を一気に飲み干し、ようやく生き返った気分になる。
「来たくて来たんじゃないよ! 店が、店が火事になって」
晶はところどころつっかえながらも、今まであったことを全て凪に報告した。流石の彼も、目を白黒させている。
「……放火ってのは、本当なんだな?」
「うん、間違いない。犯人も見た」
「かー、せっかく完成させた店が、たったの三ヶ月で真っ黒か」
頭を抱える凪に向かって、晶は聞いてみた。
「犯人に心当たりある? 中肉中背。男か女かわかんない」
「それで特定できるか。心当たりがありすぎるわ」
「だろうね」
晶がため息をついた。その時、群がっていた娘たちの奥から頭が顔を出す。
「なんだ、この奴隷はあんたの持ち物か」
「知り合いだが、奴隷じゃない。実は、知り合いの息子なんだ。山で賊に襲われた時にはぐれてな。ここで会えたのは運が良かった」
相変わらず、凪は息を吸うようにぺらぺらと嘘をつく。一部本当のことが入っているのが、余計にタチが悪い。
「そうか。使い走りにするには、綺麗な顔の坊主だな」
「コイツの親父はそこそこの家の出だからな。戦いで負けて家が没落したんで、俺が雇ってる」
「昨今では珍しくもないな」
頭は納得した様子で、凪に声をかけた。
「あんたには世話になっている。責任をもつと約束するなら、その坊やが村を歩き回るのを許可してもいいぞ」
「そりゃ助かるね。若い男手は、いくらあってもいいんだ」
凪が言うと、男は黙ってうなずいた。ようやく戻ってきた自由を、晶はしみじみ噛みしめる。
それからしばらく、凪に群がる少女たちをさばくために雑用をこなす。日が落ちきる頃には、凪が荷台に積んでいた商品はあらかたなくなっていた。
☆☆☆
頭が言っていたとおり、凪は大事な客らしい。他の商人たちが自前で粗末な幌を張る中、彼だけは部族と同じテントが与えられていた。
晶もそこを使うことを許され、しばらく一緒に生活することになる。現実世界と同じ生活だが、こちらで屋根付きの家に住めるのはよほど運が良い。
テントは薄茶の布を、ロープにかぶせる形で建てられている。ロープの固定のために、地面からところどころ杭が突き出ていた。よく見ると布の端は、地面から数センチ浮いている。それを晶が指摘すると、凪が答えた。
「その方が風通しがいいんだよ。今の時期はめったに雨が降らないからな。天井にだって、でかい空気穴があいてる」
なるほど、とうなずきながら晶はテントの入り口をくぐった。布は動物の毛を織ったもので、持ち上げてみると編み目が見えた。
テントの中は、想像していたより広々としている。一辺が四~五メートルくらいの四角形の部屋となっていて、家具は全て外の方に寄せられている。地べたには毛織りの敷物がひいてあり、触ってみるとふかふかと心地良い。思っていたよりも普通の家に近い居心地だった。
「よっこらせ」
凪が靴を脱いで、敷物にあがった。すっかりくつろいだ様子で、あぐらをかいている。晶もそれにならった。気持ちが良いので、ごろりと寝転がる。
「あれ、それソファみたいだね」
凪は、背中に布袋のようなものを当てている。晶が指さすと、ああこれかと凪が頭を振った。
「これはチャイルって言ってな、衣類が入った袋だ。タンスでもあり、ソファにもなる。遊牧民の知恵だな」
ふうん、と晶は感じ入った。凪の吸収力は相変わらずすさまじい。こういうところは、自分も見習わなければ。
二人が話していると、村娘がテントの入り口から声をかけてきた。凪に入室の許可を求めている。凪が諾と伝えると、娘とその付添いらしき子供が入ってきた。娘は両手で鍋を持っていて、迷うことなくテントの右端へ向かう。
よく見ると、晶たちが座っている敷物はテントの途中で切れている。そこから先は土間になっていて、竈がしつらえてあった。娘はてきぱきと火をおこして、鍋をかける。そして、煮立ったら食べるようにと告げて出て行った。
しばらくすると、肉の煮えるいい臭いがしてきた。晶が蓋を取る。鍋の中で、透き通ったスープの中に塊肉と香草が浮いていた。
凪がどこからか食器を出してきて、食事が始まった。晶はまず、スープを一口すする。肉の骨から出た出汁と、ほどよい塩味が全身に染み渡る。晶は二回おかわりして、ようやく器を置いた。
「ここの飯はうまいだろ。この世界の中でも、だいぶ日本人好みの味だ」
凪が言う。晶はうなずいた。
「塩味がしっかりしてて、びっくりしたよ」
以前この世界で肉をごちそうしてもらった時、肉はとてもおいしいのに、塩気が足りなくてがっかりした覚えがあった。しかしここでは、惜しげも無く塩が使われている。
「近くに塩湖があるんだ。そこから塊で切り出してるから、塩だけはたっぷり使える」
「へえ、いいね」
「自分たちで使うだけじゃなく、日持ちもするし、どこへ持って行っても喜ばれる。ここの名産の一つだ」
凪の話に相づちをうちながら、晶はくみ置きの水で器を洗う。全て済ませて敷物に横たわると、眠気がやってきた。 晶がまさに眠りに落ちようとしたその時、ざくざくという複数の人間が歩く音がした。