親子の鎖
「──そうだな。帰って、おねーちゃんとでも遊ぶか」
「ラボの萩井さんが待ってるって」
「あれは女の範疇に含めない」
憎まれ口が出てきた。ようやく、いつもの凪である。
「じゃ、帰ろっか」
晶がうながすと、凪が立ち上がった。黒猫もうにゃうにゃ言いながらついてくる。
「晶」
「なに」
「……お前、辰巳に似てきたわ」
いきなり何だ、と言い返そうかと思った。しかし凪の顔があまりに穏やかだったので、かわりにこう答える。
「当たり前でしょ」
すると凪は、子供のように顔をくしゃくしゃにして笑った。そして率先して、陣に飛び込む。置いて行かれた晶は、黒猫に聞いてみた。
「知ってるんでしょ? ここで起こったこと」
しかしこのへそ曲がりの賢人は、面倒くさそうにそっぽを向いただけだった。
☆☆☆
晶はなんとかそれらしい病気をでっちあげたが、クラスメイトからの「あいつは一体何やってるんだ?」という視線は消えるどころか、ますます濃くなっていた。こっそり「スナフキン」と呼ばれていると知ったのは、つい最近のことである。
(そのうち、バイトのことも聞かれるかもなあ)
そうなったら、凪と打ち合わせをするしかない。あの面倒くさがりは、さぞ嫌がることだろう。
考えながら自転車をこぎ、店に着いた。扉を薄く開けると、男の怒鳴り声が聞こえてくる。
「あんたのせいだぞ」
晶はその顔に見覚えがあった。初穂が怒らせた、少女の父親──確か、丈治という名の──である。
(あの問題、全然解決してなかったな……)
はやる心を抑えつつ、晶は裏口に回る。そこからそっと、室内の様子をうかがった。前と同じように、丈治と美沙が並んで座っていて、その正面に凪。
丈治は大激怒の最中だったが、凪はへらへらと受け流している。この前彼らに会っていない凪は、今まさに情報収集しているのだ。
しばらく聞き耳をたてていると、晶にも状況がつかめてきた。どうやら、美沙は完全に整形すると決めたらしい。
彼女は高校三年生。知った顔ぶれが、もうすぐ完全に入れ替わる時期にきている。卒業式が終わったらすぐ、手術したいと主張している。
「お金はバイトして返すから」
「金の問題じゃないっ」
美沙なりに計画を立てたのだろう、淡々と話している。しかし怒り狂った丈治には、全く届かなかった。
「馬鹿馬鹿しい。そもそも、あんたのところの女が余計な話を吹き込むから、こんな下らんことを言うんだ」
「下らん、ねえ」
凪がからかうような口調で言う。丈治はそれが面白くなかったのか、凶暴な顔つきになった。
「そうじゃないか。病気でもないのに、顔かたちにこだわってワーワー騒いで。美沙も昨日のテレビ、見ただろう」
「難病の子のやつね。見たくなかったけど」
「手術はああいう子のためにあるんだ。整形なんて、下賎な医者の仕事だよ」
その言葉を聞いた瞬間、凪が立ち上がって扉を開けた。美形ににらみをきかされて、丈治がたじろぐ。
「どんな技術でも、それで人が助かるのなら世の中に必要だ。あんた一人の感情で、要る要らないと決めつける権利はない。そういうバカが、本来なら生きられた人を殺すんだ」
丈治の口が止まった。魅入られたように、凪を見つめる。晶はそっと、部屋の中に入った。
「……さっき、僕らのせいで娘さんが考えを変えたとおっしゃいましたが。それは、違うと思います」
「なんだと」
「今まで美沙さんは、ずっと悩んできたんだと思います。それをようやく具体的に口に出せた、それだけじゃないでしょうか」
晶が言うと、美沙の目から涙が溢れた。そのまま、何度もうなずく。
その顔を見ながら、晶はオーロを思った。
生まれ持った素質は変えられない。その鎖を切れずに、彼は逝ってしまった。同じ轍を、美沙に踏んでほしくなかった。
「あんたが抵抗する気持ちも、分からなくはない。娘が『いらない』って言ってるのは、大部分が父親からの遺伝だからな。自分を全否定されたように感じるだろうさ」
凪の言葉を聞いて、晶ははっとした。美沙にばかり感情移入していたが、確かにそうだ。
「しかし分かってやれ。美の平均値ってのは確かにあって、そこから外れすぎると損をする。美醜で差がつかないなんて理論はアテにならん。就職にしても恋愛にしても、いらん苦労をする必要はない。──少なくとも、その垂れた瞼と歯並びの悪さは最優先でなんとかすべきだな」
丈治はじっと美沙を見つめる。彼の目から、怒りが消えていた。そこへ凪が念を押す。
「医者選びは必要だが、悩みがあるなら現代医学を正しく使え。これから先の何十年が買えると思えば、安いだろ」
親子はしばらく、同じ姿勢で固まっていた。沈黙の後、丈治が立ち上がる。
「……時間をとらせた」
「はいはい。今度は依頼を持ってきてくださいよ」
二人が立ち去る。これから少しは、建設的な話し合いができるだろうか。
「──ようやく帰りおったか。しかし、顔も悪けりゃ頭も悪い連中じゃったの」
顔は良いが、口がとんでもなく悪い少女が現れた。
「カタリナ、言い過ぎ」
「合理的な手段があるのに、ぐずぐず悩んでおるのは馬鹿の証拠じゃ」
この番人、気に入らないと手加減しない。傍らの黒猫も苦笑いしていた。
「ま、とりあえず良かったな」
「うん」
全てが伝わったとは思わないが、王太子の悲劇はこの世界をわずかに変えた。今はそう信じたい。
「今回は大変だったからな。お前にもボーナスをやらなきゃいかん」
「…………」
「なんだ、そのすごく嫌そうな顔は」
「明日、世界が滅ぶんじゃないかと思って」
「俺の信用って何?」
雇い主が情けない声をあげるのを聞いて、晶はふと考え込んだ。
「──あ、そっか」
☆☆☆
それから数週後、晶の高校で文化祭が始まった。おおむね無事に進行したが、全く注目されていなかった平凡なお化け屋敷に、超美形の幽霊がいると話題になったことだけが例年と違っていた。
この幽霊にはモデルがいると噂になったが、徐々に事実は生徒から忘れられていき、都合のいい伝説だけが残った。